毎公演、千秋楽が終わるとそれまでの緊張と興奮の日々から解き放たれて、夢から覚めたような心許なさを覚える。
 まだ、演じ続けていたかった。
 もっと、できることがあった。 
 これから、どんな役を演じられるだろうか。
 俺はどこまで行けるんだろう。
 焦りや憧れに足元を掬われそうになる。
 そんなときは、はじめて舞台に立った自分を思い出すようにしている。
 よく磨かれた板の上に一人立って夢中で演じた自分を。
 いま思えばよくあの演技で入団できたと思う。とにかく必死で、ただ演劇がしたい、自分にはこれしかない、という気持ちが空回りして、どうしようもないくらい下手くそな芝居だった。
「やっぱりここにいた」
 緞帳の下りた舞台から背後に視線を移す。 
「天馬?」
 舞台照明しか点けていない劇場は薄暗く、客席の奥に立っている人物は黒い影となっているが、声で誰だか分かった。
「部屋にも稽古場にもいないから探したぞ」
「そうか、悪いな」
「アンタが謝ることないだろ。オレが勝手に会いたくなって勝手に探してただけだ」
 天馬が通路の狭い段差を軽い足取りで下りてくる。
 とんとんと足音が近づいてきて、十座の座っている座席の列まで辿りつくと、そのまま隣の席に腰を下ろした。そして、十座の顔をじっと見据えると、どこかほっとしたように呟いた。
「よかった、ちゃんと十座さんだ」
「どういう意味だ?」
「後ろ姿がブラッドだったから。舞台に魂を置き忘れたみたいな背中だった」
 そう言って、天馬は照明のあたっている舞台へ向き直った。
「初主演、お疲れ様。よかったぞ」
「あぁ、ありがとな」
 十座も同じように緞帳が下りたままの誰もいない舞台を見つめる。
 昨日まであの板の上でブラッドとして生きていた。
 とても不思議な体験だった。いつも舞台に立つと役と自分が同じになって、がむしゃらに演じているうちに幕が下りていたけれど、初主演の今回は役として生きながらも頭の中は冷静だった。
 ブラッドと兵頭十座。どこから自分でどこまでがブラッドなのか。境目が曖昧になる瞬間は何度もあったが、ブラッドを演じているのは自分だという揺るがない一線と、誰でもない自分がブラッドであるという没入が、とても心地よく交わっていた。
「演じることは自分から逃げることだと思ってた。でも、そうじゃねえんだよな。今回の舞台でようやく分かった気がする」
 自分とは違う役の人生を、自分らしく演じること。
 それはいまの自分から逃げることではなく、ましてや十座のいままでの人生を否定することでもない。
「ようやくかよ。気づくのが遅すぎだろ」
「そうだな。天馬にも散々自主稽古に付き合ってもらったのにな。初主演でようやく気づけた」
「まあ、主演は特別だからな。0番に立たないと分からないこともあるだろ。なぁ、十座さん」
「なんだ」
「オレはこれからも十座さんの芝居を見ていたい。だから、ちゃんと戻ってきてくれよ」
 天馬がやけに真剣な声で言った。
 舞台照明で淡く光った横顔が急に大人びて見える。
「あ、あぁ」 
 投げかけられた言葉の意味は分からなかったが、静かな圧を感じる天馬の姿に圧倒されて思わず頷いてしまった。
 天馬がこんな固い表情をするなんてめずらしい。
「じゃあ、オレはそろそろ戻る。ここは寒いからな」
 座席から立ち上がって、通路へ歩き出そうとする天馬の手を無意識につかんでいた。
「なぁ、天馬、なんで俺のことを探してたんだ?」
 自分でも言いようのない焦燥に駆られて、理由も分からず尋ねていた。
振り返った天馬が答える。
「オレが『十座さん』に会いたかっただけだよ」
 十座さん、という箇所に力を込める。
 つかんだ天馬の手が熱いのは、自分の指が冷たすぎるからだと、そのときはじめて気づいたのだった。

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