外岡くんと呪いの人形

 本当の愛を探しに行く、と言って同僚はアフリカへ旅立った。
 どうやら結婚するつもりだった彼女に振られたらしい。会社の飲み会でわんわん泣いて、飲んで、叫んでいたのを覚えているが、それから幾日もたたないうちに有給休暇と夏休みをいっぺんに申請していた。
 一ヶ月後、アフリカのコンゴだかベナンだかトーゴから戻った彼は、少し痩せていたが、帰国前より随分すっきりした顔をしていた。
「これ、外岡の分な」
 渡されたのは奇妙な人形だった。
 サイズは手のひらほど。軽さから推測するにたぶん木製。全身がペンキか絵の具で真っ黒に塗られている。細い胴体と大きな丸い頭が何ともアンバランスだ。
「何これ……」
 人形の手を摘まむと、全身がだらんと力なく揺れた。
「現地で知り合った彼女にもらったんだけど、すげえ効くから外岡にもやるよ」
「えっ、怖っ」
 思わず人形をデスクへ放り投げた。大きくくり抜かれた両目がどこか不満げに俺を見つめている。
「効くって言ってもラブのほうな、ラブ。俺はこの人形のお陰で本当の愛を見つけたんだ……いつか必ず迎えに行くって約束もした……お前も幸せになれよ」
 憐みのこもった口調に思わずイラっとする。いや、俺彼女いるから。めっちゃおっぱい大きくて料理上手の彼女がいるんだよ。しかも約束って、お前それ現地の女に騙されてるんじゃねえの?
 文句の一つでも言いたかったが大人なのでぐっと我慢した。
 同僚は俺の隣に座っている社員にも同じ人形を渡している。いくら恋に効くと言ったって、こんな変な人形を渡されても正直困るだけだ。
 俺のデスクの上にぽつんと置かれた人形は、今にも奇声を上げて飛んで行きそうな気配がする。
 彼には悪いがさすがに持って帰りたくない。
 俺はあたりを見渡して誰も見ていないのを確認すると、その黒い人形を手に取った。飲み終えた野菜ジュースのパックと一緒にコンビニ袋へ詰め込む。そして、念のためにぎゅっと固く結んで、何食わぬ顔でごみ箱へ放り込んだ。


 翌日から、仕事中に不可解な現象が起きるようになった。
 特にPC作業中が多くて、宣材の発注数量を入力してる時とか死ぬほど面倒なマクロを組んだ後とか。とにかくなんでこのタイミングでっていう時に画面が暗くなって、入力データが全て消える。PCの再起動に時間を取られて、連日深夜まで残業する羽目になった。
 楽しみしていたチガ(というかたるち)の実況配信も見逃すし、正直言ってマジで最悪。後で情報を追ったら、たるちが最弱装備の縛りプレイで新記録に迫る連続キルを決めたらしい。編集動画を見たけど、あいつ、あんなカスみたいな無料アイテムと最低課金額の武器であそこまでプレイできるとか頭おかしい。いや、褒めてんだけどさ。
 残業が続いて積みゲーは増えるし合コンにも行けないしクラブのイベントにも参加できない。付き合いが悪くなって夜遊びできる友人がどんどん離れていく。
 加えて物をよく失くすようになった。
 ハイレゾのイヤホン、スマホの充電器、買ったばかりの課金カード、さらには財布まで。ハイレゾのイヤホンは夏のボーナスで奮発したお気に入りだったのに。ちなみに、財布は飲み会帰りにどこかに落としたらしく、交番に届けたら札だけ抜き取られて戻ってきた。諭吉五枚を手にしたどこかの誰かが心底憎い。
 何かが俺の平穏な日々に侵食して、幸せを削り取っている
 日常が少しずつ狂っていく感じがする。
 生まれて初めて痴漢に遭遇したのだって、おそらく偶然じゃない。
 俺の家から会社までは地下鉄で一本。朝のラッシュが有名な沿線で、いつもは時間をずらして通勤していた。しかし、PCの不調で仕事が滞っていて、仕方なく早めに出勤したのが運の尽きだった。
 両手を動かせないほど満員の車内で、早く降りたいと心の中でひたすら念じていると、臀部に何かがあたった。鞄か傘か。雨の予報はなかったはずだ。
 固い感触の後に、するりと味見をするように撫でられて、これは痴漢だと確信した。
 男が男の尻を触る。その気色悪さと窮屈な車内の閉そく感も相まって、俺は吐きそうになった。
 遠慮がちに撫でる手が少しずつ下がって、太ももの付け根あたりまで来た時、俺は相手が何をしたいか完璧に理解した。そこだけは絶対に触って欲しくない。
 首元に湿った吐息がかかって、思わず小さな悲鳴をあげた。どうか誰にも聞こえませんように。目の前が真っ暗になるってきっとこういう感じだ。
 会社の最寄り駅に電車が止まると、俺は後ろを振り返らず一目散にホームへ飛び出した。
 とにかく逃げたい。人混みを掻き分け、階段を駆け上があり、自動改札を出ると、ほっとしたのか俺はその場で泣き崩れそうになった。
 両足が震えて、冬の朝の冷気が自分の惨めさを倍増させた。
 もうこうなっては彼女に癒しを求めるしかない。何も考えずにあのおっぱいに埋もれたい。二次元の推しよりも生身の人間からの愛が欲しい。
 だから、彼女から「別れたい」と言われた時、俺は最後の一撃を食らってLPがゼロになったラスボスの気分だった。
 彼女が言い放った別れの言葉がさらに俺の傷口を抉る。
「セックスがねちっこくて嫌」
 男としてのプライドが粉々になっただけでなく、Fカップのおっぱいも失った。
 何故こんなに嫌なことばかり起きるのか。
 もしかしたら呪われているのかもしれない。
 そんな馬鹿みたいな考えに至って、俺は初めてあの奇妙な人形のことを思い出した。両目をくり抜かれた人形が、大きな頭をゆらゆら揺らして俺を嘲笑っている気がした。


「あれ、外岡くん顔色悪くない?」
 休憩室でコーヒーを飲んでいると、女性社員に声をかけられた。同期入社で、彼女は主にソシャゲの企画を担当している。
「最近災難続きでさ…」
 人形の件は言わずに、痴漢に遭ったことや彼女に振られたことを打ち明けると、真剣な顔で心配された。
「それさ、あの人形のせいじゃない?」
 聞くところよると、彼女のチームでも例の人形をもらった社員が体調不良やケガで休んでいるらしい。
「マジか……俺、捨てちゃったんだよね」
「うわあ、それ絶対ヤバいよ。あの人形、色恋に効くとか言ってたけど、たぶん現地の彼女が浮気防止のために呪いを込めたんだと思う。愛と呪いってコインの表裏みたいなもんだから」
「ふうん、ってか何でそんな呪いとか詳しいの?」
「今度の企画、黒魔術がモチーフだから色々調べてたんだよね。あと、呪物って杜撰に扱うと報復するらしいよ。うちのチームの人なんて、キャッチボール代わりにして遊んだら翌日骨折した」
 さらっと怖いことを言われて背筋がぞわりとした。
「ちなみに私には加護があるから平気」
「えっ?」
「ふふふ」
 と笑う顔がどこか嬉しそうだ。
 加護って何。すごい気になるし、オタクの心を刺激する。特殊な呪文を唱えて、黒魔術の呪いを跳ね返す加護とか大好きなんだよな。
 そう言えば、高校の頃、チガと一緒にマーリンの禁呪魔法の詠唱をひたすら覚えたっけ。あいつ二面性のあるキャラの真似がすごい上手くて、あまりの迫力に大笑いした。
「私はね、これですべての不幸を跳ね返してる」
 首に掛けている社員証を掲げると、小さなキーホルダーがリングにぶら下がっている。どこか見覚えのある風貌をした人形だ。
「何これ」
「シトロンジュニアだよ!」
 シトロン。そうだ、チガと同じ春組に所属してる劇団員だ。ナイランの舞台化ではアーサー王を演じていて、高貴な佇まいが印象的だった。
「外岡くんが担当したナイランの舞台を私も観に行ったんだよね。そしたら、これがグッズで売ってて、幸福を呼ぶ人形って書いてあったから思わず買っちゃった」
 人形は両目の位置が微妙にズレていて視線が定まっておらず、アフリカ土産の人形と同じくらい奇妙だ。
「買って何かいいことあったの?」
「もちろん! 最後のお見送りの時に茅ヶ崎さんにハグしてもらえた」
 え、何それ。めっちゃ羨ましい。
「茅ヶ崎さんって細いのにぎゅってする時の力が強くてやっぱり男の人なんだなってドキドキしちゃった。あとね、シトロン君にこの人形見せたら『貴方に天の加護がありますように』って手の甲にキスされたの。そんなシトロンくんのファンサを見て、茅ケ崎さんと咲也くんが楽しそうに笑ってるの可愛かったなあ」
 ずるい。俺もチガの笑う顔が見たいんだけど。ナイラン公演以降、MANKAIカンパニーの舞台は観ていない。配信でチガの声は聴いてるけど、出来ることなら俺だって直接あいつと話したい。
「その加護って本物なの?」
「絶対本物だよ。だってアフリカ土産の人形をもらっても私だけ元気だし。だから休んでる人の業務も任されて残業続きで死にそう。でも、この残業代つぎ込んで次の春組公演は全通しようって思ってる」
 すっかり春組箱推しだよ、と言って彼女は楽しそうに春組メンバーについて語り始めた。
 シトロンジュニアが彼女の胸元で真っ赤な口を見せて笑っている。
「ねえ、その人形俺も欲しいんだけど」
この際、加護でも何でもいいから不幸の連鎖を止めて、俺の安穏な生活を返して欲しい。はっきり言って、痴漢には二度と遭いたくないし、これ以上物を失くすのも嫌だ。ついでに次の合コンでセックスの相性抜群な女の子と出会いたいし、ハイレゾのイヤホンも見つかって欲しい。
 そして、あわよくばチガに会いたい。
「春組のグッズだから今は買えないんじゃないかな……」
 望みは絶えた。もうお祓いに行くしかない。
「あ、次の公演再来月だから、それまで私のシトロンジュニア貸してあげよっか?」
「え、いいの?」
「いいよ。ただし条件付きね」
 キーホルダーを渡す彼女の目が急にぎらつく。
「チケット取るの手伝って!」
 がしっと肩を両手で掴まれる。衝撃で手に持っていたカップからコーヒーがこぼれてしまった。
「最近人気が出てきて全っ然チケット取れないの! しかも次はシトロンくん主演の公演だから激戦必至。生きるか死ぬか。お前が死んでも俺は生きる。推しの主演を観ずに死ねるか! みたいな戦争が起きるの!」
「へ、へえ」
 我ながら間抜けな声が出た。 
「チケット発売日に電話と劇場の窓口販売があるから、外岡くんはひたすら電話して! 私は始発で天鵞絨町に行くから! チケット取れたら一緒に観に行こうよ!」
 興奮する彼女に肩を揺すられながら、面倒なことに巻き込まれてうんざりする気持ちより、劇場でもう一度チガに会えるかもしれない期待が上回っていく。
 ああ、これもきっと呪いだ。
 俺は一生チガのことを追いかけてしまう呪いにかかっている。
 あの夏の日に自分でかけてしまった、永遠に解けない呪いだ。
「ざまぁ」
 と連続キルを叩き出すたるちの決め台詞が聞こえた気がした。

外岡にはチガに対して一生片思い(not恋愛)してほしい。
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