アンドロイドは恋をするか

「ガイさん、こんなところで会うなんて珍しいですね」
 聞き慣れた声だった。手にしていた本から顔を上げると、いつの間にか隣に男が立っていた。
「卯木か……」
 声をかけられるまで、千景の気配をまったく感じなかった。少しの物音でも目が覚める自分が、まったくの無防備でいたわけでもないのに、肩が触れるほど近くにいる男の気配に気づかないなんて。染みついた習慣とは恐ろしいもので、瞬時に周囲へ意識を張り巡らして「どの経路から逃げるのが得策か」と思考を巡らした。
 目の前にいる男に命を狙われているわけでもないのに。
「そんな警戒しないでくださいよ」
 そう言って卯木は笑ったが、彼の目に宿る光は冷たく、以前から薄々感じていた『同じ種類の人間』の匂いがする。
 本屋で気まぐれに手にした本をぱらぱらと読んでいただけで、我を忘れるほど内容に没頭していたわけではない。自分に隙はなかったはずだ。ガイほどの訓練を積んだ者なら視界に入る前に人物を特定できる。それができなかったということは、この卯木千景という人物は、ガイと同じように特別な訓練を受け、自らの存在を空気のように消すことできるのだ。
 恐ろしい、という感覚を久ぶりに味わった。
 ここが戦場ならこの男に命を奪われていただろう。
「なにを読んでるんですか?」
 ガイの心中を知ってか知らずか、千景が笑顔で尋ねてくる。
 人懐こい性格ではないはずなのに、よくそこまできれいな笑顔を作れるなと感心した。
「……『今日から実践! 誰でもできるかんたん会話術』だ」
 タイトルを声に出してみると、途端に自分の読んでいる本の内容が浅薄に思えてくる。しかし、実用書コーナーの書棚に敷き詰められた膨大な書籍を脳内でスキャンし、この本が最も丁寧かつわかりやすいと判断したのだ。対人関係における様々な会話のパターンがビジネスシーンから冠婚葬祭まで網羅されており、なかなか悪くない本だと思うのだが。
「会話術? それは役作りのためですか?」
「いや、これは個人的なものだ」
「そうですか。ガイさんがそんな本を読むなんて意外ですね」
「そうだろうか?」
「ええ。だって、もうアンドロイドは卒業したんでしょう?」
 確かに先月の冬組公演とそれに付随する様々な出来事のお陰で過去の記憶を取り戻し、自分が機械作りの人形ではなく、きちんとした感情のある人間だと自覚できた。だが、シトロニアに言わせると自分はまだまだ『ポンコツ』の域から抜け出せていないらしい。
「それでも、普段の会話を難しいと感じるときがある。主な問題として、相手の望む反応を即座に返せなかったり、不正確なデータが話題にのぼると執拗に問いただしてしまう、などだ」
「なるほど。つまり雑談ができないということですね」
 納得したというふうに千景が頷く。
「それなら、そんな本に二千円も払うよりもっといい方法がありますよ」
 千景はガイの手から本を取り上げ、書棚の正しい位置に戻すと、「ちょっと付き合ってもらえますか?」と眼鏡の奥の目を細めて言った。
 ガイの返事を待たずに千景が歩きだしたので、見失わないように急いでその背中を追いかける。
 いったいどこへ連れて行くつもりなのだろうか。千景を信用していないわけではないが、彼の本音を隠した笑顔を思い出すと、行き先の判断を委ねていいものか迷う。現に、目の前を歩く千景の背中にはまったく隙がない。
 千景がガイを連れて入ったのは、本屋と同じビルのレストランエリアに出店しているカフェだった。
 店員に案内されてテラス席に向かい合って座ると、千景はブレンドを注文し、ガイも同じものを頼んだ。
 しんしんと雪が降る季節に終わりが見えてきたので、外出にコートとマフラーは不要だと判断したが、春先の午後の風はまだひんやりと冷たい。首筋を通り抜けるビル風に身震いすると、脚を組んでリラックスした様子の千景がくすりと笑った。
「ガイさんは寒がりなんですね」
「ザフラの温暖な気候に身体が慣れてしまったのだろう。だが、日本で過ごす冬は新鮮で、とても有意義だった」
「今年は年始からけっこう雪が降りましたからね」
「例年より都心部の雪日数は五日多く、二月の降雪量は平均値より二十センチ増えた、というデータが出ている」
「ガイさんが冬組に入ったから日本の冬が歓迎の意味を込めて本気を出したんでしょう。中庭の雪かきに駆り出された茅ヶ崎に恨まれそうですね」
「それは茅ヶ崎に悪いことをした。そういえば、シトロニアから聞いたことはあったが、雪だるまがあのような奇妙な生き物だとは意外だった」
「いや、それはシトロンが作ったからだと思いますよ。普通はあんなヘドロみたいな見た目じゃないです」
「そうか。まだまだ知らないことばかりだな」
 日本各地の雪だるまの形状について調査、と頭のメモに書き込んだところで、カフェの店員が二人分の注文を運んできた。
 熱いコーヒーに口をつけると、かじかんだ手の指先がじんわりとほぐれていくような心地がする。
 寒いときに熱い飲み物を体内に取り込むと緊張が解けるという心理的効能だろうか。先ほどまで千景に対して感じていた恐怖は薄れ、いまは僅かながら親しい気持ちを抱きはじめている。
 春組の千景とは接する機会は少ないが、それでもまったく知らない仲ではない。自分の記憶を取り戻すきっかけとなったのは千景がマイクロチップを解明してくれたからだ。そういう意味では千景はガイの恩人でもある。
「ところで、卯木はあの本を読むより会話が上達する方法があると言っていたが、それはどのようなものだろうか?」
「ああ、それは俺が教えるまでもなかったです」
「どういう意味だろうか?」
「いま、俺と雑談できてるじゃないですか」
 言われてみて、はたと気がついた。テラス席で千景と向かい合って座りながら、本に書かれていた『会話のキャッチボール』ができている。
 できているが、だからといって会話が上達したとは思えない。
「それは卯木が同じ劇団の仲間だからだろう。初対面の相手ではこうはいかない。気軽な会話にはある程度の親密さが必要だ」
「さっき、俺を殺そうとしたのに?」
 千景の目は笑っていなかった。
 やはり気づいていたのか。相手の力量を知ったいま、隠していても仕方がないだろう。ガイは正直に打ち明けることにした。
「すまない。そういう訓練を受けていたから、身体が自然に反応してしまった」
「謝らないでください。俺もおふざけが過ぎました。王族の元従者に対して、自分がどこまで通用するかちょっと試してみたくて。合格でした?」
「ああ、いますぐザフラ軍の一個中隊を任せられる」
「それは光栄だな」
 気のせいだろうか。口を歪めて笑う千景の顔にさっと暗い陰が差したような気がした。
 王位継承者の従者という立場上、ガイにとって公に言えないような任務を遂行するのも仕事のうちだった。自分は感情のないアンドロイドだと思い込んでいたから、悲しいともつらいとも感じたことはないが、もし人間である千景がガイと同じような経験をしていたとしたら、それはけっして楽なことではなかっただろう。
「ガイさんも合格ですよ。会話なんて難しく考えなくていいんです。ガイさんはガイさんのまま、リラックスして、気負わずいればそれでいいと思います。適当に相槌を打っていれば相手がぺらぺら喋ってくれる場合もありますし」
「逢引きを打つ、とは?」
「逢引きじゃなくて、相槌です。こうやって相手の目を見て黙って頷いていれば、話を真剣に聞いているように見えるでしょ。嫌いな人間の話を聞くときに有効です」
 悪戯っぽい笑みを浮かべる千景に、こんな表情もできるのかと少し面食らった。強固に張りついている仮面の奥から、この男が本来持っているであろう率直さが垣間見えた。
 興味深い男だ。いままで出会ったどんな人間とも違う。
 空気のように隣にいるのが当たり前だと思わせる気安さと、誰にも本心を打ち明けない頑なさが複雑に入り混じっている。どこか自分と似ている気がするのは、そういった内面のややこしさに共感を覚えるからだろうか。
「会話のコツはつかめそうですか?」
 考え込んでいたガイを気遣うように千景が尋ねてきた。
「ああ」
「それはよかったです。俺はガイさんと会話するの好きですよ。自信を持ってください」
「なるほど。つまり、卯木にとって俺は嫌いな人間ではないということだな」
 笑っていた千景の顔が固まった。
 なにか気に障ることを言ってしまっただろうか。千景にアドバイスされたとおり、難しく考えず、思ったことをそのまま口にしてみただけなのだが。
「……嫌いではないですね」
「それならよかった。俺も卯木のことは好ましく思っている。こうして日々の雑事から離れてコーヒーを飲む時間は、普段ならただの休息だが、卯木とは特別な一時に感じる」
「あの、俺はいま口説かれているんでしょうか?」
「『口説く』という言葉は知っている。好意を持っている相手に、自分の愛情を受け入れてほしいと懇願することだ」
「懇願って……間違ってはいないですけど」
「卯木と話しているとありのままの自分でいられるような気がする。こうやって自然に雑談できているのがなによりの証拠だ。これは好意と深く関係している感情だと思う。どうやら好ましい相手を前にして、俺は自分らしくいられるようだ。だから、卯木も俺の前ではお前らしくあってほしい。これは懇願になるだろうか」
 自分でも驚くほどすらすらと言葉が出てきた。
 話しながら、身体の奥がぽかぽかと温かくなり、心臓を打つ音がはやくなるのを感じる。
 これは、緊張か? 不安? それとも畏怖?
 この感情に名前をつける術を、自分はまだ知らない。
 千景はテーブルに置いたマグカップの取っ手を指先で撫でながら、じっとガイを見つめている。
 少し話し過ぎただろうか。もしくはきちんと伝わっていない可能性もある。もう一度説明したほうがいいだろうかと逡巡していると、千景がつっと視線を逸らして言った。
「俺はプライベートで誰かとコーヒーを飲むなんてこと滅多にしないんですよ。時間の無駄ですからね。でもいまはこうしてガイさんの前に座っています。その意味がわかりますか?」
「いや、その情報だけでは正しく理解できない」
「ガイさんらしいですね」
「卯木と話しているからだろう」
「そういう意味じゃないんですけど……。もし、俺がまたこうやって一緒にコーヒーでも飲みましょうって言ったらどうします?」
「いや、次は俺が誘いたいと思っている」
 ガイの言葉に千景が大きく目を見開き、「その答えは予想外だな」と苦笑した。
 ぐっと胸に刃を刺し込まれたような苦しさを感じた。
 この時間がずっと続けばいいのにと思い、なぜかそれを口にすることができない。自分らしくありたいのに、胸の奥に千景に知られたくない感情がある。
 これは、この胸の疼きはいったいなんだろうか。
 元アンドロイドである自分がこの感情の名前を知るとき、俺ははじめて人間になれるのかもしれない。

 その予感が的中するまで、時間はかからないだろう。

友人のお誕生日に贈ったお話でした。
ガイさんは人の心を取り戻したわけですが、人間になって惹かれていく相手が自分の心を殺して生きてきた千景なのが大変よいですね、というお話です。
BACK TO NOVEL