さよなら、穏やかな日々
「丞、俺今日誕生日なんだよね」
にっと口角を上げて言ってみる。鏡のなかの俺 は完璧な王子様
スマイルを披露しているが......うん、わざとらしい。
「丞、今日ってなんの日か知ってる? ヘー知ら
ないんだ。実は俺の誕生日なんだけど......いや、
これじゃ上から目線すぎるな。丞の前だとつい口
調が強くなっちゃうから気をつけないと。誕生日
の話題ももっとさりげなくかつスマートに、あく
までも雑談のなかで思い出しました~みたいな雰囲気で......ってそんなハードモードな会話無理
だよなぁ」
ごつん、と鏡に額をぶつける。冷たい鏡面がひんやりと気持ちいい。
「うう、なんでいつもちゃんと話せないんだろ
......好きな人と満足に会話もできないなんて、俺ってポンコツすぎじゃない?」
薄暗い備品室はひと気がなく静かで、俺の情けないひとり言に反応する者は誰もいない。
MIZUNOエンタープライズに入社して約三年。ずっと秘書課の男に片想いしている。
社長をサポートする姿に一目惚れしてしまい、
どうにか仲良くなれないかとあれこれ接点を探ってみたが、スポーツ好きの丞とゲーム好きの超インドアな俺が同じ趣味の話題で盛り上がることなんて到底無理で、結局転職組で同期入社以外の共通点が見つからなかった。
しかも、いざ本人と話してみたらあまりのかっ
こよさに目を見て挨拶することさえままならず、
しかも俺が自分のコミュ障をごまかすようにつんけんした態度をとるものだから、丞には好かれるどころか疎まれる一方で......。
「つまり詰みってことなんだよなぁ」
ため息をつくと鏡面が白く曇る。
午後はシステム課に新しいIT機器が導入されるので、庶務課からは俺がヘルプに入ることになっている。せっかくの誕生日なのに残業確定だ。
丞にひと言でも祝ってもらったらテンションが上
がるんだけどなぁ、と備品室に放置されていた鏡に向かって話しかけながら脳内シュミレーションをしてみたが、まぁ無理ですよね。
終業までここに隠れていたいが、今日の来客リ
ストと頼まれている備品を秘書課に届けなければ。
その前に最後にもう一度だけ練習するか、と鏡 から顔をあげる。
「丞、俺さ――」
「何度も呼ばなくても聞こえてる」
「......は?」
後ろを振り向くと水野社長の等身大パネル(ちなみにこれは二代目。三代目は受付ロビーに飾ら
れている)の隣に丞が立っていた。
「た、たた、たす...な、なん、で...」
「お前がいきなり鏡と会話し始めるから声をかけるタイミングが分からなかったんだ」
「え、じゃあ......」
終わった。
ぜんぶ丞に聞かれてしまった。
どうしよう。どうやってごまかそう。
いや、こ の際だからもう告白しちゃう?
でも、誕生日なのに大好きな人からフラれるのは嫌だ。そんなのつらすぎる。これから毎年誕生日を迎えるたびに丞にフラれた思い出もセットでついてくんのかよ。
なにそれワロエナイ。
「あのぉ......」
「なんだ」
「なにも聞かなかったことにしていただけないでしょうか...」
「それは無理だな」
終わったー―。
さようなら、MIZUNOエンタープライズでの穏やかな日々。明日から俺は秘書課に行くたびに丞からゴミを見るような目で見られるんだろう。
「俺もお前が好きだしな」
いまなんて言った?
俺も?
好き?
なにが?
「.........冗談だよね?」
それか俺の幻聴か。
「こんなときに冗談なんて言うわけないだろ」
丞がむすっとした顔で言い返す。
「じゃあ、秘書課のドッキリ企画とか?」
「まぁ、あいつらならやりかねないな」
「やっぱり!」
「だから違うって言ってるだろ。はぁ......まったく」
丞が俺の手首をつかんでぐいっと引き寄せる。
抵抗する隙すら与えられない。
柔らかな感触が口唇をかすめた。
一瞬の、だけどきっとこれから一生忘れられないようなキスだ。
「......マジか」
「マジだぞ」
なぜか丞が勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「茅ヶ崎、誕生日おめでとう」
「これからもよろしくな、と丞が指の背で俺の頬をなでる。
さよなら、俺の穏やかな日々。
こんにちは、恋人との甘い日々。
俺はコミュ障だから、こういうときにどんな言葉で丞に愛を伝えればいいのか分からない。
だから片想いしていた三年分の気持ちを詰め込んで、ぎゅっ丞に抱きついた。