さあ、ゲームをはじめよう

 舞台の上でチガは別人だった。
 高校時代、いまにも消えそうな儚さを漂わせ、窓際の席から外を眺めていたあいつが、まさか世界を救う騎士を演じるなんて。思い切り笑ってやろうと思っていたのに、不覚にも胸が熱くなってしまったのは死ぬまで秘密だ。
 ナイラン公演を終えたら、もう二度とチガに会うことはないだろう。チガを裏切ったことを謝れないまま、俺はあいつの人生からフェードアウトしていく。それでいい。謝っても過去は戻らないし、俺だってそれなりに傷ついたのだから、お互い様だ。チガは舞台役者(兼ゲーマー兼商社マン)として、俺はしがないサラリーマンとして、決して交わらない道を歩いていく。
 って割と真剣に思ってたんだけど。
 なんで俺はいま三ツ星ホテルのパーティー会場で、春組の団員たちと楽しそうに笑うチガの姿を眺めているんだろう。
「意味わかんねえ」
「え? ああ、シトロン君の言い間違いのこと? たしかに『畑にもゴボウがない』を『箸にも棒にも掛からない』とは訳せないよね。さすが茅ヶ崎さん。シトロン君の言ってることを百パーセント当てられるんだって」
 うんうんと一人で頷きながら笑っているのは同僚の女性社員だ。働く部署は違うが同期入社でたまにサシで飲みに行くぐらいには仲が良い。彼女はナイラン公演の観劇をきっかけにMANKAIカンパニーのファンになったらしく、特に春組のシトロンに夢中なんだそうだ。今回の公演はシトロンが主演ということで、有休をフルに使って劇場に通っているらしい。
 そんな彼女から春組のファンミーティングに参加しないかと誘われたのは一週間ほど前。激戦のチケット戦争に俺もいくらか協力したのでその御礼だと言われた。
「外岡くん、予定が合わなくて初日観に行けなかったでしょ。協力してもらったのになにもできないのは心苦しいから、私のためだと思って一緒に行こうよ」
 実は、俺が運よく当たったのは初日のチケットで、彼女と二人で観劇するはずだったのだが、直前になって急用で行けなくなったと断ったのだ。
 もちろん急用なんて嘘だった。情けない話、劇場でまたチガに会えるのかと思うと、なんだか期待と嬉しさよりも緊張が勝ってしまい、どうしても観に行く勇気が出なかった。
 ナイラン公演のときのような意地悪な気持ちはとうに消えて、あるのはただチガへの思慕、というより自分でも引くぐらいの執着だ。どうやら俺は対チガ限定で粘着質な性格が発動するらしい。過去の恋人にだってこんな感情を抱いたことはない。
 結局、彼女の誘いを断るのが申し訳なくて、今日のファンミーティングに参加することになった。
 変装とまではいかないが、黒縁の伊達メガネをかけて、髪の分け目もいつもと変えてある。服装はスマートカジュアル。黒い細身のチノパンに、春らしい薄いブルーのジャケットを合わせた。
 丸テーブルが並んだ会場はほぼ女性で埋まっていた。テーブルには白い清潔なクロスがかけられ、アフタヌーンティー専用の三段のケーキスタンドにはスコーンやケーキが用意されている。アフタヌーンティーと言えば本場英国の紅茶だが、今回はシトロンの故郷から取り寄せた特別な茶葉を使っているとメニューに書かれてあった。
 正面に作られた壇上で春組の団員たちがスツールに座って一列に並んでいる。俺たちが座っているテーブルは会場の入り口付近で、壇上からかなり距離がある。きっと俺が来ていることはバレていないはずだ。
 シトロンの言い間違いを当てる企画コーナーが終わり、司会進行役の団員がマイクをとおして言った。
「そんじゃあ、次のコーナーに移りまーす」
 秋組の団員と言っていたが声に聞き覚えがあるような、ないような。明るい金髪とやけに整った顔に男の俺でも見惚れてしまいそうになる。
「万里、司会なんだからもっとちゃんと喋って」
「いやそれ至さんに言われたくないっすから」
 会場がどっと笑いに包まれる。派手に遊んでいそうなタイプと根暗なオタク。まったくそりが合わなさそうなのに、万里と呼ばれる団員はチガとずいぶん親しい様子だ。
 もやつく心に気づかないようにしながら、俺は独特の香りのする紅茶を口に含んだ。
「ええっと、今回はシトロンの役にちなんでファンミのタイトルが『皇帝のお茶会』なんすけど、次の企画はその名もずばり『皇帝ゲーム』です」
「イエス! ワタシがデュエリストしたネ!」
 思わず紅茶を吹き出しそうになった。
「リクエスト、かな」
 いや、分かんねえよ。チガの冷静な突っ込みから察するに、これぐらいの言い間違いは序の口らしい。
「『皇帝であるシトロンが、このボックスから引いた紙に書かれている指示を出すので、ペアになってクリアしてください。ボックスに入っている指示は会場にいる皆さんに書いていただいたものです。パスは一回まで』っつーことでまずペア作りからな」
 そういえばテーブルに白い紙が置いてあった。開演前にスタッフが回収していたからなんだろうと思っていたが、あれはこのゲームに使うためだったのか。ろくに説明も読まず、なにも書かないで渡してしまった。
 壇上では司会の万里が手際よくペアを作っていく。
 公演の役に合わせて、碓氷真澄と佐久間咲也の同学年ペア、卯木千景とチガの教師ペア、そして一人余った皆木綴は万里とペアになった。その名もゲーマーペア。どうやらゲーセンに行くのが趣味の役らしい。
 ペア名がゲーマーってことは万里もゲームをやるのかと思った途端、チガと仲が良い理由が分かってしまった。
 同僚曰く、この劇団には寮があるらしいから、万里と毎日のようにゲームをして遊んでいるのだろう。
 あの頃の俺たちみたいに。
 なんだ、オタクだって隠してないのか。少しぐらいは取り繕って生きてると思ってたのに、あいつの口の悪さもねじ曲がった性格も他の団員たちはとっくに知っているのかもしれない。
 というか、俺が『たるち』の名前をナイラン公演のプロモーションに使おうと提案したときの監督と劇団の対応。あれはチガのすべてを知っていて、あいつの居場所を守ろうとしたからなのだと、いまさら気づいてしまった。
 俺はただの道化だったってことか。馬鹿らしい。
 ゲーム会社に就職できたはいいものの、大学時代の友人にはいまだにオタクだと言えない俺からしたら、素の『茅ヶ崎至』だけでなく『たるち』すら受け入れてくれるチガの環境が羨ましい。
 これはいったいどういう感情なんだろう。
 俺はチガとまた友達に戻りたいのだろうか。でも、いまさら高校生のときのように、一緒にゲーセンに行ったり新作ゲームを夜通しプレイしたいとは思わない。そうかといって大人になったあいつと酒を飲みたいかと言われると首を傾げてしまう。だってあいつと飲む酒なんて絶対美味しくないだろ。
 そもそも俺たちの共通点はゲームってだけで、異性の趣味も食べ物の好みもまったく違う。共通点を失えば、壊れた友情の修復なんてもはや不可能だ。
 シャンデリアが吊り下げられた華やかな会場とは裏腹に、鬱々とした気分に飲み込まれていく。
 早く帰りたくて仕方がない。
 もう何杯目か分からない紅茶を空のカップの注ごうとすると、思いがけないことが起きた。
「オー! コレは困ったネ」
 四角いボックスから紙を取り出したシトロンが叫ぶ。
「バクチがはいってたヨ!」
「いや、白紙な。あーこれは無効ってことでいいっすかね?」
 万里が袖にいるスタッフに確認するように問いかける。
 もしかしたら他にも白紙で入れた人がいるのかもしれないが、ここに集まっているのは熱狂的なファンばかりだろうしそれは可能性が低いだろう。おそらくシトロンが握っているのは俺が入れた紙だ。まさかこの大人数のなかから引かれるとは思っていなかった。これでは運の無駄使いもいいところだ。
「了解っす。じゃあ無効ってことで。シトロン、もう一回引いてくんね?」
「了解ネ! パクチー落としてニューゲームするヨ!」
「白紙に戻して、かな。うまいなシトロン」
 シトロンの頓珍漢な言い間違いとチガの慣れた突っ込みで会場内に笑いが広がり、同僚の女性も楽しそうに手を叩いている。
 けれど、俺だけはどうしても笑えなかった。
 万里が小さな白い紙を折りたたんでデニムの後ろのポケットにねじ込んだのを見てしまった。この後捨てられるんだろうなと思うと、俺自身が蔑ろにされたような気がして、ため息がもれる。
 俺とチガの関係も白紙に戻せたらいいのに。
 強くてニューゲームなんて我が儘は言わないから、もう一度チガと一緒に遊んでいた日々に戻れたら。絶対に失敗しないルートを選んでやる。
 そして、もし過去に戻れるなら。教室であいつの『えんたくナイトくん』のマスコットを見つけたときじゃなくて、もっと前、入学式の日にチガと出会いたい。
 俺たちは本当の自分を隠すことなく、キャラ作りなんて不毛なこともしないで、毎日馬鹿笑いしながら平凡な学生生活を送る。
 きっと、親友になれるだろう。ゲーム以外の共通点だって見つかるし、酒を飲みながら会社の愚痴を言い合う大人になって、ナイランの新作が出るたびに一緒にプレイするのだ。
 どうやら教師ペアがお題に挑戦するらしい。二人とも嫌々立ち上がって壇上の中央に向かう。
 あんな顔、高校時代は俺といるときしか見せなかった。もう本音を隠す必要がないくらい劇団に馴染んでいるんだろう。
 俺の惨めな憂いを取りはらうかのように、
「さあ、GAME STARTダヨー!」
 シトロンの明るい声が響いた。

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