幸せの手触り

「パパ」
 そう言ってぎゅっと手を握ってきたのはブルーの瞳を潤ませた子どもだった。
「丞、いつの間に……俺という存在がありながら……」
 隣を歩いていた至が芝居がかった口調で丞をなじる。
「おい、ふざけるのはやめろ」
「冗談だって。迷子かな?」
「だろうな。それより手を離してほしいんだが……」
 見たところ五歳くらいだろうか。身長は丞の膝をようやく越すぐらいの高さ。金に近い茶色の髪はふわふわとカールしていて、ブルーの瞳と白い肌は明らかに外国の血を思わせた。中性的な顔立ちだが、デニムとボーダーシャツの格好からして男の子で間違いないだろう。
「日本語分かんないんじゃない? ねえ――」
 至が英語で話しかけると子どもはこくりと頷き、それを受けて至がまた何か問うと今度は首を横に振った。
 突然の事態にも慌てず、さらりと外国語でコミュニケーションを取ってしまう至の姿を目の当たりにすると、やはり一流商社で働くだけのことはあるなと感心してしまう。昨夜、風呂に入りたくないと駄々をこねていた男と同一人物とは思えない。
「やっぱりお父さんとはぐれちゃったみたい。ここのショッピングモールでかいからね……とりあえずインフォメーションセンターまで連れて行こっか?」
「そうだな。一人で歩けるか?」
 丞の言葉を至が通訳すると、金色の髪を揺らしながらぶんぶんと首を横にふり、さらにぎゅっと強く手を握ってきた。
「丞、気に入られちゃったね」
「怖がられるよりマシだろ。歩けないなら仕方ないな。ほら、」
 小さな身体の両脇に手を滑り込ませてひょいと持ち上げた。普段から鍛えている丞にとって、小さな子どもを抱っこするぐらい造作もない。
 急に目線が高くなってびっくりしたのか、少年は一瞬泣きそうな顔になり、丞の首にぴったりとしがみついて離れない。
 頬が涙で濡れている。泣きながらこの広いショッピングモールを一人で歩き回っていたのだろう。
 周りを見渡しても知らない人ばかりで、ようやく見つけたと思った父親は別人で、しかも言葉が通じない。
「怖かったな。もう大丈夫だぞ」
 ぽんぽんと背中を叩くと、言葉は通じなくとも丞が慰めていることは分かったようで、鼻を啜りながら小さく頷いてくれた。
「おお、本当のパパみたい。劇団のインステにあげていい?」
「ふざけてないで行くぞ。お前が迷子になっても知らないからな」
「そこは恋人なんだから探してくれるって信じてる」
 自信満々に答えるから照れるよりも呆れてしまう。
 ついこの間喧嘩した時は、「丞って俺のこと本当に好きなの」とふて腐れた顔で拗ねていたくせに。
 自分は愛情表現が苦手だから不安にさせているのかもしれない、と柄にもなく悩んだのだが、どうやら杞憂だったようだ。
 インフォメーションセンターは同じフロアだったのですぐに見つかった。
 丞たちが係員に事情を話していると、館内アナウンスを入れてもらう直前に本当の父親が現れた。
 正確に言うと、父親『たち』だ。
「パパ! ダディ!」
 駆け寄ってきた男性二人は丞と同じくらい背が高かった。そんな大男たちが迷子になった我が子を抱きしめる姿は、丞の知っている親子の再会とはかなりかけ離れていたが、少年の嬉しそうな顔を見てそんな些細なことはどうでもよくなった。
「やっぱりそういうことだったか」
 至が口元を綻ばせながら言った。
「知ってたのか?」
「あの子にパパとダディがいないって言われて、もしかしてとは思ったけど。まあ、海外だと割と普通だからね。びっくりした?」
「そりゃあな。でも幸せそうだ」
「ね。ああいう家族もありだよね」
 丞と至が話していると、目を真っ赤にして泣いてる男性が近寄ってきて、早口の英語と片言の日本語で感謝を伝えられた。男の子を抱っこしている男性からは握手を求められて、英語のできない丞はただ頷くことしかできず、それでも相手は息子に会えた喜びで興奮しているのか特に気にする様子はなかった。
 至がスムーズにその場を収めてくれて、最後はお互い気分良く別れることができた。と思ったのだが、別れ際、すっかり涙の乾いた少年が丞の頬にキスをして、不機嫌になった人間が一名。
「ずるい」
「子どもに嫉妬するな」
「俺の丞なのに」
「はあ……、さっきまでの自信はなんだったんだ」
 外国人の親子と別れ、買い物を再開しても至の機嫌はなおらないままだ。
「自信なんてないよ」
 至がいつになく弱々しく呟いた。
 いつもならこのまま言い合いになって、数日話さなくなる流れだ。そして、気まずい雰囲気に耐えられなくなり、どちらからともなく謝って、何事もなかったかのように恋人同士に戻る。
 でも、今日は違う。他人の心の機微に疎い丞でも、今日の喧嘩は根が深くなると思った。好きだから隣にいるのに、言葉で伝えるとどうしても喧嘩になってしまうのはなぜだろう。 好きがぶつかってお互いを傷つけてしまう。不本意極まりない。
「手、つなぐぞ」
「は? いきなりすぎない?」
「いいから。黙って手を出せ」
「言い方が物騒すぎる」
 逃げようとする至の手を無理やり掴んでぎゅっと握った。
 至が丞より華奢とはいえ男の手だ。
 子どもの手のひらのように柔らかくもなければ、女性の指のように細いわけでもない。
 そんな手を自分は選んだのだ。
 至と付き合うと決めた時点で、覚悟はできている。
「これで迷子にならないだろ」
「……丞って本当にずるいよね」
 休日のショッピングモールは親子連れで賑わっていて、男二人が手をつないで歩けば目立つに決まっている。
 気にならないと言えば嘘になる。
 異性と付き合っていた時でさえ、過度なスキンシップは苦手だった。
 そんな自分が、大胆にも同性の恋人と手をつないで歩くなんて。
 これがきっと惚れた弱みというやつだろう。
「ずるいのはお前だろ」
「え、なんか言った?」
「なんでもない」
 ショッピングモールに溢れている普通の家族にはなれないけれど、これが自分たちの幸せのかたちだ。そう胸を張って言えるぐらいには、隣を歩く男を愛している。

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