白の葬送

 虎杖悠仁は十五歳で死ぬ。 
 正確に言えば、十五歳の誕生日を迎えてから一年以内に死ぬ。
 脹相がそれを知ったのは、三月二十日深夜。
 いま、この瞬間だ。
 真っ赤な血の海。自分の腕の中でぴくりとも動かない悠仁の体。慟哭に打ちひしがれる自分の背中。
 ふたりの周りには誰もいない。無音の闇のなかにあふれる鮮血。誰が悠仁を殺したのか。
 天啓のように答えが閃く。
「呪霊だ」
 生まれてから一度も発したことのないその単語を口にした途端、脹相はすべてを思い出した。
 脳内に残酷なほど鮮やかに浮かんだ、かつての記憶。それは一瞬で消えることなく、つぎつぎと新しい記憶の奔流が脳に流れ込み、脹相は耐えきれずに悲鳴をあげた。
「脹相? どうした?」
 隣で眠る悠仁が驚いたように起き上がった。
 脹相は枕に顔を埋めたまま、なにも言えなかった。
 悠仁と目を合わせるのが怖い。体が震える。
 どうして、どうして、と答えの出ない問いが頭をめぐる。
「そんな大きい声だしたらじいちゃんが起きるだろ。どうしたんだ?」
 悠仁が脹相の肩をなでる。
 優しい手つき。それは―紛れもなく夜中に突然叫びだした家族を心配する手つきだ。
 そこに兄弟以上の感情はない。
「お前、泣いてんのか? 怖い夢でも見たなら、兄ちゃんに話してみろよ」
 兄ちゃん。悠仁が自分の兄。
 いままで何十回、何百回と生まれ変わってきたけれど、血の繋がった兄弟として悠仁と出会うのは今回がはじめてだ。しかも悠仁は自分より年上。この瞬間、記憶が戻るまで実の兄として慕ってきた。
 けれど、もう無邪気に彼を兄とは呼べない。
 脹相はゆっくりと顔を上げると、「ゆうじ」と小さく呟いた。
「なに呼び捨てしてんだよ。お前、高学年になってから生意気だぞ」
 悠仁は言葉こそ怒っているようだったが、脹相をからかうときの、いつもの明るい笑みを浮かべていた。
 脹相の頭をぽんと軽く撫でる。
「ほら、寝るぞ」
 悠仁が掛け布団をまくり、脹相へなかに入るように促す。
 脹相は悠仁の隣にもぐり込む。悠仁が「お前、温いなあ」とまどろみながら脹相を抱きしめる。
 悠仁だ。温かい。生きている。
 とくとくと刻む心音は、確かな生の証なのに、いまの脹相には死へのカウントダウンに聞こえる。
 最期に悠仁に触れたときの冷たくてかたい感触が蘇ってきた。
 悠仁は、あと一年以内に死んでしまう。
 今度の脹相もまた、それを止める術はない。
 悠仁の胸元に顔を埋めながら、脹相はこれまで何度も繰り返してきたように、赤く染まった過去と、消せない記憶と、逃げられない未来に思いをめぐらせた。
 はじめに悠仁が死んでから、脹相は何度も新しい生を受け、その度に悠仁と出会った。
 これで何度目だろうか。
 最初は数えていたけれど、もうとっくの昔にやめてしまった。果てしない時間の流れに組み込まれ、脹相はそれから抜け出すことができない。
 記憶が戻るのは決まって同じ日、同じ時間。
 悠仁が十五歳になった瞬間に、脹相はすべての記憶を取り戻す。
 ただ、悠仁との出会い方は、転生する度に異なった。
 歳の離れた幼馴染み。古い団地の隣同士。同じ学校の先輩と後輩だったこともある。
 知り合いに家庭教師を頼まれて、家に行ってみると教え子が悠仁だった、なんてこともあった。
 出会うことが必然なら、別れは天命だ。
 事故、事件、病気。自死もあった。
 どんな手を打っても必ず悠仁は死んだ。
 脹相の目の前で。まるで、己の無力さを天から突きつけられているように。
 どうにもできない無力感が脹相を襲う。
 鼻の奥がつんと痛くなる。脹相は思わず悠仁の胸元をぎゅっと握りしめた。
 体が子どものせいか、思考は成熟しているのに、つい幼い行動をとってしまう。
 記憶が戻るまで何年もこの体で生きてきたから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
「脹相、やっぱり眠れないか?」
 悠仁の心配げな声が落ちてくる。
 脹相がこくりと頷くと、「じゃあ、俺の夢と交換するか?」と悠仁が言った。
「こうかん?」
「おう。俺が見た夢と交換。聞きたいか?」
「うん」
 悠仁はにやりと悪戯っぽく笑う。
「お前が叫ぶ前な、俺、変な夢見てたんだよ。……その夢のなかでさ、なんとお前は俺の兄貴で、俺がお前のこと『お兄ちゃん』って呼ぶんだよ。しかもなんかよく分かんない敵と二人で戦ったりして、漫画みたいな技とか使っちゃって」
 変な夢だよなあ、と悠仁がからからと笑う。
 交換できるものなら。
 自分が悠仁の兄になりたい。
 いや、兄以上の存在になりたい。そう思うのは、罪だろうか。許されないのだろうか。
 だから俺は―。
 自分に問いかけた瞬間、脹相の頭のなかに恐ろしい答えが浮かんだ。
 記憶が戻るたびに疑問に思っていたこと。
 なぜ脹相だけが記憶を取り戻すのか。
 なぜ兄弟として出会えなかったのか。
 なぜ、悠仁は死ぬのか。

 そんな。それじゃあ俺は―。

「え、泣くほどつまんなかったか?」
 悠仁の声で、ようやく自分がぼろぼろと涙をこぼしているのが分かった。
「ゆうじ」
「だから呼び捨てにすんなって」
「ゆうじぃ」
「はいはい。もう好きに呼べよ」
 悠仁があきらめたように言った。
 悠仁は死ぬ。何度も、何度も。
 脹相がどんなに力をつくしても。
 これは罪の代償だと、脹相はようやく理解した。
 呪霊から人間となったのに、悠仁を救えなかった罪。
 ぜったいに死なせないと約束したのに、死なせてしまった罪。
 兄弟以上の気持ちを抱いてしまった罪。

 今回自分のほうが年下に生まれてきたのは、天からのだめ押しのようなものだ。
 悠仁はもう二度とお前を兄と呼ばない、お前の罪はどうやっても償えない、と脹相に分からせるために。
 止まらない涙が悠仁のシャツに吸い込まれていく。
「こんな泣き虫の弟にはやっぱり俺みたいなお兄ちゃんがいないとな」
 悠仁がシャツの袖口で脹相の涙を拭う。
 逝かないでほしい。
 死なないでほしい。
 ずっと俺のそばにいてほしい。
 でも、だめなのだ。自分のそばにいては。
 記憶が戻ったばかりなのに、もうこんなにも悠仁がほしい。
 血の繋がりなど越えて、悠仁のすべてを自分のものにしたい。
 呪物から人間になった自分はこんなにも強欲だ。こんな強欲な自分が悠仁を幸せにできるはずがない。
 悠仁は脹相に汚されることなく白いまま死んでいく。
 幾たびも。
 永遠に生と死を繰り返す。そして脹相はそれを見届けなければならない。
 もしかすると、これは天からの罰なんかじゃないのかもしれない。
 脹相が願い、自分で自分に罪を与えているのかもしれない。
 そう考えたほうが、いくらか救いがあるような気がするし、狂わなくてすむ。
 これからも途方もない時間が待っている。狂ったほうがどんなに楽だろうかと思うほどの。

 脹相は悠仁の柔らかい髪に手を伸ばし、その感触を忘れたくないと願った。

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