バイト

 真夏の日差しから逃げるように飛び込んだ玄関は期待したほど涼しくなかった。むっとした熱気がこもってもしかすると外より暑いかもしれない。額に滲む汗がこめかみをとおって首筋へ流れ落ちる。
 こんな暑い日まで冷房の使用を制限しなくてもいいじゃないか、と天馬は心の中で左京を恨めしく思った。
 このままシャワーを浴びるか、着替えて自室で涼むか。どちらにしようか迷っていると、談話室からにぎやかな声が聞こえてきた。土曜日の午後だ。実家に戻っていたり、外出している団員が多い時間帯なのに、いったい誰がいるんだろうか。 
 不思議に思って談話室のドアを開けると、椋と幸がソファに座っていた。
「あ、天馬くんおかえりなさい」
「うわ、汗だくじゃん。さっさとシャワー浴びてきなよ」
 二人ともカードのようなものを手にしている。トランプでもしているのかと思ったが、それにしては正方形すぎる気がした。
「こっちで涼んでからシャワー浴びようと思ったんだよ。で、お前たちはなにしてんだ?」
 談話室に入ってソファのほうへ近づくと、ほら、と幸から四角形の薄い紙を渡された。
ポラロイド写真だ。撮影するとすぐに機械から現像写真が出てくるやつ。雑誌の読者プレゼント用に撮ったポラロイドにサインを入れたりするので見慣れているが、この写真に写っているのはもちろん天馬ではない。
「えっ、これ十座さんか?」
「そうそう。こんな表情できるなんて意外だよね。年中しかめっ面のテンプレヤンキーのくせに」
「十ちゃん、臣さんの友達に頼まれてモデルのバイトしたんだって。すごいよねぇ、十ちゃんのこんな大人っぽい顔、僕はじめて見たよ」
 オレだって、と言いたい気持ちをぐっとこらえ、幸と椋の持っている写真をひったくるように手に取った。
 特別派手な衣装を身につけているわけではない。普段着のままごく自然なスタイルで、大学内と思われる廊下や教室で撮られた写真。すべて十座が一人で写っている。
 体を斜に構えて壁に寄りかかっている気怠げな姿も、階段の上から見下ろしている不遜なポーズも、椅子に座ってこちらをじっと見つめる視線の強さも。そのどれもが自然体で嫌味がない。いつもの十座そのままだった。
 それなのに、表情だけがどこか大人びていて、全然知らない人間に思えた。
 オレの知ってる十座さんじゃない、と胸の内が妙にざわつく。
「お、天馬も帰ってたのか。おかえり。冷蔵庫に冷たいレモンゼリーがあるぞ。食べるか?」
 振りかえると臣と十座が部屋に入ってくるところだった。臣の手には愛用の一眼レフ。十座は天馬の存在に少し驚いたらしく、なにか言いたげな顔をしている。しかし、
「ありがとう、臣さん。せっかくだからもらう」
 天馬は彼が口を開く前にそう答えた。本当はあまり食欲がないのだけれど。
「ちょっと待っててな。十座、これ、みんなに見せてやってくれ」
 キッチンに向かう臣から一眼レフを渡された十座は、困ったような、少し照れたような顔をしてこちらへやって来た。
「この中に臣さんが撮ったやつが入ってる」
 先ほどのポラロイド写真は友人が撮ったもので、臣は愛用のカメラを使って撮影したらしい。自分から見せるのは恥ずかしいのか、十座は一眼レフごと幸と椋に渡してしまった。「フライヤー撮影のときに、よくオカンが撮ってるの見てるから」と言いながら、幸が慣れた手つきで画面を操作し始める。
「ふーん、ポラロイドとはまた違った雰囲気で良い感じじゃん」
「うわあ、十ちゃんかっこいい」
「やっぱりオカンに撮ってもらったほうが表情が柔らかいね」
 幸の言うとおりだった。ポラロイド写真独特のどこかノスタルジックな暗い陰影のつけ方とは違い、臣が撮る写真は光の入り方が緩やかで、見る人を穏やかな気持ちにさせる。十座の特徴でもある鋭い目つきよりも、彼の本来持っている繊細な優しさと強さが伝わってきた。
「ゼリー持ってきたぞ。天馬も十座も座ったらどうだ?」
 透明なガラスの器をテーブルに並べながら臣が言った。座るとなると、必然的に十座と隣同士になるわけで。お互い妙な距離感を保ったままソファーに腰を下ろした。
「急に頼まれたんだ」
 小さく低い声で十座が呟いた。「えっ」と驚くと、十座がばつの悪そうな顔をして言った。
「どうしてもって頼まれて断れなかった」
「別に、写真ぐらい撮らせてやってもいいだろ。どんな人だったんだ、そいつ」
「女の先輩だ」
「はっ?」
 自分でも呆れるくらいみっともない声がでた。臣の友人というからてっきり男だとばかり思っていた。
 女の先輩。
 共学の大学に通っていればもちろん女性と話す機会はあるはずだ。高校時代は喧嘩ばかりで遠巻きに見られていたけれど、十座は一部の女子生徒から人気があった。演劇を始めて人当たりがよくなり、異性のほうから声をかけやすいのかもしれない。
「そう、か」
 うなずく意外にどんな言葉が言えただろう。十座が大学でどんな人と付き合おうが天馬の干渉するところではない。
 干渉できるほど、特別な関係ではないのだから。
 テーブルの上のポラロイド写真をもう一度手に取る。
 十座をファインダー越しにとらえた女性はどんな人だろうか。頼み込んでまで写真を撮りたかったのは何故か。ある種の好意があったからではないか。友達、後輩、異性として……。もしかすると天馬の考え過ぎで、ただの被写体として興味をそそられたのかもしれない。しかし、ただの被写体として撮っただけで、十座のあんな表情を引き出せるのだろうか。
 逞しい肩が、すっきりと清潔感のある首筋が、天馬の大好きな蜜色の瞳が、シャッターを押す度に蛹が羽化するように美しく変わるのを見て、彼女はどう思っただろう。薄い皮膜を一枚一枚剥がすみたいに、きっとぞくぞくしたに違いない。
 二人が撮影している場面を想像して、そのあまりの生々しさに息が止まりそうになった。
「ゼリー食わないのか? ぬるくなるぞ」
 十座から渡されたガラスの器はひやりと冷たい。
 また頼まれたらバイトのモデルをするのだろうか。他にも仲の良い異性の先輩や友人がいるのだろうか。
 大学での様子をもっと知りたい。
 天馬の知らない世界で生きている十座のことを知りたい。
 知らないことが増えれば触れるほど、十座に執着する自分に気づいてしまう。
 先週の告白の返事は、いつまで保留にするつもりなのだろう。
 オレが十座さんのことを好きって知ってるくせに。
 聞きたいことはたくさんある。伝えたい思いも溢れるほどある。しかし、あんな写真を見た後でどんなふうに訊けばいいのだろう。
 なにも言えないまま、スプーンですくったゼリーを口にする。
 甘酸っぱくておいしいのに、これ以上食べられる気がしなかった。

ACT1の頃に書いたお話。
まさか二人が同じ大学に通う未来があるとは…
いまは大学の帰りにデートとかしてるんだろうな~と思うと二年(ゲーム内時間)でずいぶんイチャつくようになりましたね。
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