隣の男
葉大生のモブ視点。
「これで連敗記録更新だな」
隣に座る友人にぽんと肩を叩かれて惨めな気分が倍増した。
今日こそはと思っていたのに。
「賭けは俺の勝ちってことで。明日の昼はおごれよ」
「勝手に賭けにしてんじゃねえよ……」
テーブルに顔を突っ伏しながら反論する。そんな俺を見て、向かいの席に座る別の友人が追い打ちをかけるように言った。
「お前も諦めが悪いよなー。あの皇天馬だぞ。そんな簡単に近づけるわけないだろ」
そんなことは分かっている。
今日も声をかけた瞬間に電光石火のごとく現れた男に阻まれ、すごすごと友人たちの待つ食堂のテーブルに戻り、彼らの笑いものになっている。
「てか、なんでそんなに皇天馬のサインがほしいんだ?」
「こいつの彼女が大ファンなんだと」
黙っている俺の代わりに隣の友人が答えた。
「あーなるほど。女はああいう性格がきつそうな男が好きだもんな」
「彼女のためとはいえ、お前もよくやるよ」
ぽんぽんとまた肩を叩かれる。完全に俺を憐れんでいる。
本当は彼女のためなんかじゃない。
俺が皇天馬の大ファンなのだ。
彼とはじめて会ったのは小学生の頃だった。
当時流行っていた医療ドラマで皇天馬は難病に冒された少年役を演じ、彼の幼いながらも敢然と死に向き合う姿に日本中が涙した。かくいう俺も、難解な医療用語を必死に理解しながらドラマを追いかけ、最終回直前の「お母さん、泣かないで。大好きだよ」という台詞にわんわん泣いた。
俺が泣きすぎたせいで、一緒に観ていた両親はびっくりして涙が止まったらしい。それぐらい号泣した。悲しみはひと晩で癒えることはなく、翌日の学校でも「天馬くん、死んじゃった」と幼馴染みの前で泣いた。
それから皇天馬が主演しているドラマやバラエティー番組はすべてチェックするようになり、三年前に入団した劇団の公演もバイト代をすべてつぎ込んで全通している。
ずっと手の届かない存在だと思っていた。そんな憧れの俳優が同じ大学に入学したと知ったときの驚きといったら。
認知されなくていい。けれど、せめて一緒の空間にいたという思い出がほしい。それだけできっと一生幸せでいられる。でも――。
「やっぱり迷惑だよな」
テーブルから顔を上げてため息をつく。
「そりゃあな。学生生活なんて完全にプライベートだろ。俺だったらそっとしといてくれって思うね」
向かいからど正論を投げつけた友人が、「じゃあ、俺はこのあと講義だから。またな」と言って立ち去ると、視界がひらけて何列か先のテーブルに皇天馬が背を向けて座っているのが見えた。隣には俺を絶妙なタイミングで蹴散らした大柄の男。皇天馬と同じ劇団に所属する兵頭十座だ。
「あの二人、いつも一緒にいるよな」
隣の声に「皇天馬と同じ高校出身の先輩で、同じ劇団に所属してるんだよ。組は違うけど」と説明する。
「でた、皇天馬オタク。もうさー、彼女いるって嘘つくのやめろよ。俺もフォローすんの面倒くさい」
「幼馴染みだろ」
「限度ってもんがある。あ、また誰かに声かけられてる」
女子学生が二人、皇天馬になにか渡そうとしたらしいが、俺と同じように兵頭十座に睨まれて走り去って行く。
「おー、すごいな。皇天馬専属のボディーガードか。しかも自動センサーでもついてんのかってぐらい反応がはやい」
「ずっと一緒にいるんだよ。正直羨ましい」
つい本音をこぼしてしまう。
ただの先輩に嫉妬なんて馬鹿らしいと思うし、二人の関係を羨むなんて横恋慕しているようで恥ずかしい。でもやっぱりあの席に座っているのが自分だったらと思ってしまう。
「俺が隣にいるだろ」
「お前じゃなくて、皇天馬がいい」
「ひどいなー。あんな雲の上でお高くとまってるやつより、手の届く相手にすればいいのに」
それはどういう意味だろう。
問いただそうとすると、「じゃ、俺も講義だから行くわ」と空になった食器をのせたトレーを持ち上げて行ってしまった。
俺と目を合わせようともせず。見慣れた背中が他の学生に紛れて消えていく。
取り残されて、幼馴染みの言葉を頭の中で何度も反芻したけれど、自分では答えが出せそうにない。
暫くすると、兵頭十座が立ち上がるのが見えた。彼もこれから授業なのだろうか。立ったまま皇天馬と話している横顔は、俺を追い払った人物とは思えないほどおだやかな表情をしている。
きっと俺が隣にいても駄目なのだ、と唐突に理解して、あまり悲しくないことに驚いた。
皇天馬の隣はもうとっくの昔に埋まっている。俺の出る幕なんてないのだ。
それよりも隣の席に誰もいないことのほうが寂しい。
これがあいつへの答えになればいいと思った。