大好きとは言ってない
へえ、こんな顔で笑うんだ。
天鵞絨商店街の一角にできたちょっとした人だかり。どこかの劇団がエチュードでもしてるのかと思って目の端でチラ見したら、意外な男の意外な笑顔に柄にもなく見とれてしまった。
俺は駅へ向かう人の流れに逆らうように足を止めてしまって、それが運の尽きだった。
「あ、春組の」
一人が気づくとあとはあっという間だ。あちこちから悲鳴に近い叫び声があがる。
「茅ヶ崎さんじゃん!」
「え、茅ヶ崎さんにも会えるなんてめっちゃラッキー」
「これから二人でエチュードしてくれるのかなぁ」
そんわけあるか。
こちとら朝からきっちり8時間労働してきたばっかりの社畜だぞ。そこにいる体力馬鹿と違って常にHPぎりぎりで生きてんだよ。労働後のなけなしの体力はゲームのために残しておきたいわけ。こんなの小学生でもわかる理屈だよね。
そんな本音が瞬時に頭をかけめぐるが、俺は大人で、かつ外面は王子様キャラなわけで。
「今日はこれから劇団のミーティングがあるから、また今度ね」
声のトーンは若干低め。目を細めて僅かに首を傾げながら笑えば、完璧な王子様スマイルの出来上がり。
もう鏡を見て練習する必要もないし、笑う度に吐きそうになることもない。
これも俺に王子様キャラを薦めてきた姉の懇切丁寧な……いや、鬼のような特訓のお陰だ。
笑顔が効いたのか、ファンの子たちはおとなくその場から立ち去り、幾人か名残惜しそうにこちらをちらちらと振り向いていたが、それも人混みに紛れて見えなくなる。
「お前、そんなふうに笑えるんだな」
二人きりになると高遠丞が心底驚いたという顔で言った。
「いや、それはこっちの台詞だから。いつも表情筋死んでんのそっちじゃん」
「死んではいないと思うが」
癇に障ったのか、丞がしかめ面で言い返してくる。
「そうそう、その顔。台本読んでるとき、いつもそんな顔してる」
「へえ、俺のことよく見てるんだな」
含みのある言い方をされて、今度は俺の感情が逆なでされた。
「別に見てませんから」
「どうだかな。どうせさっきも俺の顔に見とれてたんじゃないのか」
「丞って自意識過剰じゃない?次はナルシストの役を綴にあて書きしてもらいなよ」
「じゃあ訊くが、『丞の顔が大大大好きなので付き合ってください』って酔っ払いながら告白してきたのはどこの誰だ?」
ぐうの音も出なかった。
「……その節は大変失礼いたしました。もう二度と酔っ払って絡んだりしません」
弱々しい声で謝っても説得力は皆無だ。
できれば忘れてほしかった、本音丸出しの告白。
本当は紬も入れた三人で飲むはずだったのに、土壇場で急用で来れなくなったと連絡が入り、まさかの丞とサシ飲み。浮かれすぎたのか、丞の顔面に気をとられすぎてペース配分を間違ったのか、とにかく俺はめちゃくちゃ酔っ払ってしまった。一人ではまともに歩けないほどに。
素面のときに酔っ払った自分の醜態を思い出すは居たたまれないし、それを丞が覚えているのはもっとつらい。丞、今すぐそこの電柱に頭ぶつけて記憶喪失になってくれないかな。
「で、そういうことでいいんだな?」
「ん?」
そういうことってどういうことでしょうか。
丞は盛大なため息をつくと、片手を額にあてて項垂れた。
「飲み会のあと、ちゃんと話をしたくて何度もお前に話しかけようとしたのに避けられ続けて、俺がメッセージを送っても既読すらつかない。だからこうして帰宅時間を狙って寮からでてきたんだ。ファンに囲まれたのは予想外だったが……俺の言っている意味、分かるか?」
「えっと……俺を振るために待ってたってことで、おけ?」
「そんなわけあるか」
とんでもなく切れ味のいい突っ込みだ。
いや、感心してる場合じゃない。
「それ以外の答えだと、もうひとつしかないんだけど……」
「じゃあそっちが正解だな」
「うそ」
「こんなところまで来て嘘をつくほど俺は暇じゃない」
こんなところ、と言いながら丞があたりを見渡す。
商店街を歩く人はとっくにまばらになっていたが、大の大人が突っ立ったまま意味ありげな会話を繰り広げる場には適さない。お互い顔を見合わせ、なんとなく気まずくなる。
どちらからともなく歩き出した。
歩きながら、そっか、俺たちって帰る場所が同じなんだよな、と至極当たり前のことを思った。
「ねえ」
「なんだ」
「ひとつ訂正したいんだけど」
隣を歩く丞の表情が曇る。
この短時間で分かったことがある。俺が今まで気がつかなかっただけで、丞ってけっこう顔に感情が出やすいタイプだ。
「今さら付き合わないとか無しだからな」
「そんなこと言わないし!」
「じゃあ、なにを訂正するんだ」
「あのときの告白、俺は『超超超好きだから』って言ったんだよ」
丞は一瞬ぽかんと呆れた顔をすると、「それってなにか違いがあるのか」と顔をくしゃくしゃにして笑った。
丞のこんな笑顔を見れるのは俺だけで、これからずっとそれを独り占めできると思うと、仕事で底をついた体力が一気に回復したような気がして、今ならどんなゲームのラスボスも一撃で倒せるような無敵な気分になった。