保健室のベッドに横たわりながら天馬はため息をついた。
 ベッドは固くてお世辞にも快適とは言い難い。掛け布団は冷たいし、重いし、消毒液臭い。寝返りを打ちながら、こんなことになるなら井川の忠告に素直に従っておけばよかったと天馬は後悔した。
「天馬くん、熱ありますよね」と、後部座席のドアを開けて車に乗り込んだ天馬を見て井川が言った。今朝寮を出るまで、同室の幸だけでなく、監督や他の劇団員たちにも気づかれなかった。普段は頼りないところもあるマネージャーだが、なぜか天馬の体調に関してだけは鋭い。
「今日は休んだほうがいいですよ。仕事もオフですから」
「学校は休まない。ただでさえ欠席が多いんだから、こんな微熱で休むわけにはいかない」
 口では強がっていたが、朝起きてからずっと頭が重い。熱特有の身体がふわふわするような浮遊感もある。
「そうですか……なにかあったらすぐ連絡くださいね」
 井川は天馬の一度決めたら頑として譲らない性格をよく知っている。学校に行くなと言っても無駄だと思ったのだろう。そのうち寝坊した太一がバタバタと車に乗り込んできて、この話は打ち止めになった。
 二限目までは何事もなく授業を受けることができた。しかし、頭痛がひどくなるにつれ、熱が上がってきたのは間違いなかった。教室で倒れるわけにはいかない。昼休みが始まるとすぐに保健室へ駆け込んだ。
 体温を計ると四十度近い熱があった。すぐにベッドへ押し込まれ、マネージャーに連絡すると言われた。井川に大丈夫と見目をはった挙げ句に早退するなんて、情けない。室内に充満している消毒液の匂いが天馬をさらに惨めな気持ちにさせた。
 自己管理を怠ったことはない。しかしどんなに気をつけていても体調を崩すことはある。そんなときでも、周囲に気取られないように、普段と同じ仕事をするのがプロの役者だと教わってきた。自分の代役になる若手俳優は山ほどいるのだ。たった一回仕事に穴を開けただけで、もう見向きもされなくなる。
 つらいことがあってもひとりで我慢することを覚え、いつしかそれが当たり前になった。完璧な役者でいたいと思えば思うほど、周りが望む皇天馬を演じるほど、簡単に弱音なんて吐けない。
 額に手を当てると明らかに朝より熱い。体調が悪いと自覚すると、思考がどんどん悪い方向へ流れていく。
 仕切りのカーテンがゆっくり開いて養護教諭が声をかけてきた。
「皇くん、劇団の監督さんが迎えに来てくれるって。よかったね」
「監督が?」
「緊急連絡先のマネージャーさんが電話にでなかったから、劇団の代表番号にかけてみたの。すぐに来てくれるみたいだから、それまで横になっててね」
 優しいが有無を言わせぬ口調だ。なにも言い返すことができない。薄いクリーム色のカーテンが閉じられると、天馬はベッドの中でため息をついた。井川にLIMEだけでも送っておこうとスマホの画面をスライドさせると、表示された未読件数に驚いた。
『天チャン、どこにいるッスか? お昼一緒に食べようと思ったのに』
 文末には泣き顔の絵文字。その後に亀吉が涙を流しているスタンプが三つ連続で送られてきている。
『天チャンの教室まで行ったのに~』
 今度は亀吉が羽をバサバサさせて飛びたつスタンプだ。一成が至のために作ったスタンプだが、いまでは劇団員全員が使っている。
『また迷ったのか?』
 十座からもLIMEで連絡が入っていた。十座が今年の春に高校を卒業して、大学生になったいまも三人のグループトークは残したままにしている。
 どう答えようかと悩み、結局天馬は『急な仕事が入った。早退する』と返した。
 こんなときぐらい自分の気持ちを正直に言えたら、と思う。しかしすぐにバレる嘘をついてまで、保健室で寝ていることを隠す必要があった。
 天馬が倒れたことを知って一番心配するのは十座だ。
 去年から少しずつ関係が変わっていき、年が明けてから恋人として付き合っている。もちろん誰にも言っていないし、これからも言うつもりはない。劇団の仲間にも、監督にも、井川にも隠しとおすと決めた。
 保健室のベッドで寝ているとメッセージを送ったら、いったいなにが起きたのかと不安にさせるだろう。せっかく第一希望の大学へ進学できたのだ。演技の勉強と新しい大学生活を楽しんで欲しい。少し体調が悪いぐらいで十座を心配させたくなかった。
 カーテンの向こうから話し声が聞こえる。熱のせいか耳の奥に綿のようなものが詰まっている感じがする。なにを話しているか不明だが、声の主がだんだんとベッドに近づいてくるのは分かった。
「天馬」
 重い頭を動かすと目の前に十座の顔があった。よほど急いで来たのか息が上がっている。十座の大きな掌が額に触れる。ひんやりとして、気持ちがいい。
「じゅ、十座さん? なんで……」
「かなり熱があるな。ほら、早く背中に乗れ」
 腕をゆっくりと引かれてベッドから起こされると、されるがままに十座の背中に体を預けた。天馬も適度に鍛えているので筋肉はついている。そんなに体重は軽いはずはないが、十座はなんの苦もなく天馬を背負うことができた。
「さすが兵頭くんだね。私一人じゃ運べないから助かったよ。大学の講義は大丈夫なの?」
「大丈夫っす。一コマだけだったんで。監督はいま天馬の鞄取りに行ってます」
「了解。担任には私から言っておくから。皇くん、お大事にね」
 ぼんやりとした頭で二人の会話を聞いていたけれど、この状況をきちんと理解できないでいる。ありがとうございます、と最低限の礼儀を示す気力すらなかった。
 背中から落ちないように両腕をしっかり十座の首に巻き付ける。保健室を出た廊下は昼休みの騒がしさが嘘のように静かだ。すでに午後の授業が始まっているらしい。
 十座に背負われた恥ずかしさよりも、大きな背中にすべてを委ねることができる安心感のほうが大きい。がっしりとした肩に顔を埋めると、いつもの整髪料と汗が混じった香りがした。十座がゆっくりと歩く度に心地よい揺れを感じる。このまま眠ってしまいそうだ。
「天馬」
「……ん?」
「なんで本当のことを言ってくれなかったんだ?」
「それは……」
「LIMEを受け取った後に監督から天馬が倒れたって聞いて、俺がどれだけ心配したか分かるか?」
「……ごめん」
「……別に責めてるわけじゃねぇ」
 分かっている。
 十座の無骨な言葉の裏には優しさがあるのを知っている。
 だからその優しさについ甘えたくなってしまう。十座の背中に身体を委ねるように、心もすべて預けてしまいたい。十座の前ではいままで作り上げてきた皇天馬でいられなくなる。
 それが、怖くてたまらない。
「天馬、もっと頼ってくれ」
 うん、と返事をしたが掠れた声は十座の耳に届かなかったかもしれない。
 付き合えば以前よりも距離が近くなって、なんでも話せると思っていた。けれど、十座のことを好きになり、大切だと思えば思うほど、強がって素直になれない。
「俺はお前の彼氏なんだから」
 廊下には誰もいないが、まだ校内だ。誰かに聞かれたらどうするんだよ、と熱がなければ言い返したかった。
 しかし、十座のそんな自然体なところが好きだと改めて思う。いつでもマイペースで、そしてどこまでも正直な人。自分とは正反対だ。
 両腕に力を込めて、ぎゅっと十座の背中に体を押し付ける。いまの天馬にとってはこれが精一杯の愛情表現だ。
 顔は見えないけれど十座が少しだけ笑った気がした。
 嬉しい、と素直に思えた。
 次はきちんと顔を見て抱き締めたい。天馬は小さな目標を胸に、十座の背中の温かさに身を任せた。

兵皇は付き合ってからも永遠にもだもだしてそう。
二人とも根が真面目だから、相手に対して気を使いすぎて上手くいかないことが多そうです
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