分かってるくせに
朝から恋人に避けられている。
今朝はいつもより起きるのが遅くなってしまい、談話室に行くと学生組は既に朝食を食べ始めていた。
「天馬、」
おはよう、と俺は声をかけるつもりだったのに、
「太一、井川が待ってるから先に行くぞ」
「えっ、俺っちまだ臣くんが焼いてくれたトースト食べ終わってないのに」
「いいから行くぞ」
監督に見送られて二人はあっという間に出て行ってしまった。
仕方なくテーブルの椅子に腰掛けて、いまのは無視されたのか、とその理由を真剣に考えたがまったく思いつかない。
昨夜は天馬との自主稽古が終わったあと、いつものようにバルコニーで近況を話して解散した。
とくに変わったことはなかったはずだ。俺は生憎予定があって行けなかったが、高校の文化祭が楽しくて、太一とフォークダンスまで踊ったと言っていた。俺がいなくても変な奴らに絡まれていないし、充実した高校生活を送っているようでなによりだと思う。
ベッドに入るとなんだかもやもやして寝つけなかったのは、きっと食後にプリンを三つ食べたからだろう。
臣さんが用意してくれた皿にサラダを盛りながら、俺の声が聞こえなかったのかもしれない、と前向きに考えることにした。
それが今朝のこと。
どうやら思い違いなどではなく、なんと天馬は現在進行形で俺を無視している。
「天馬」
名前を呼びながら二〇一号室の扉をノックする。
大学から寮にもどったのはつい先ほど。天馬と太一もちょうど玄関で靴を脱いでいて、確かに目は合ったはずなのに、呼び止める間もなく天馬は自分の部屋へ走り去ってしまった。
太一曰く「今日の天チャンは様子がおかしいんッスよ~」らしい。
「どうおかしいんだ?」
俺が問うと、
「お昼も一緒に食べてくれなかったし、合同体育でもペアになってくれなかったし……俺っちなんかしたかなぁ」
と悲しそうな顔をしたので、大学の友人からもらった有名ホテルの期間限定チョコレートを断腸の思いで渡すと、太一はいつもの明るい笑顔を見せてくれた。やっぱり甘い物は人を幸せにすると思う。
そして、そんな天馬を追いかけて俺は部屋の扉をノックしている。返事はまだない。
「天馬」
もう何度目だろう。いっこうに返事もなければ、扉を開けてくれる様子もない。
このまま無視され続けるのは気分が悪い。せめて理由を知ることができれば、ここまでしつこく追いかけたりしないのだけれど。
「なぁ、天馬」
扉に額をつけて、中にいるであろう恋人に哀願するように言った。
「俺またなんかしちまったか?」
扉がそっと内側に開かれてわずかに体が前のめりになる。
俯いた天馬の姿が隙間から見えると、もういてもたってもいられなくて抱き締めてしまう。柔らかい髪が鼻をくすぐり、やっと近づけた充足感で胸がいっぱいになる。
「十座さん、ずるいぞ」
「なにがだ?」
「本当は分かってるくせに」
と言われてもなんのことかまったく分からない。
戸惑う俺をじっと見上げる天馬は大きくため息をつくと、
「ほら、ここ」
制服の白いワイシャツの襟をぐいっと横に引っ張り、すらりと伸びた首筋を見せた。
ぽつん、と筆で朱をのせたみたいに薄い跡。襟で隠れるか隠れないかの場所にある。
「これ……」
昨夜、天馬との別れ際に交わしたキスを思い出す。
かたちのいい額から鼻筋へ。そして薄い唇を軽く食んだあとに思わず首筋にも口づけた。
そんなに、痕がつくほど強く貪ってしまったのか、俺は。
「今度つけたら口聞かないって言っただろ! 隠すの大変なんだぞ」
「わ、悪い……マジで気がつかなかった」
「今日だって太一にバレないように必死だったんだからな」
照れているのか怒っているのか、顔を紅潮させて俺に詰め寄ってくる。その姿を、いつもの自信満々で芝居をする天馬とかけ離れていて、可愛いとさえ思ってしまう。
「次から気をつける」
「この前もそう言っただろ。もう次はないからな!」
ぽんっと拳で胸を叩かれた。それ自体は痛くないのに、なんだか胸が苦しくて、なぜ自分はキスマークなんかつけてしまったのだろうかと思う。
「十座さんは自分の気持ちに鈍感すぎる」
天馬が呆れた顔で言った。
「俺が?」
「そうだ。この前もなんで……その、これ、つけたか覚えてるか?」
それは覚えている。天馬とつきあい始めたころだったから。そしてはじめて喧嘩したときだ。
「摂津と出かけたからだろ」
「あれはもともと万里さんと買い物に行く予定があったって、ちゃんと十座さんに言った。それなのに帰ったら不機嫌だし、結局、あんな……」
はじめて喧嘩して、はじめてキスをして、はじめて抱き合って眠った。
大切にしようと思っていたのに、いざとなると自分の感情を制御できなかった。
「……嫉妬してるならそう言えよ」
あぁ、羨ましかったのか。
天馬に言われてようやく分かるなんて、俺は自分の心の正しい位置を見失ってしまったのだろうか。
太一や同級生たち文化祭で盛り上がった話を聞いて、誰にも絡まれないで一人で帰宅できるようになったことを知って、嬉しかったのに胸が苦しくなるのは、つまりそういうことだ。
気づけばこんな単純なことなのに。
「情けねえな」
自分の愚かさに耐えられなくなり、天馬の肩に顔を埋めると優しく頭を撫でられた。
「まあ、でもそういう十座さんが好きだから」
いつも救われている。
天馬の言葉に、強さに、ひたむきさに。
許されるのを分かっているから知らないうちに甘えてしまう。
ありがとう、と言うことすら恐れ多い気がして、どうしたら天馬に釣り合う人間になれるのだろうか考える。
考えてもきっと答えはでない。でも、新たに生まれた悩みのせいで、今夜も眠れないことだけは確かだった。
弊社の十座は独占欲高めです。