ベッド

 仕事から帰宅して談話室に入ると、にぎやかな笑い声に圧倒された。
 至さんと万里さんが夏組のメンバーと一緒に雑誌を回し読みしながら盛り上がっている。
 夏休み中だからか、授業のない学生組は元気と体力が有り余っているようだ。馬鹿みたいな大声ではしゃいでいる。
 オレも学生だが、俳優の仕事に夏休みなどない。
「『皇天馬が着る夏のオフスタイル十着&自宅を初公開』だって。あいつ、寮でのオフスタイル、高校ジャージだぞ。花学の女子にみせてやりてえよ」
「バスルームがガラス張りじゃん。ハリウッド並みにゴージャスすぎてやばたん」
「わあ、素敵なリビングですね。『ラブ・チェンジ第二幕』第三巻ででてくるイケメンカリスマ俳優のお部屋みたいです」
「このでっかいテレビ何インチ? ゲームさせてくれないかな」
「さすが、至さん。見るとこそこかよ」
「さんかくのテーブルがあるよ~」
「ポンコツ役者のくせにこんな豪華なクローゼットあるなんてずるい。衣装部屋拡張してもらうためにヤクザに直談判しないと」
 オレが談話室に入ってきたを知ってか知らずか好き放題言いやがって。
 ジャージは動きやすいから稽古着にしているだけだ。カメラが回ってないのにオフまでかっこける必要はない。それに、万里さんだって花学のジャージ着てゲームしているのをオレは知っている。
「あ、天馬おかえり~」
 にやにや笑っている万里さんの顔を見て、ぜったいオレがいることに気がついていたと確信した。
「オレは売れっ子イケメン俳優だからこれぐらいの部屋に住むのは当たり前だろ」
 と言うと、間髪を入れずに「自分でイケメン俳優って言うとか、ポンコツの間違いでしょ」と幸が突っ込んできた。
 だから、ポンコツじゃないって言ってるだろう。幸に言い返そうとしたが、オレの言葉はまたしても嵐のような会話に掻き消された。
「ねえねえ、今度テンテンの家行ったときにこの家具インステにアップさせて~!」
「お、自宅訪問いいね。俺はこのテレビでゲームやりたい」
「あ、至さんずるい。俺もやりたいっす。天馬、次のオフっていつ?」
「三角のイスはないの~?」
「僕はこんな素敵なお部屋に一生住めないし、むしろ犬小屋か土管の中で暮らした方がお似合いだよね。いつか寮から出て行けって言われて無一文になって、雨に打たれながら段ボールを探して、それからそれから……」
 目まぐるしい会話と騒々しさにどっと疲れを感じた。なにも言わずに自室に戻るのが懸命かもしれない。実家の写真が載っている雑誌を一瞥して、オレは足早にリビングから立ち去った。
 
 
 自室がある二階に上がる前に、十座さん(と万里さん)の部屋に向かった。ノックしたが返事がない。鍵のかかっていないドアを開けると、心地よい冷気が中庭の廊下まで流れてきた。
 冷房のモーター音が電気のついていない薄暗い部屋に響いている。唯一の光は、窓のカーテンの隙間から射し込む、夕方になってようやくやわらかくなった日差しだけ。
「十座さん?」
 名前を呼んでも返事はない。電気をつけて床に鞄を置く。音をたてないように梯子をのぼって二段ベットをのぞき込むと、気持ち良さそうに十座さんが寝ていた。
 毛布も掛けずに仰向けに寝ている十座さんはひどく無防備で、いつもの眉間に皺を寄せているヤンキー姿など想像できない。
 ほんの少し悪戯心がわき上がってきた。指先でつん、と睫毛に触れてみる。すると、ピクッと瞼が動いて十座さんの目がゆっくりと開かれ、黄金色の瞳がオレをとらえた。
 起きたばかりの、まだ焦点の合っていない眼差しでオレを見つめている。
「天馬か」
 十座さんが呟く。そして、夢ではないのを確かめるように大きな手でオレの頬を撫でる。涼しい部屋が嘘のように掌が熱い。
「起こしてごめん」
「気にすんな。いま何時だ?」
「五時ぐらいかな」
「部屋に戻ったのが三時だから……二時間も寝てたのか」
「クーラーつけたままだと体に悪いぞ」
「寝過ぎてまだ眠いな……」
「夕飯まで寝るか? オレもさっき帰ってきたばっかで疲れてるから、戻って寝ようかと―って、うわっ」
 腕をつかまれて、あっという間に身体ごと上に引き上げられた。華奢なほうではないのに、十座さんは軽々とオレを持ち上げてしまう。
「ここで一緒に寝ればいいじゃねえか」
「でも、」
「天馬、あったけえな……」
 たくましい両腕に抱き締められ、長い脚で動かないように固定される。
 こんなの抱き枕みたいじゃないか。
 もがいてみたがどうやっても起き上がれないので、オレは早々に諦めて十座さんの胸に顔を埋めた。規則正しい拍動が間近に聞こえる。
 誰かと一緒に眠るなんて、劇団に入って十座さんと付き合うまでは考えられなかった。
 幼いころから両親は仕事で家をあけることが多かった。オレはホテルのスイートルームみたいな部屋を与えられて、いつも一人ぼっちで目を覚ます。この寮よりも広い自宅は誰もが羨むくらい豪華だけれど、世界で一番寂しい場所だと思う。
「十座さん?」
 返事がないので顔を上げると、また眠ってしまったらしい。
 オレを抱きしめたまま先ほどと変わらず穏やかな寝息をたてている。背中に回された腕が熱い。冷房がよく効いた部屋で寝ているのに、十座さんの体温はどうしてこんなに高いのだろう。熱いけれど、不快ではない。むしろ心地よくてこのまま眠ってしまいそうだ。
 うとうとしながら、雑誌に載っていた自宅の写真を思い出す。
 もう何ヵ月も実家に帰っていない。掲載用の写真を撮ったとき、先方スタッフに立ち合ったのは井川だけ。オレのインタビューは事前にスタジオで終わらせるように頼んだ。
 最新のテレビも高価な家具も、大理石の玄関や稽古場より広いクローゼットも、本当はもう見たくもない。
 静かすぎる夜を、誰もおはようと言ってくれない朝を、思い出してしまうから。
 いつかこの二段ベッドより大きなベッドで寝るようになっても、二人で眠るときはこんなふうに抱き合いたい。
 お互いの体温が融け合うくらい近くにいたい。睡魔に身を委ねた瞬間、この想いが通じたかのように十座さんに抱き寄せられて、俺は幸せな気持ちで眠りについた。

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