最良の日々

時系列でお話が進みます。順番にお読みください。

淡い光を殺した日

「見せたいものってなに?」
 円の声は震えていた。
 志太はリュックに突っ込んだ手を止めて、円の顔を覗き込んだ。
「円、なんか怒ってる?」
 顔を左右に振る円は怒っているというより、困惑している様子だ。志太の隣で居心地が悪そうに正座をしている。両手の拳はきゅっと結んでお行儀良く膝の上。
 なんでそんなに緊張しているんだろう。
 円の強張った顔を見てるとなんだか誘拐犯にでもなったような気がする。別に頭に塩をふって嚙みつこうとか、悪戯しようなんて思っていないのに。人を傷つけて楽しむ趣味はないし、むしろ円は守ってやりたくなるタイプだ。傷つかないように柔らかい毛布にくるんであげたい。生憎、この家には使い古した硬い布団しかないが。
 休日の今日、「家に来て欲しい」と頼んだのは志太だ。バイトが終わってすぐ、どうしても円に会いたくて電話してしまった。リュックに入っているものを見せたくて。きっと驚くはずだ。円は特に用事はないから大丈夫だと言っていたけれど、この様子だと志太の勢いに負けて渋々来てくれたのかもしれない。悪いことをしてしまった。でも、どうしても今日、円に会いたかったのだ。
「足崩したほうがいいよ。これ、ぜんぶ見るのにけっこう時間かかるから」
 リュックから正方形の透明なケースを取り出す。円は一瞬顔を背けようとしたが、ケースの中央に貼られているラベルを見ると驚いたような声を出した。
「これは、兄さんの……」
「そう、円のお兄さんが主演した舞台の公演記録。円、見たことないでしょ」
「うん。でも、これ非売品って書いてあるよ」
 ケースを手渡すと、円はおずおずとそれを受け取った。
「実は俺、莇の初舞台を観に行けなかったんだよね。ちょっといろいろあってさ。それがすっげー心残りで、映像だけでも見たいって言ったらDVD貸してくれて。ついでの他の組の公演の映像もお願いしたら、これも貸してくれたんだよね。ほら、いろいろ見たほうが芝居の参考になるし」
「そうなんだ……」
 円はまるで、世界にひとつしかない宝石を手にしたような眼差しで志太から渡されたケースを見つめている。
 こんなに喜んでくれるとは。志太の予想を上回る喜びようでこちらも嬉しくなってしまう。
 いつからだろう。いつも淡々としている円の表情を変えてみたいと思ったのは。
 笑った顔、怒った顔、困った顔。
 どんな顔でも見てみたい。そして、あわよくば円が笑う理由が自分だったら嬉しい。円の隣にいて、誰も知らない円を自分だけのものにしたい。どうしてこんな気持ちになるんだろう。
 中学時代に何人かの異性と付き合ったけれど、こんなふうに誰かになにかをしてあげたいと思ったのははじめてだ。
 好きだと言われたから付き合って、遊びに行きたいと頼まれたからデートして、もっと一緒にいたいからと誘われてセックスする。その繰り返し。あらかじめ決められたコース料理を順番に食べるみたいに。座っているだけで目の前にご馳走が運ばれてくる。そこに自分の気持ちがあるのかと問われると、あったのはたぶん性欲ぐらい。
 円に対する気持ちはもっと複雑で、好きで収まるような感情じゃない。もっとちゃんと言葉にできたらいいのにと思う。高校生の語彙力なんてたかがしれている。
 かわいい。すき。もっといっしょにいたい。
 どれもしっくりこない。
 言葉にできないから、自分の気持ちを確かめたくて、こうして円と二人きりで会える口実を必死で探している。
 莇にお前の主演舞台を観たいと電話をしたとき「それだけで連絡したんじゃないだろ」と本心を見透かされて、恥ずかしくてたまらなかった。恋愛関係の話題に疎いどころか赤面して拒否するくせに、あいつは妙なところが鋭い。「円に夏組の公演を観せたいんだよね」と言うと、「本当はそっちがメインなんだろ」と笑われて、志太と同じバイト先の九門にディスクを渡してくれると約束してくれた。そして今日、九門とシフトがかぶったバイトが終わると、いてもたってもいられなくて円に連絡したのだ。
 たかが一枚のDVDを借りるだけでこんなに周りくどいことをするなんて。でも、円が喜んでくれるならなんだってしてあげたくなる。例えそれが法に反することでも(例えば実の親を殺してほしいとか)、きっと志太は喜んで引き受ける。
 自分がなにかをするのはもちろん、円に請われればなんだってできる。それこそ、舞台の上で死んでほしいと言われたら本当に死ねるかもしれない。
 もう一生顔も見たくないと言われたら、顔が見えないところでずっと円のことを思っていられる。それか、整形してまったくの別人になって円の前に現れるか。
 けっこうヤバい思考にはまっているという自覚はある。
「志太のことを誤解してたみたい。ごめんね」
 志太がプレーヤーの電源を入れようとリモコンを探していると、円が申し訳なさそうに言った。
「誤解って?」
 まさか、自分の考えがばれたとか? 
 できれば円には、俺がまともな思考の持ち主だと誤解したままでいてほしい。
「その……見せたいものって、そういう映像かなって思って……」
 そういう映像とは。
 志太が黙っていると円の顔がぱっと赤くなり、
「な、なんでもない。忘れて」
 とかわいそうなくらい焦り始めた。
 そういう映像ってつまり、あれか。AVか?
「円、そういうの見るの!?」
 円とAV。意外な組み合わせすぎて頭がくらくらする。
 どんなプレイが好きなの、とか訊いてもいいんだろうか。同性だから別にセクハラじゃないよな。
「ち、違う。見ないよ。ただ……その、高校生のときに同級生から勉強を教えてほしいって言われて家に行ったら、そういう動画を見せられて……」
「は? なにそれ」
 自分でも驚くほど低い声だった。
 円の肩がびくりと震える。
「もちろん嫌だって言ったよ」
「それってつまり、円が嫌がってるのに無理やりってこと?」
 円がこくりと頷く。
「俺がそいつと同じことすると思ったの?」
 円がうなずきかけて、困ったような顔で志太を見返した。
 意地の悪い質問だと分かってはいたけれど、円のなかで、無理やりエロ動画を見せてくる奴と自分が同類だと思われていたことがショックで、どうしてもきつい言い方になってしまった。
 なんだよそれ。
 俺ってそんなに胸糞悪い人間に見えるのか?
 頭のなかで考えていることはともかく、人当たりはいいほうだと思っていたのに。
 円を喜ばせるどころか、怖がらせていたなんて思いもよらなかった。
「ごめん、志太」
 円が掠れた声で謝る。
「怒ってないって」と言いたいのに、まるで接着剤で固めたみたいに口が動かない。「そんなことするわけないじゃん」と笑ってごまかせばいい。ただの笑い話にして、なにも気にしていないように振る舞って、円の不安を取り除いてあげればこの微妙な雰囲気を一瞬で終わらせることができる。
 でも、できなかった。
 俯く円の顔を両手ですくい上げるようにして上向かせる。ほとんど衝動的に。そしてためらうことなく円にキスをした。
 唇に触れた瞬間、円の身体が一気に強張ったのが分かった。 
 志太の手から逃れようと僅かに顔を捩らせる。
 逃がしたくない。
 その一心で柔らかな唇の合間に自らの舌を入れ込む。強引に、でも傷つけないように細心の注意を払って。自分にまだ理性が残っていることが驚きだ。できることならこのまま押し倒してしまいたい。
 もっと円を味わいたい。食べ尽くしてしまいたい。
 円が喘ぐように息継ぎをする。互いの唇が離れてもまだ痺れるような感触が残っている。
 円にとってこれがはじめてのキスだろう。AVで赤面するぐらいなのだから。
 守りたいものを自分から壊すことがこんなにも心地いいなんて知らなかった。
 円の華奢な肩を抱きしめる。
 最低な人間になった気分は最悪で、最高だ。
 このまま円を自分のものにできればいいのに。
 志太は腕のなかで震える円に気づかないふりをして、もう一度、噛みつくようにキスをした。

BACK TO NOVEL