アンフィニ
バレンタインイベント期間中の催事場は、平日の夜とは思えないほど混雑していた。
どの店も長蛇の列が続いており、その列が他の列に合流して、さらにカオスな状態を作り出している。スタッフが叫びながら懸命に列を整列している様子は、まるで軍隊の点呼のようだ。
この人混みに飛び込む勇気はない。
丞は甘い匂いが漂う会場を後にすると、もう二度とこんな場所には来ないと固く心に誓った。
過去に恋人として関係を持った異性はいたが、イベントや記念日とは無縁で、特別なプレゼントを贈った記憶もない。だが、今回は手ぶらで帰るわけにはいかなかった。
「丞と至くん、本当に付き合ってるの?」
と神妙な顔をした紬に問われたのは昨晩のこと。
劇団内で唯一丞と至の関係を知る紬は、最初こそ「みんなに気づかれないように協力するね!」と意気込んでいたが、もとよりその必要はなかった。
極力恋人らしい振る舞いは避ける、というのが丞と至の暗黙の了解だったからだ。
だが、事情を知る紬から見ても自分たちは恋人らしくないようだ
「二人で出かけたりしてる?」
「この前早朝ランに誘ったが断られた」
「それはデートの誘いって言わないよ、たーちゃん」
「たーちゃんって呼ぶな。それに顔は毎日見てるし、あいつには俺から話しかけてる」
「同じ寮に住んでるんだから、顔を合わせるのはあたり前だし、会話をするのも普通だよ。もっとこう……恋人同士にしかできないことをしないと」
「恋人同士にしかできないことか……」
そこで丞も紬も黙り込んでしまった。おそらく二人とも同じことを考えていたのだろう。
「そ、そういう意味じゃなくて! そういう肉体的なことじゃなくて、もっと、こう、なんていうか……」
みるみる顔を赤くさせる紬が不憫で、丞はため息をついた。
「はあ……わかった。善処する」
「たーちゃんの『善処する』は信用できない。だから、これは俺からの宿題です。来週のバレンタインに至くんにプレゼントを渡すこと。適当に選ぶんじゃなくて、ちゃんと喜んでもらえるプレゼントを渡すんだよ。いい?」
紬の口調は聞き分けのない生徒をなだめる教師のようで、落ち着いた声音とは反対に、目は笑っていなかった。
笑顔で怒る紬が一番やっかいだと丞は幼い頃から知っている。ノーと言える雰囲気ではなかった。
丞は渋々紬の提案を受け入れた。が、困り果ててしまった。
考えても考えても、なにをプレゼントすれば至が喜んでくれるのか、まったく思いつかない。
掃除が嫌い。風呂に入るのが嫌い。仕事が嫌い。
至が嫌いなものはいくつも思い浮かぶのに、あの男がなにを好むのか、丞は知らなかった。
そうして一晩考え抜いた結果、バレンタインなのだからチョコレートを渡せばいいという結論に至った
食べ物なら気軽に受け取ってもらえるし、世の中はどこもかしこもバレンタインムード一色なのだから、スイーツの類は手に入りやすい。
名案だと思ったが、催事場の混雑は誤算だった。
いまから別のデパートに立ち寄ることもできるが、どこも同じような混雑状況だろう。ひとまず近隣に菓子店でもないか調べようとスマホを取り出した瞬間、
「丞?」
と思いがけない声に呼び止められた。
わざわざ車を出して都心のデパートを訪れたのは、買い物をしている姿を誰にも見られたくないと思ったからだ。まさかこんなところで一番会いたくない男に出会ってしまうとは。
振り返ると、スーツを着た至が驚いた顔で丞を見つめていた。
「茅ヶ崎さんのお友達ですか?」と至の隣に立つ女性が丞と至を交互に見比べている。
女性の問いに至がにこやかに答える。
「同じ劇団の仲間です」
「そうなんですね。では、わたしはここで失礼します。茅ヶ崎さん、今日は本当に助かりました。ありがとうございます」
「お役に立ててよかったです」
至が笑顔を見せると、その場が一瞬で明るくなる。いまも、至の周りだけ陽光が降り注いでいるような錯覚に陥るほどだ。
女性も丞の笑顔に圧倒されたようで、どこかぎこちない様子で去っていった。
「相変わらず、すごい威力だな……」
「なにが?」と丞に向かってとぼける顔は、寮で見かけるいつもの至だ。
「こんな場所でなにしてるんだ?」
丞は居心地の悪さを感じながら、至に尋ねた。
「俺は、秘書課の後輩に頼まれて一緒に贈り物を選びに来ただけ。取引先の役員に贈るらしいんだけど、前担当の俺なら好みもよく知ってるだろうって。丞は?」
「俺は……買い物だ」
この場所にいる理由を話すとなると、紬との会話を含めて説明することになる。それだけは避けたかった。
「ここデパートだから、買い物以外にすることあるのって感じだけど」
「俺のことは別にいいだろ」
「丞は俺に詮索されるの嫌いだもんね」
二人の間を険悪な空気が流れる。至がうつむいたまま続けた。
「まあ、別に言いたくないならいいよ」
長いまつげがわずかに揺れる。
丞と視線を合わせようとしない至を見下ろしながら、頭の中で紬の声が響いた。
ーー本当に至くんと付き合ってるの?
付き合う前、至はどんなことでも丞に話してくれた。
丞のよく知らないゲームの戦績だの、会社のむかつく上司だの、笑ったり怒ったりしながら話す至は、無口な自分とは正反対で、そういう姿に惹かれたのだ。
付き合ってからというもの、至は本音を飲み込むようになった。
いつから、至はこんなふうに丞の顔をうかがうようになってしまったんだろう。
いつから、自分の目を見て話してくれなくなったんだろう。
丞はようやく、自分がなにか大きな間違いを犯していたことに気がついた。
「じゃあ、俺はこのまま寮に帰るから」
「待て」
丞のそばを離れようとする至をとっさに引き止めた。至はそんな丞を訝しむように見返す。
「なに?」
「お前になにか買おうと思ったんだ」
「え、俺?」
「そうだ。バレンタインのチョコレートを買いに来たらあまりの混みようで諦めた」
「ああ、このデパートのバレンタインフェア? あれ、毎年激混みなんだよね。諦めて正解だよ……っていうか、まさか丞一人であの催事場に行ったの?」
無言でうなずく。
すると、至が顔をくしゃくしゃにして笑い出した。
「ははは、なにそれ。あんなピンク一色の場所に丞がいたとか、似合わなさすぎ」
至が目尻に涙を浮かべながら笑う。
「言っておくが、お前のためじゃなかったら、あんな場所、絶対に行かなかったからな」
ついむきになって言い返すと、笑うのをやめた至がじっと丞の目を見て言った。
「……丞、俺のことちゃんと好きだったんだね」
「当たり前だろ」
「俺だけ好きなのかなって思ってた。丞、俺が話しかける度に嫌そうな顔してたし、周りに付き合ってること知られたくないぐらいだから、やっぱり俺と一緒にいるの嫌になったのかなって―」
「そんなわけあるはずないだろ」
思いのほか大声を出してしまった。周囲の注目が自分たち二人に集中する。
このままここで立ちを続けるには男二人は目立ち過ぎる。丞は至の手を引いて人混みを抜け、とっさに視界に入った扉を開くと、そこは休憩スペースが設けられている屋外テラスだった。二月の冷たい風が吹いているテラスは無人だ。
「丞、歩くのはやすぎ」
「悪い」
謝罪はしたが、至の手は放さなかった。至に触れている掌が熱い。こんなふうに手をつないだのはいつぶりだろう。
「丞もそんな顔するんだ」
「どんな顔だ?」
「……かわいい顔?」
「なんだそれは」
「ははは、丞ってむきになると眉間にきゅって皺が寄るよね」
「茅ヶ崎は人をからかうとき声が高くなるよな」
「へえ、よく見てるね。そんなに俺のこと好きなの?」
「好きだ」
はじめからこうしてきちんと自分の気持ちを伝えればよかったのだ。
至なら口に出さなくても分かってくれる。丞のことを好きなのだから。そう思って自分の気持ちを伝えることを放棄したのは、傲り以外のなんであろうか。
「丞って本当にずるいよね。そんなこと言われたらもう怒れないよ」
至が泣きそうな顔で言う。
「お前は俺にもっと怒っていいと思うぞ」
「ははは、怒んないよ。丞とこうして話せるだけで嬉しいから。あ、でも『寮で俺に話しかけるな』って言われたときは、そんなに俺と付き合ってること知られたくないんだってかなりショックだった。あまりにもショックで、その日は万里をボコボコにした。ゲームでだけど」
「それは……」
至には笑っていてほしい。
自分にはなんでも話してほしい。
先ほどの後輩の女性に見せた笑顔ではなく、口を開けて顔をくしゃくしゃにして笑う至が好きだ。
その笑顔を、自分にだけ見せてほしい。
恋人らしい振る舞いを人前で避けたのは、自分の隣で笑う至を誰にも見られたくなかったからで、丞の独占欲が至を不安にさせていた。自分の愚かさを後悔しても遅いが、ここで黙り込んだらまた同じ過ちを繰り返すことになる。
至の手をぎゅっと握ると、触れている部分がさらに熱を帯びていく。丞はたまらなくなって至を抱きしめた。
「わっ、いきなりびっくりするんだけど」
至は驚きながらも両腕を丞の背中に回してくれる。拒絶されなかったことが、嬉しかった。至はいつもこんな気持ちで自分に触れようとしていたのだろうか。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
どこから話せばいいだろう。
顔を見られるのが恥ずかしくて、至を抱きしめたまま、丞はゆっくりと話しはじめる。
至は丞の話を黙って聞いてくれていたが、紬の宿題のくだりになると、くすくすと笑い出した。いったいどんな顔で笑っているのだろう。至の顔が見たくてたまらない。でもこうして抱きしめていたい。素直に至にそう伝えると、「丞って本当にずるいよ
」と涙混じりの声が返ってきた。
恋愛偏差値が低いぽんこつな丞は書いていてとても楽しい。
すれ違っても、喧嘩しても、結局丸く収まるのが丞至だな〜と思います。