願いごと
SUPER FULL BLOOM SEASON 2023で頒布したガイ千の無配ペーパーです。
ガイさんに抱いてくれと頼む千景の話。
「抱いてください」
バーで酔いつぶれた千景に「水を飲むか」と尋ねたらそんな答えが返ってきた。
酔っぱらいの冗談を本気にしてはいけない。
バーの店長としてそれは重々承知していたが、長年従者を務めてきた者の習性なのか、ガイは頼みごとをされると断れない。
どうにかして、その願いを叶えてやれないだろうかと考えてしまうのだ。
白いドラゴンを手に入れたいと主が言えば、例えそれがこの世に存在しなくとも、ガイは世界中をくまなく探し回るだろう。
カウンターに俯いて座る男を抱くことは、幻獣を探すより容易に思えた。
結局、バーの店じまいをした後、千景が個人で借りているマンションの部屋で抱き合った。
男同士の性行為ははじめてだったが、相手はそうではないようで、最初から最後まで流れ作業のようにスムーズに終わった。
千景がどんな気持ちで抱かれていたのかは分からない。
行為の間、二人はひと言も話さなかった。
目を閉じると、達したときに千景が見せた泣きそうな顔を思い出す。それは官能を微塵も感じさせない顔で、ガイの胸を苦しくさせた。
なぜこんな無茶な頼みごとをしたのだろうか。隣で浅い呼吸を続ける千景の背中にガイは問いかける。
珍しくハイペースで酒をあおっていたから、仕事でなにか嫌な思いでもしたのだろうか。
なんでもそつなくこなす男だ。仕事で失敗するとは思えないし、例え失敗したとしても、酒や性行為に溺れて目の前の問題から逃げるようなタイプだとも思えない。
それとも、わずかの間でも忘れたいほどの苦痛をこの男は抱えているのだろうか。千景がなにから逃げたいのか、ガイには検討もつかなかった。
「なにも訊かないんですね」
ガイに背中を向けたまま千景が言った
「訊いたところで、卯木の苦しみが理解できるとは思えない」
「はは、けっこうはっきり言いますね」
「嘘を言っても仕方ないだろう」
千景は常日頃から穏やかな物腰を崩さず、本音の在り処を悟らせない。その場しのぎの嘘で本心を聞き出すことは不可能だ。
「優しいのか、突き放しているのか、ガイさんってよく分からない人ですね」
「それを言うなら卯木もな」
千景が小さく肩を揺らして笑った。
その肩に、点々と赤い筋が残っている。半円の弧を描いているようだなと思った瞬間、それが背後から抱いたときにガイがつけた噛み跡だと気づいた。
強く噛んだつもりはなかったが、歯形だとわかるほどしっかり残っている。
千景を抱くまで自分に噛み癖があるなんて知らなかった。性行為に溺れていたのは他でもないガイの方だ。我を忘れて、傷を残すほど夢中で抱いてしまった。
歯形を覆い隠すように千景の白い肩にシーツをかける。浅ましい自分の欲望を直視できない。急に触れられて驚いたのか、 千景の肩がびくりと震えた。
「驚かしてすまない」
「いえ……」
「もう触らないから安心してほしい」
肩に噛み跡が残るほど乱暴に抱いてしまったのだ。これ以上千景を怯えさせるのはガイの本意ではない。
「ガイさんはピロートークが下手ですね」
千景はそう言うと、身体の向きを変えてガイの胸の中にもぐりこんでくる。触れられるのは嫌がるくせに身体を寄せ合うのは問題ないらしい。手の置き場所に悩んだ末に、千景を両腕で抱きしめる。背中を丸めてガイの首元にすり寄ってくる千景はどこか猫を思わせた。
「今日が命日なんです」
誰の命日なのかは訊かなかった。
おそらくガイの知る人物ではないだろうから。名前を訊く代わりにガイは尋ねた。
「どんな人だったんだ?」
「そうですね……すごく自分勝手な奴でした。突然家族になろうって言ってきたり、急にキャンディーショップを開いたり。夢を叶えてくれって言ったのもあいつの方からだったのに、先に死ぬなんて……最期まで本当に自分勝手な奴でしたよ」
「死に目に会えなかったのか?」
「俺は会えませんでした」
〝俺は〟ということは、千景以外の誰かがその人の最期を看取ったのだろうか。
病で死んだのか、事故に遭ったのか。
なんとなく、普通の死に方ではないような気がした。
「生きている可能性はないのか?」
「ないですね。生きてたら絶対に俺たちに会いに来るはずだから」
無意識だったのだろうか。
いつの間にか主語が複数形になっている。
ーー大切な人間を失うのはつらいだろう。
そう言って慰めるのが正解なのかもしれない。だが、千景の痛みを理解できない以上、いまはなにを言っても中身を伴わない空虚な言葉になってしまいそうで、ガイは黙ることを選んだ。
それでもなにかしてやりたくて両腕に力を込める。
「やっぱりガイさんは優しいですね」
沈黙は優しさではない。
なぜ、ガイに抱いてくれと頼んだのか。嫌なことがある度に誰かに抱かれているのか。もし、あの場にガイ以外の人間がいたら、そいつに抱かれていたのか。
疑問は膨らんでいくばかりなのに、「誰でもよかった」と言われたらと思うとなにも訊けない。要は千景と向き合うのが怖いのだ。
一人で悶々としていると、そんなガイの気持ちを知る由もない千景が言った。
「はじめてがガイさんでよかったです」
思いもよらない言葉にガイは動揺する。
「そうは思えなかったが……」
「男同士でいきなりやったら事故になりますよ。ちゃんと準備するに決まってるじゃないですか」
そう言って千景が笑う。
では、酔った勢いで「抱いてほしい」と頼んだのではなく、バーに来る前から自分を誘うつもりだったのだろうか。
いったいどんな気持ちでガイの作るカクテルを飲んでいたのだろう。カウンターに座っていた千景の姿を記憶から掘り起こし、そういえば今夜は一度も目が合わなかったと思い出す。
「まさか俺がバーの客を引っかけて誰彼かまわずやりまくってると思ってました?」
「いや、そこまでは……」
やけに手慣れた様子だったから、同性とそういう経験があるのだろうと勝手に思い込んでいた。それがただの勘違いだと分かり、ガイは自分でも驚くほど安堵した。
「抱かれることが卯木の願いなら、叶えてやりたいと思っただけだ」
それはガイの本心だった。
優しさでも同情でもない。ただ、千景が願うのなら、それを叶えるのが自分だったらいいという、おそらくこれは独占欲のようなものだ。
「ガイさんは本当に優しい人ですね」
「優しくはない。そんなふうに痛々しい卯木を見たくないだけだ」
「……痛々しいですかね」
千景が口を開くとぬるい吐息がガイの首元を湿らせる。
「あぁ。卯木のそんな姿は見たくない。少しでも気持ちが楽になるなら、いくらでも抱いてやる」
本当は千景を手放したくないだけなのに、よくも「抱いてやる」なんて偉そうなことを言えるものだ。自分で自分に呆れてしまう。
「なんでそこまでしてくれるんですか?」
「俺は、死人を生き返らせることはできないからな」
千景の悼む相手がどんな人間なのかは知らない。男なのか女なのか。いつ知り合って、どんな関係だったのか。知らなくても、千景の言葉の節々からどれだけ大切な存在だったか理解できた。
もうこの世にいない人間を見つけ出すことはできない。
ならば自分がいくらでもその人間の代わりになってやりたいと思う。
「ガイさん、俺になにかしてほしいことはありますか? 俺ばかり願いを叶えてもらうのは申し訳ないので」
意外な申し出にガイは戸惑った。
誰かに頼みごとされるのには慣れていても、自分からなにかを願ったことなどない。
従者に私的な望みは不要だったから。
少しの間ガイは思案し、頭に浮かんだ願いを躊躇なく言った。
「俺以外に抱かれないでほしい」
「……噛まないならいいですよ」
千景がそう言って顔を上げる。
ようやく目が合った男は、普段の取り澄ました表情はどこかに消え、ガイを愛しそうに見つめていた。