幾千の
久しく会っていない友の死を運んできたのは、ザフラの王室が定期的に送ってくる密偵の一人だった。
彼らの存在を知ったときは、自分の預かり知らないところで王位継承権をめぐるいざこざが再燃したのかと驚いたが、しばらく泳がしてみると、どこを行くにも嫌な視線を背中に感じた。
どうやら監視対象はシトロンではなく彼の従者である自分らしい。
出自に謎が多いガイを嫌う者は王宮内に多い。大方、王族の一人がガイの弱みを握ることで、シトロンに揺さぶりをかけようとしているのだろう。目的は王位交代を見据えた王宮内での地位の保証か、それともてっとり早く金か。いずれにしろ短絡的な判断と言わざるをえない。
シトロンが、ガイよりも何倍も有能で厄介な人間だということを知らないのだから。
複数の密偵を送り込んでいるようだが、任務から離れて久しいガイにすら気配を気取られるくらいなのだから大した実力ではないのだろう。特に害にならないと判断し、送られてくる密偵の居場所を把握するだけにとどめ、こちらから積極的に接触するつもりはなかった。が、今回は様子が違うようだ。
「お前も気をつけたほうがいい」
友の死を告げた後、律儀にもガイへ警告を送る者は、フードを被っていて表情まではわからないが、声からしてまだ若い男のようだ。ミカと同じ年頃だろうか。それでもザフラで訓練を受けてきた者が持つ冷徹さと、盲目なまでの忠誠心が感じられる。ふと、自分が王宮に入ったばかりのことを思い出した。
「俺に危害を加えることで誰かが得をするとは思えないが」
「そう思っているのはお前だけだ。お前が死ぬことで得をする人間は多い。なにせあのシトロニアから全幅の信頼を寄せられているのだからな。お前があいつに仕えていることで保たれている均衡があると知っておいたほうがいい。……まあ、いまのお前なら私にだって殺せるがな」
男がガイの手元に視線を落とす。
鴨南蛮そばが食べたい、と突然言い出した主のために、商店街へ買い物にでかけた帰りだった。買い物袋からネギが半分飛び出している。
「生ぬるい生活を楽しんでいるようでなによりだ」
「俺はいまの暮らしが気に入っている」
「お前を殺ったあと、あの寮に住んでいる人間を一人ずつ消すことだってーー」
「”あまり調子にのるな”」
ザフラ語で凄むと、相手が怯んだのがわかった。いざとなれば指一本で人は殺せる。ただ手を汚したくないだけだ。これから主のために食事を作るのだから。
「用件は以上だな。これは俺からの忠告だが、相手の実力を測れないうちは、大口をたたかないほうがいい。無駄に命を散らすだけだ。君はまだ若い」
老婆心からガイが戒めると、男は舌打ちをして不機嫌そうに立ち去っていった。
「ガイさんは優しいですね」
いつの間にかガイの横に立っていた男が愉快そうに言った。
「卯木、存在を消すなとあれほどーー」
「はいはい、お説教はいいですから、それ持ちますよ」
千景はガイの小言を軽くいなすと、買い物袋へ手を伸ばした。
「言っておくが、重いぞ」
「え、わ、本当に重いですね。いったいなにを買ったんですか。まさか新種の巨大ネギとか……?」
「そば粉だ」
「え、夕飯がそばだとは聞いてましたけど、粉から打つんですか」
「伏見と皆木が経験者らしい」
「どうせシトロンがそばを打ってみたいとか言って騒いだんでしょう」
買い物袋を片手で軽々と持ちながら千景が笑う。
いつだって千景はどこからともなく煙のように現れる。ガイの驚く表情を見るのが楽しいらしい。変な趣味を持たないでほしいものだが、なぜかいまは千景が隣にいることに安堵している自分がいた。
友の死に少なからず動揺しているようだ。
他愛もない話を続けながら、千景と商店街を歩いていると、友の死も密偵の男も、現実感を失って夢のような出来事のように思えてくる。
「親しかったんですか」
商店街を抜け、寮の赤い屋根が見えてくる頃、千景が尋ねてきた。それが好奇心から尋ねているなら、ガイはなにも言わずにごまかしたかもしれない。だが、千景の声音には意外にもガイを気遣うような素振りが感じられた。
他人には決して打ち明けられない。打ち明けたところでわかってもらえるはずもない。
それでも、どこか同じ匂いを感じる千景になら理解してもらえるだろうか。
「同じ隊で訓練を受けた男だ。ただ少し、なんと言えばいいか……異端という言葉が近いだろうか」
「ああ、なんとなくわかりますよ。馴染めなかったんですね」
「物静かな男だったが、自分の意見に固執する傾向があった。隊の風紀を乱すほどではなかったが、上長と小さな衝突を何度か繰り返すうちに、いつの間にか除隊されていた。ザフラでは除隊は不名誉なことだから、その後はおそらく国外で身を潜めていたのだろう」
「まあ、よくある話ですけど……でも、その人が亡くなったことをなんでわざわざガイさんに伝えたんですかね」
千景が不思議そうに尋ねる。
「さっきの男が処理したのだろう。王族直属の配下が直接手を下すのはーー」
「暗殺未遂のときだけでしたっけ」
ガイは静かにうなずいた。
ザブラは天然資源に恵まれた治安の良い国だ。王族は国民から慕われており、内政は安定している。近隣諸国との外交関係も良好で、戦火となりうるような目立った火種は見当たらない。
だが、現状に不満を抱えるものは常に存在する。
「王族は間違っている。ガイはそう思わないのか」と死んだ男に問われたことを覚えている。当時、アンドロイドだった自分はその問いに対する答えを持たなかった。
「つまり、お前も変なことは考えるなよって釘を指しに来たんですね」
「だろうな」
「わざわざ自分の成果を自慢しに来るなんて子供っぽい虚栄心ですね。早死しますよ、あの子」
若くとも厳しい訓練に耐えていまの地位を得た男を「あの子」呼ばわりとは。
「彼ぐらいの年齢では死はまだ怖くないのだろう。死はおとぎ話のようなものだ」
「ガイさんは、怖いですか?」
急に尋ねられて、戸惑った。
生きることに悩んだことはあっても、死について深く考えたことはあまりない。
あんなに死が身近にある生活を続けていたのに、不思議なことだ。
ザフラでは死後、土に埋められる。
だが、それはまっとうに生きて、死んだ場合だけだ。
罪を犯した者は、遺体を清められず、家族にも見守られず、死んだ家畜と共に燃やされる。友人もそのように処理されたはずだ。その死を公表されることもなく。
ザフラの人々は身体を燃やされることをなによりも恐れる。
死後、魂が帰る場所としての器を失ってしまうから。
魂の居場所を失った人間は、肉体をもたずに暗闇のなかをさまよい続けると言われている。
幾千の夜を、狂いそうになりながら、死ぬこともできず、新たな生を授かることもなく、たった一人で。
ガイはどうだろうか。
人には言えないような任務をこなしてきたガイは、まっとうに生きてきたとは言い難い。
流れ着く先を持たず、どこまでも続く闇と途方も無い時間が、 死後の罰として待っているのだろうか。
そして、闇のなかをさまよい続けるだけの亡霊になるのだろうか。
愛しい人に触れることもできずに。それはーー。
「怖いな」
少しの間考えた後、ガイが答えると、千景が言った。
「俺もですよ」
千景が本心を吐露するのは珍しい。ガイは驚いた。
その驚きを隠すようにガイが無言を貫いていると、千景が「ガイさんの驚いた顔、ようやく見れました」と笑顔を見せた。
「まだなにも言っていないが」
言い当てられたことが癪で、子供っぽく反論してしまう。
「わかりますよ。俺は、ガイさんのその顔が、人間らしくて好きですから」
そう言った千景はすっかりいつもの巧妙に本心を隠した顔をしていた。
「もうすぐ寮に着きますね」
「ああ」
「ここがガイさんの帰る場所ですよ。忘れないでくださいね」
その言葉は、ガイに投げかけたというより、まるで千景が自分自身に言い聞かせているようだった。
自分と同じように死を恐れているこの男を、ガイは不思議なほど愛しいと思い、どうにかして触れたいと思わずにはいられなかった。
お互い劇団という居場所を見つけたのに、無意識に自分には帰る場所なんてないんじゃないかとか思ってそう。