冷静になんてなれないよ
他人の視線には慣れているつもりだ。
昔から、それこそ遡ればまだゲームコントローラーすら握りはじめていない幼稚園時代から、至の整った顔は衆人の視線を浴びてきた。好意や憧れを孕んだ視線は浴びていて悪い気はしないが、例えば、いままさにびしびしと感じているこの視線は……あまり気分がいいものではない。
「丞、ごめん。完全に店の選択ミスったわ……」
至がため息をついて謝るのも無理はないだろう。
至と丞が向かいあって座っているオフホワイトのテーブルはアンティーク調の猫脚で、白い漆喰が塗られた壁には金の装飾で縁取りされた鏡がいくつもかけられている。店員はフリフリしたエプロンにフリフリしたスカートを履いた女性ばかり。店内を占めるのも多数の女性客で、そんなフリフリワールドにぽつんと男二人が降り立ったらどうなるか。好奇の視線を集中砲火のように浴びて身体中に穴があきそうだ。
「まあ、ちょっと驚いたが……男性客もいないわけじゃないし、そんなにおかしくないだろう」
丞が周囲の視線をものともせずに言った。
「男性客がおかしいっていうか、男二人でこういう店に入るのがおかしいんだよ」
ため息をついて頭を抱える。
同僚から「取引先からもらったけど、俺彼女と別れたばっかりだから茅ヶ崎にやるよ」とクーポンを渡されたときに店を調べておくべきだった。週末に丞と出かける予定が入っていたから、せっかくだから行ってみようと店を訪れ、ファンシーな店構えに怯んでいるところを「お二人様ですねー」と流されるように店内に入ってしまった。
「出たい、いますぐこのフリフリした空間から出たい」
至が周囲に聞こえないように小声で唸ると、
「いまさら出るわけにいかないだろ。メニューは普通のカフェと変わらないし、食べたら意外と美味しいかもしれないぞ」
なんでそんな冷静なの、と丞の胸ぐらをつかんで叫び散らしたい。
通路を挟んだ壁側に座っている女性二人組が、あからさまな視線こそ寄こさないが、「二人で来てるのかな」「彼女待ってる雰囲気じゃないよね」「えー、声かけてみる?」とまったく潜めていない声で会話している声が聞こえて、居たたまれなくなる。
げんなりした気分でメニューを眺めていると、
「ご注文はお決まりですか?」
と女性の店員が注文を取りに来た。
「あーずるい」「うわ、抜け駆けか」と店内から避難めいた声が上がって、それがまた至のテンションを下げた。動物園のパンダじゃねえんだよ、ゆっくり食事くらいさせろや、と喉まで出かかる。
「茅ヶ崎、注文は決まったか?」
「あ、まだだけど……そうだ。これ、使えますか?」
すべての元凶であるクーポンを見せると、店員の張りついた笑顔が歪み、少し困ったような顔になった。
「すみません、こちらはカップルの方のみお使いいただけるクーポンでして……」
はっとしてクーポンの文面を確かめると、右下に小さく「当日一回限り有効」「ディナーメニューでの使用不可」「本券はカップルまたはご夫婦でご利用いただけます」と記載されている。
「あー、じゃあ使えないですね」
クーポンを使うために店を訪れたのに、そのクーポンが使えないなんて。今日は散々だな、と至が己の不運を嘆いていると、
「カップルです」
と丞が店員に向かって言った。
店員はなにを言われたのか分からなかったのだろう。その顔からすっかり笑顔が剥がれて、眉間に皺が寄っている。ちなみに至も丞がなにを言ったのかよく理解できていない。
カップルって?
まじか?
俺たちいつから付き合ってたっけ?
「た、丞……?」
「だから、俺たちはカップルだろ? 付き合ってるんだから」
顔色ひとつ変えず、淡々と告げる丞に圧倒されて、至は「え、あ、そうだね。うん、付き合ってるよね」としどろもどろに答える。
店員が戸惑いながらも「では、クーポンをお預かりします」と至の手からクーポンを受け取る。「ランチプレートにアイスコーヒーをつけてください。茅ヶ崎も同じのでいいか?」と丞に問われ、至は頷くことしかできなかった。
周囲の視線がさらに密度を増した気がする。
「俺たち、付き合ってたの?」
店員がいなくなったあとに丞に尋ねると、「告白する手間が省けた」とさらりと打ち明けられた。
「なんでそんなに冷静なの……」
と今度は声に出して呟くと、「別に冷静じゃない」と言った丞の顔がいつもより赤い気がして、至はなんだかお腹も心も満たされたような気分になった。