隣にいたい
昨日ようやくドラマの撮影が終わった。
夏に放映する特別ドラマで、花火や夏祭りの華やかさと切ない恋模様の絶妙なコントラストを描く、と監督が意気込んでいた。
撮影が終わって、やっとゆっくり休めると思っていたのに、オレは疲れた身体に鞭を打って学校に行く準備をしている。なぜなら、海や郊外での撮影が多くてもう二週間以上も登校していないから。梅雨に入り、制服が夏服に変わった時季からほとんど登校していない。
さすがに欠席が多すぎて担任からマネージャーの井川に電話がかかってきた。普段からの芸能活動を考慮しても進級が厳しいらしい。休日に補習を受けてなければ単位が足りないと言われた。
せっかくの日曜日なのに登校するなんて。
同室の幸を起こさないように静かに身支度を整えながら、昨日までの撮影を振り返る。砂浜での撮影は肌が焼けるように暑くて、湿った海風でセットした髪がベタついた。夏の撮影特有の難しさはあったが、地元の花火師に依頼して打ち上げた花火は迫力があったし、若手の俳優を多く起用していたこともあって撮影の雰囲気も悪くなかった。
今回のドラマは主演ではなく、メインの若手女優演じる女子高生に片想いする幼なじみの役を演じた。いわゆる『当て馬』と呼ばれる役どころだ。出番は多くないが存在感が試される。ドラマで主演以外を演じるのは久しぶりで、いつもよりリラックスして気負わずに演じられたと思う。
オレが演じる幼なじみは十年以上も片想いしている主人公に振られてしまう。彼女は一目惚れした少年と恋に落ちて、最後は一緒に海辺の街を去ることになるのだ。台本を読んだときは、一番近くにいる幼馴染の気持ちに気づかない主人公の鈍感さに呆れたが、案外そんなものなのかもしれない。
どんなに長い間傍にいても口にしなければ伝わらないこともある。
上半期のドラマ撮影は終わったので、暫くは劇団の稽古に集中できるはずだ。オフがとれなくて新生春組の第三回公演も観に行けなかったし、リーダー会議は欠席続きだ。
俳優の仕事と劇団の活動の両立が難しいのは覚悟していたが、いまが正念場なのかもしれない。
簡単に髪をセットして身支度を終えた。鏡に写った夏服姿の自分に違和感を覚える。俳優の前に高校生なんだよな、と夢から覚めたみたいな気持ちになった。
誰もいないと思っていた談話室に入ると、意外なメンバーが食卓テーブルを囲んでいた。至さんと万里さんだ。至さんはいつもの部屋着に前髪をちょんまげに結った完全オフモードで、スマホを睨みながら舌打ちしている。
日曜日の朝八時に超夜型人間のゲーマー達に会うなんて、今日は季節外れの雪でも降るんだろうか。
「あ、天馬だ。おは」
「おはよう、至さん」
至さんが片手をひらひらさせて朝の挨拶をしてきた、と思ったらすぐにスマホの画面に視線を戻して「SSRSSRSSR……」と低い声で唱えはじめた。
相変わらずのゲーム中毒だ。
「お前なんで制服着てんだ? 日曜だぞ」
「出席日数足りなくて登校する必要があるんだ」
「仕事忙しそうだったもんな。もう撮影終わったのか?」
「あぁ、あとは番宣だけだ」
夢中でゲームをしている至さんを邪魔してはいけないので、オレは万里さんの隣に座った。
「天馬、おはよう」
「綴さん、おはよう」
後ろのキッチンから呼ばれて振り向くとカウンター内に綴さんが立っていた。
「朝メシ食べるか?」
「いや、大丈夫だ。もう出ないと行けないから」
「そうか。でも、腹になんか入れないと午後までもたないぞ。トーストだけでも食べたらどうだ?」
「まあ、トーストぐらいなら……」
「了解。ちょっと待っててな」
至さんに万里さんに綴さん、この三人が一緒にいるのはめずらしい。不思議な組み合わせだ。
「三人で夜更かしでもしてたのか?」
「いや、俺はこの人のえげつない戦闘に徹夜で並走してた。腹減ったからなんか食おうと思って談話室に来たら綴が朝メシ作ってて、ついでに頼んだら至さんもついて来たって感じ」
「万里さんも大変だな……」
「さすがに二徹はしんどいな」
万里さんが顔を歪ませながらコーヒーを流し込む。リビングには明るい朝の光が射し込んでいて、初夏の爽やかな目覚めにぴったりな雰囲気なのだが、ゲーマーの二人は屍のような真っ青な顔をしている。
キッチンのカウンターから出てきた綴さんは、目玉焼きとサラダがのったプレートを両手に持ち、まず至さんと万里さんの前に置いた。
「綴、食べさせて。いまバトル中で手が放せないから」
「子どもみたいなこと言わないでください」
「そうそう、至さんは綴に甘えすぎ」
「万里、それ以上喋ったらぶち殺す」
至さんの言葉にひるむことなく、万里さんは何事もなかったように目玉焼きにフォークを突き刺した。言い合ってもどこか楽しそうなのは、至さんが本気で怒ってないからだろう。
撮影で寮にいないことが多いから、こういう雰囲気になると会話に入れなくて戸惑う。オレだけ分からない冗談をいったい何度笑顔でスルーしたことか。
幼いころから慣れ親しんできた疎外感は、劇団に入ってからもなかなか消えてくれない。
「天馬、何時に出んの?」
「あと十分ぐらいかな」と万里さんに答えてから、思わず声を上げそうになった。
昨日帰り際に今日が登校日だと井川に伝え忘れていた。
壁にかかった時計を確認するともう八時半だ。さすがに休日の朝に電話して起こすのは申し訳ない。
学校までの道、覚えてるよな。
たまに太一や十座さんと歩いて帰ってるから大丈夫なはず、だと思うんだが……。
「綴さん、悪い。もう出ないとまずいかもしれない」
「え、トースト食わないのか?」
「その……今日は井川の迎えがなくて……」
迷わないで学校までたどりつける自信がない、とまでは言えなかった。
オレが椅子から立ち上がると、
「おいおい、天馬が一人で登校すんのはマズいっしょ」
と万里さんが焦ったように言った。
「俺が一緒に行けたらいんだけどいまからバイトだからな……万里は?」
「至さん次第だな」
オレたち三人の無言の圧力を感じたのか、至さんがようやくスマホの画面から顔を上げた。相変わらず眠そうだ。
「あ? 今日イベント最終日だろ」
「ですよねぇ」
車で送ってくれるかと少し期待した自分が甘かった。
「まあ、オレが井川に伝え忘れたのが悪いんだし、大した距離でもないからタクシーで……」
「あ、俺良いこと思いついたわ。天馬、タクるのちょい待ち」
そう言い残して万里さんは談話室から出て行った。取り残された綴さんと目があってお互い首を傾げる。
足音が遠のいてドアがバタンと乱暴に開く音がしたかと思うと、万里さんの怒鳴る声が聞こえた。
二人分の足音がドタドタと近づいてくる。
そして、満面の笑みを浮かべる万里さんとは対照的に、十座さんが不機嫌そうな顔で現れた。
「兵頭、綴が朝メシにパンケーキ作ってくれるってよ」
「……マジか。あざっす」
「まあ、パンケーキぐらいならいいけど。っていうか、十座を連れてきてどうするつもりなんだ?」
「兵頭って天馬のボディーガードなんだろ。だったらこいつと一緒に学校行けばよくね?」
「えっ、万里さんなんで知って……」
下校中に他校の生徒にからまれていたととき、偶然通りかかった十座さんに助けられた。秘密にするようなことではないけれど、高校生にもなって助けられたのが恥ずかしくて、劇団の誰にも言っていない。
「うちの高校で有名だぞ。あの皇天馬が兵頭十座を従えてるって」
「し、従えてるって! オレは不良じゃない」
そんな噂が流れているなんて知らなかった。
「……よく分かんねえけど、天馬はなんで制服着てんだ?」
「見れば分かんだろ。登校すんだよ」
「あ? てめえに訊いてねぇだろ」
「んだと、こら」
「朝からうるせえ」
「上等だよ。かかって来いよ」
これは、いつもの喧嘩の流れなのでは。
左京さんも臣さんもいないのにいったい誰が二人をとめられるのか。
太一みたいに間に入ればいいのか。いや、まだ死にたくない。
「うるせえな、ガキども。ごちゃごちゃ言ってんなよ。万里はさっさとメシ食ってイベ再開しろ。十座は休日登校の天馬の付き添いな。今日マネ休みなんだって。返事は?」
「っす」
「はいはい」
至さんが鬼の形相でキレて、あっという間にヤンキー二人を黙らせてしまった。
さっきまであんなに言い合っていた万里さんと十座さんが大人しくなるなんて。美形な至さんが暴言を吐くと凄まじい効果を発揮するらしい。
「悪いな、十座。俺が一緒に行けたらよかったんだけどバイト入ってて。後で伏見さんになにか作ってもらうように言っておくから、よろしくな」
「……っす」
あ、嬉しそうだ。
助けてもらって以来、十座さんとはたまに稽古をしているから、僅かだが表情を読み取れるようになった。
いまのは嬉しいほうの「っす」だ。
「十座さん、すまない。出席日数が足りなくて今日は補習なんだ」
「あぁ、そうなのか。大変だな。着替えてくるからちょっと待ってろ」
十座さんが眠そうに頭を掻きながら談話室から出て行くと、万里さんが舌打ちしながらまたテーブルに座った。秋組ではこれが日常茶飯事なんだよな。それに比べると、オレと幸の口喧嘩なんてかわいいものかもしれない。
万里さんはまだ怒りが収まらないらしく、「マジむかつく、兵頭の野郎。天馬、あいつのこと死ぬほどこき使っていいからな」と言いながらフォークで目玉焼きを潰しまくって、至さんはスマホから目を離さずゲームを続けている。
「じゃあ、オレは先に玄関に行ってる。綴さん、十座さんがこっちに来たら、向こうで待ってるって伝えてくれ」
「了解。気をつけてな」
十座さんを待たせてはいけない。オレは急いで談話室を後にした。
眉間に深い皺を刻んでいる十座さんをちらちら見ながら、いったいなにを話せばいいのだろうかと途方に暮れる。十座さんと二人きりで登校するのははじめてで、なぜかとても緊張する。
いつも真ん中で騒いでいる太一がいないからだろうか。太一がいかにオレ達の会話を上手につなげていたか実感してしまった。あいつはなにも考えてないような振りをしているが、ちゃんと周りが見えているらしい。
十座さんと二人で稽古するときは沈黙なんて気にならないのに、なんで普通の会話ができないんだろう。
無理矢理に起こされてまだ不機嫌そうな十座さんの、少し猫背気味で歩く姿はどこからどうみても強面ヤンキーで、隣にいる芸能人のオレより目立っている気がする。
「天馬、少し焼けたか?」
「えっ? 日焼け? あぁ、昨日までドラマ撮影だったからな。海とか山とか、日焼け止め塗っても長時間ロケだとどうしても焼けるんだ」
突然話しかけられて、オレとしたことが狼狽えてしまった。
日焼け、そんなに目立つだろうか。
休憩中はパラソルの下にいたし、さっき鏡で見たときは特に気にならなかったのに。
「夏のドラマ、たしか海が舞台だよな。椋が絶対録画するって言ってたぞ」
「今回は主演じゃないし、いつもより出番が少ないから録画するほどじゃない。十座さんは、また筋肉ついたか? 腕とか特に」
制服を着ているオレとは違い、十座さんは身体にフィットする半袖シャツにデニムの私服姿だ。セットする時間がなかったのだろう。いつもと違って前髪を下ろしている。
秋組のメンバーと並んでいるときも思ったが、改めてその体格の良さに驚く。いったいなにを食べればこんなに筋肉がつくんだろうか。
「最近、筋トレの仕方を変えた。丞さんに教わって、上半身中心に鍛えてるから筋肉のつき方が変わったかもしれないな。天馬も一緒にやるか?」
「えっ」
「筋トレ好きなんだろ?」
筋トレは好きというよりも、身体作りは俳優の基本だから、毎日やっているうちに習慣になってしまったというのが正しい。
「まあ、嫌いじゃないし。そんなに言うなら付き合ってやらなくもない」
「じゃあ、決まりだな。ちょうど今夜、丞さんと約束してんだ。天馬も来たら喜ぶだろ」
なんだ、二人でやるんじゃないのか。いつもの稽古みたいに。
二人で筋トレすると思っていたのに、他にもメンバーがいると聞かされて胸がもやもやする。
丞さんと十座さんが一緒に筋トレをするほど仲が良いなんて知らなかった。
いつかオレとの自主稽古にも誰かを誘ったりするんだろうか。
それはなんだか面白くない。
「天馬、大丈夫か?」
十座さんの声で我に返った。いつの間にか駅前の大通りに出ていて、寮の周辺より人の流れがはやい。
「ああ、ちょっと暑くてぼーっとしただけだ」
「無理すんなよ。撮影で疲れてるんだろ。一応ボディーガードだし、なんかあったら俺を頼ってくれ」
頼っていいって例えばどんなことだろう。
万里さんの言っていた「こき使う」ことではないし、至さんが綴さんに甘える感じでもないだろう。
「ボディーガードって本気だったのか? 万里さんが言ってたことが本当なら、十座さんはオレの子分みたいに思われてるぞ」
「摂津が言ったことは気にするな。あいつはいつもムカつくことしか言わねえ。俺がやりたくてやってるんだから、天馬は気にしなくていい。それに―」
「うわっ」
十座さんと並んで歩いていると、いきなり後ろから腕をつかまれた。
「あの、皇天馬くんですよね?」
ぐっと強く後ろに引かれて背中から転倒しそうになる。衝撃に備えて反射的に目を閉じた。
「おい、危ねえだろ! なにやってんだ!」
十座さんの怒鳴る声が聞こえて、恐る恐る目を開けると、オレはその大きな身体に抱きとめられていた。
助かった、と安堵したはいいものの、十座さんの両腕にすっぽり包まれてしまい身動きがとれない。
シャツの下に感じる厚みのある上半身を嫌でも感じてしまう。どくどくと聞こえるのは十座さんの心臓の音だろうか。転びそうになったオレと同じくらい早鐘を打っている。
「あの、わたしずっと天馬くんのファンで、夏組の舞台も観にいってて、この前の公演も毎日通ったし、あ、次のドラマも楽しみにしてて、あの……」
勢いよくまくし立てていた女性の声がだんだん小さくなる。抱き締められたまま、ちらっと十座さんを見上げると、談話室でキレた至さんより恐ろしい顔をしている。こんな顔で睨まれたら女性も黙るしかないだろう。
「好きならなにしてもいいわけねえだろ。好きなら、遠くから見守って応援してやれよ」
遠くから見守って―。
それは夏のドラマでオレが言う台詞と同じだ。
『いつだって、お前のことを見てた。好きだから、大切で、ずっと見守ってたのに。あいつのどこが好きなんだよ』
そう言って主人公に告白して、『一瞬で好きになったの』と返されるシーン。もっと積極的に分かりやすくアピールしなかったのが幼なじみの敗因なのだが、オレの手をいきなりつかんだ女性のように無理やり好意を伝えるのも悪手だ。
十座さんは、誰か好きな人でもいるのだろうか。
十座さんが誰と仲良くしようが、どんな子と付き合おうが関係ない。関係ないのに、十座さんが誰かと付き合う姿を想像すると、胸に針が刺さったみたいな痛みをおぼえる。
もしかして十座さんも誰かを遠くから見守っているのかもしれない。
触れられないから、と我慢しながら、それでも好きな気持ちを止められない。
そんな苦しい恋をしているのだろうか。
「天馬、行くぞ」
「えっ、ちょっと、十座さん」
十座さんがオレの腕をつかみながら高校の方角へ向かって走り出す。
オレは女性に一言も話しかけることなくその場を去ることになってしまった。
SNSで変なこと書かれたりしないよな。まあ、十座さんにあれだけ睨まれたら、そんなこと怖くてできないか。
「じゅ、十座さん、ギブアップだ。オレは、ちょっと…もう、走れない……」
十座さんのペースに合わせるとあっという間に脇腹が痛くなる。
「悪いな。疲れてるのに走らせちまって」
「いや、大丈夫だ。もう学校着くよな、たしかあそこの……」
息を切らしながら現在地を確認する。
「そこの本屋を曲がればすぐだ」
まだ肩で息をしているオレと違って、十座さんはまったく息切れしていない。体力の差をまざまざと見せつけられて、がっくりくる。
もっと真剣に体力作りに励んだほうがよさそうだ。
「怪我しなくてよかった」
「大袈裟だな。オレだって男だから自分のことぐらい自分で守れる。十座さんこそ、あんなに睨んで、あの女の子泣きそうだったんじゃないのか」
違う。
そんなことを言いたいんじゃない。
助けてくれたお礼を言いたいのに、どうしてオレは素直にありがとうって伝えられないんだろう。
「俺は天馬のボディーガードだ」
「だからってあんなに睨まなくてもいいだろ」
もし自分があの視線を浴びたらと思うと、すっと全身から血の気が引いていくような心地がした。
「ようやく隣に立てたんだ。俺に天馬を守らせてほしい」
「えっ」
いったいどういう意味だろう。オレなんか守ってもなんのメリットもないのに。
「さっきのやつの気持ちが俺には分かる」
オレの腕をつかんだ十座さんの手に力がこもった。
幾らか震えているように感じるのは気のせいだろうか。
「遠くから見てるだけでいいって自分で決めたのにな。隣に立つと我慢ができなくなる」
自嘲気味に笑う姿はいつもの十座さんらしくない。
下りた前髪の間からのぞく眼差しはどこか寂しそうだ。
遠くから見守ると決めて、でも隣にいたいと想い、相手を思って我慢ができなくなる。
その感情を天馬は知っている。
昨日まで撮影していたドラマの役と同じだ。
『いつだって、お前のことを見てた。好きだから、大切で、ずっと見守ってたのに』
溢れ出る気持ちをぶつけるように告白した。
幼いころに出会ってからずっと好きだった相手に。
きっと断られると心のどこかで覚悟しながら。
十座さんが遠くから見守っている相手。もしかして、と思い、そんなまさかと頭の中で否定する。
そんなこと、あるわけがない。
否定しながら、なぜ自分がこんなにもやもやするのか分かってしまった。
十座さんが丞さんと仲が良いのを知って気落ちしたのはなぜか。
二人だけで稽古したいと思っている本当の理由。
自分の気持ちにすら気づけなかった己の鈍感さに呆れてしまう。
幼馴染の好意に気づかなかったドラマの主人公と同じくらい鈍い。
「補習に遅れちまうな」
十座さんの手が名残惜しそうにオレの腕をはなれる。
咄嗟につかんでしまったのは、十座さんがどこかへ行ってしまいそうな気がしたからだ。ここでつなぎとめなければ、きっと十座さんはもう二度とオレに本心を打ち明けてくれないだろう。
「帰りも送ってくれないか?」
オレが頼むと、十座さんが意外そうな顔をしていて言った。
「いいのか?」
「いいもなにも、十座さんがいいんだ」
素直になれない、いまの自分が言える精一杯の言葉。
オレは至さんのように誰かに甘えることができない。
万里さんみたいに十座さんと本気で喧嘩もできないし、丞さんのようにトレーニングを手伝うこともできない。
それでも、この人の傍にいていいのだろうか。
十座さんも同じ気持ちなら、それは許されることなのだろうか。
「じゃあ、後で連絡するから」
十座さんの横をすり抜けて、夏の眩しい日差しへ挑むように走り出す。
夏服を脱ぐころには、オレたちの関係はどうなっているだろうか。
きっといまとは少し違っているはずだ。
十座は顔に出ないだけでけっこう独占欲は強い気がします。