サプライズ
待ち合わせは嫌いだ。
天馬は目の前を行き交う人々を眺めながら、この場から立ち去りたい衝動を我慢している。
集団で固まって歩く学生たちの横を肩と足を露出した派手な格好の女性がとおりすぎる。視線が集まる快感を必死に取り繕った顔が下品だ。スーツ姿の男が汗だくで人混みをすり抜け、小さな子供の手を引いた母親らしき女性が怒鳴り、女子高生たちが馬鹿笑いしながら去っていく。
騒がしくてたまらない。
待ち合わせ時間はとっくに過ぎていた。送ったLIMEも未読のままだ。どこかで事故にでもあっているのかもしれない、そんな不安が頭によぎった瞬間、握っていたスマートフォンが振動した。画面に表示された名前を見てため息をつく。
「万里さん、いまどこだ?」
天馬はぶっきらぼうに尋ねた。
『悪い、天馬。今日行けなくなった』
「はぁ?」
予想外の返事に思わず大声が出てしまった。
通行人が訝しげに天馬のほうを見る。気づかれたらまずい、と慌てて歩道に背中を向けた。
『マジでごめん。寮出る前に至さんにつかまった。今日のあの人はやばい……俺が昨日ランク抜いちゃってキレまくってる。さっきまでずっと共闘させられてやっとLIME確認できた』
「なんだよそれ……せっかく今日の仕事は午前中だけにしてもらったのに、オフが無駄になる」
『あ、それなら問題ねぇよ。寮で暇してた奴に声かけたら、そいつが買い物付き合ってくれるって』
「えっ、誰だ?」
『まぁ、それはサプライズってことで会ってからのお楽しみだな。んじゃ、俺もう行くわ。今度ぜってえ埋め合わせするから』
そう言って万里は慌ただしく通話を切ってしまった。
約束を反故にされた怒りより、これから延々と至の憂さ晴らしに付き合わされる万里を気の毒に思ってしまった。明日は日曜日だから明け方まで部屋から出してもらえないだろう。
気になるのは万里が言っていた「暇してた奴」のことだ。いったい誰が来るのだろうか。
MANKAIカンパニーに入団して半年以上経つが、天馬はドラマや映画の撮影で忙しく、他の団員と一緒に過ごす時間が極端に少ない。そもそも天馬自身が自ら積極的に人と交流を持つタイプではないので、なかなか周りに心を開けないでいる。一成や万里が持っている高いコミュニケーション能力も、太一のような人懐っこさも、天馬にはなかった。
あまり話したことがない団員がきたらどうしよう。そう思うとなんだか暗澹とした気分になってくる。
それらしき人物を探すが、忙しなく行き交う人々の中に天馬の知っている顔は見当たらない。探すのを諦めようとしたとき、目の端に背の高い人物をとらえた。普段からスタイルや顔の良い人間は見慣れているが、その人物も芸能人に負けず劣らずのオーラを醸し出していた。目が自然と釘付けになる。
僅かに猫背気味の背中をこちらに向けて、道の真ん中で立ち止まっている。
誰かを探しているのだろうか。
通行人が邪魔そうに彼を避けていく。スマートフォンを見ながら下を向いて歩いている女性がぶつかった。あからさまに迷惑そうな顔を彼に向けると、途端に怯えたように走り去っていく。
彼が振り向くのと、天馬が驚いて声を出したのはほぼ同時だった。
「兵頭……じゃなくて、十座さん」
秋組の兵頭十座だ。
天馬の声に気づいて真っ直ぐこちらへ向かって来る。前髪を無造作に下ろしていて、普段のぴんっと張った糸みたいな雰囲気がすっかり消えている。
デニムとシンプルな黒いシャツがスタイルの良さを際立たせ、周りの注目を集めているが、本人がまったく気にしていないのがおもしろい。
「天馬、遅くなって悪い。摂津の野郎に言われたのが突然だった。あいつから連絡あったか?」
「さっき電話もらった。兵……、十座さんは他に予定ないのか?」
「大丈夫だ」
十座が素っ気なく答える。
そして、会話もそこで途切れてしまった。
まさか万里が十座に声をかけるとは思わなかった。顔を合わせれば喧嘩ばかりしている二人だ。バラエティー番組でよくあるどっきり企画より驚いた。あれはだいたい事前に打ち合わせがあって、大袈裟なリアクションをするようにと台本に書いてある。
「で、どこに行くんだ?」
「あっ、あぁ。この先に行きつけのショップがある」
万里と行く予定だった店の方向を指差すと、十座は無言で歩き出した。どこか険のある様子に、きっと万里から頼まれて嫌々来たのだろうと推測する。
稽古も公演もない貴重な休日だ。頼まれたとは言え、いきなり出かけることになれば、誰だって嫌な気分になるに決まっている。様々な店が並ぶ賑やかな大通りを二人並んで歩きながら、天馬は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「あいつと……摂津とよく出かけるのか?」
ずっと黙っていた十座がぼそりと尋ねてきた。
低い声に思わずびくっとしてしまう。
「たまたま同じショップの常連だって分かって、何回か一緒に行ったことがある。今日は新作の入荷日だからオフまで取ったんだけど、至さんに捕まったんなら仕方ないよな
。あの人、ゲームのことになると手がつけられないって綴さんが言ってたし。十座……さんは、その……行きたいとこあるか?」
二人きりでいる緊張感と慣れない「十座さん」呼び。自分でも恥ずかしくなるぐらい会話がたどたどしい。
「特にない」
十座も相変わらず無愛想な返答だ。
登下校のときは二人の真ん中にいつも太一がいる。明るくて賑やかな太一のおかげで、会話が途切れることもないし、不自然な沈黙に居心地が悪くなることもない。
無口な十座と口下手な天馬。
二人だけでは会話が続くわけがない。
たちの悪い学生に絡まれているところを十座に助けてもらい、そのお礼に自主練に付き合ってから、前より打ち解けた気がしていた。しかし、LIMEの連絡先は交換しただけで、まだやり取りはしたことがない。ボディーガードになってくれると言っていたが、幸いあれから危ない目にはあっていない。仲が悪いわけでないが、気兼ねなくなんでも話せるような友達でもない。夏組メンバーのような距離感とも違う。オレたちって一体どういう関係なんだ? と自問自答すると少しだけ胸が痛んだ。
その痛みすら天馬には不可解だ。
「あれ、十座さん?」
隣を歩いていた十座がいない。
立ち止まってあたりを見回すと、前から来た女性にぶつかり、後ろを歩いていた男性に舌打ちされ、あっという間に人波に流されてしまう。とにかく目的地まで行こうと歩き出した瞬間、誰かにぐっと手を引かれた。あまりに強く握られたので「うっ」と呻いてしまう。
「天馬、」
「なんだ、十座さんか。びっくりさせ―」
「はぐれないように兄ちゃんと手ぇつないどけって言っただろ」
そう言って十座は天馬の手首を握った。
熱い。
握られた部分がアイスのように溶けてしまいそうだ。
エチュードでも始めるつもりなのだろうか。兄弟という設定に、どこか不満を覚える自分がいた。
「兄ちゃんって、なんだよ」
自分でも驚くほど不機嫌な声が出た。
「……っ」
やっちまった、と小さく呟いて、うっかりこぼれた言葉を押し戻すように片手で口元を隠す。高校ではその強面で生徒を震え上がらせている十座だが、いまはまるで少女のように顔が赤くなっている。
こんなに動揺している十座を見るのははじめてだ。
往来で立ち止まっている二人を、通行人が怪訝そうにじろじろ見ている。そんな不躾な視線に耐えられなくなり、
「十座さん、手を……」
離して欲しい。恥ずかしくて、居たたまれない。
そんな天馬の気持ちも知らず、十座は人の流れを横切って歩き出す。手首をつかまれたまま、引きずられるように十座の後ろをついていく。
大きな背中に広い肩幅。細身の天馬とは身体の厚みが違う。腕も逞しく、同年代の高校生よりはるかに大人っぽい。剥き出しの首筋がほんのり赤くなっている。薄いシャツを押し上げる肩甲骨の形が綺麗で、自分とは異なる男の肢体に目が離せない。
「あ、十座さん、この店に来たかったんだ」
十座の背中越しにショップの看板が目に入った。無事にたどり着いて内心ほっとする。
「手、離してくれるか?」
「悪い……昨日久しぶりに弟に会ったからいつもの癖が出ちまった」
「十座さん、弟いるのか?」
「いま高一だ」
弟がいるなんて知らなかった、とどこか不満に思うと同時に、十座のプライベートをほとんど知らないことに気づいた。
十座の弟は従兄弟の椋みたいなふわふわした感じだろうか。十座と同じように目つきが鋭い強面の可能性もある。二人で並ぶとちょっとどころではない怖さだ。人混みで手を繋ぐぐらいだから、相当仲が良いのだろう。兄弟のいない天馬にはそんな関係が少し羨ましかった。
「エチュードが始まったのかと思ってびっくりした。オレと十座さんが兄弟じゃ無理があるだろ」
「悪かった。天馬と兄弟は……そうだな。無理だな」
改めて言われると癪に障る。
「そうそう、弟は無理だ。だってオレは十座さんの……」
なんだろうか。
その先の言葉が続かなかった。
さっきまでの手首の熱さを思い出し、弟だったらいつまでも手を繋いでいられるのに、と変なことまで考えしまう。
家族でもない。特別に親しい友人でもない。学年も違うし、所属する組も寮の部屋も違う。共通点を探すほうが難しいこの関係はなんだろうか。
天馬には分からなかった。
「と、とにかく、弟は嫌だからな。年齢は十座さんが上だけど、芸歴はオレのほうが長いし、エチュードやるならオレが兄だろう」
「ふっ、そうだな」
今日会ってからはじめて十座が笑った。
眉を少し下げた柔らかな笑みに胸がぎゅっとなる。
誰にも見せたくない。
そんな優しい顔を向けるのは自分だけがいい。知らない感情が溢れてきて、天馬はまた混乱してきた。
「十座さんといると、自分が分からなくなる」
思わず口に出してしまい、言った瞬間に後悔したがもう手遅れだった。
恐る恐る十座の顔を伺う。
「俺は……今日ようやく分かった。むかつくが摂津の奴に感謝しねぇとな」
「えっ?」
なぜ万里の名前が出るのか不明だが、十座も天馬と一緒にいると同じ気持ちになっていたことに驚いた。分かったというならば教えて欲しい。これはいったいどういう感情なのか。
「店に入るぞ。買い物するんだろ?」
戸惑っている天馬を残して、十座はショップの自動ドアをすり抜けて店内へ入ってしまった。またあの大きな背中が遠くなる。
この人のことをもっと知りたい。
近づきたい
そんな想いが自然と溢れてきた。
十座の後を追って店内に入ると、と「いらっしゃいませ」という店員の明るい声に迎えられた。冷房の効いた店内は心地よく、火照った身体から熱がひいていく。
先ずは服の好みから知っていこう。天馬は小さな決意を胸に、十座の隣へ駆け寄った。