最良の日々
時系列でお話が進みます。順番にお読みください。
まどろみの佳日
「円、そっちにあった?」
ハンガーにかけられた大量の衣装の隙間から、志太の声がくぐもって聞こえる。
「うーん、こっちにもないみたい」
「ないかー。やっぱスタッフの人に聞いてみるしかないかな」
志太の残念そうな声に、円は生地が並んだ棚を探る手を止めた。
部屋のなかをぐるりと見渡す。GOD劇場の衣装部屋は学校の教室ぐらいの広さがあり、そこに膨大な衣装が保管されている。基本的に衣装は毎公演新調するから、GOD座の歴史が続くかぎり、衣装も増え続ける。デザイナーが普段作業している部屋も入れると、衣装関係だけでいったい何部屋あるのだろうか。
脚本家の円は衣装部屋を訪れることはほとんどない。だが、志太が衣装合わせの際に脱いだ私物のマフラーをどこかに紛失してしまい、あるとしたら衣装部屋しかないということで、稽古後に二人で探すことになったのだ。
でも、この広さだ。二人だけでは到底探しきれない。
「あのマフラー、円からプレゼントされたやつだから、ぜったい見つけたいんだよなー」
声が近くなったと思ったら、いつの間にか後ろに志太が立っていた。振り返ると自然と目が合って、ただそれだけでお互い笑顔になる。
背の高い志太と視線を合わせるのにも慣れたな、とこういうときに実感する。
稽古後にシャワーを浴びたのだろう。志太からは清潔なにおいがした。
「やみくもに探すよりスタッフの人に聞いたほうがいいかもね……って、それなに?」
志太の両手から薄い布が垂れ下がっている。脇に抱えているのは……花束だろうか?
「ベール? ほら、円に似合うかなって」
「わ、勝手にかぶせたらダメだよ」
GOD座の衣装はすべて生地から発注している。一般には出回っていない高価な生地ばかりだ。なかには海外から輸入しているものもあると聞く。この一見してただの薄いベールだって、きっと縁取りや刺繍にものすごい時間と手間がかかっているはずだ。
「いいから、いいから」
ふわりと薄いベールが頭に被せられると、視界が白くぼやける。志太の顔の輪郭がかろうじて分かるぐらいだ。「ほら、これも持って」と続けて渡されたのは白い造花のブーケ。
「稽古用のブーケで造花だから」
「稽古用でも勝手に使ったらダメだって」
ベールを外そうとしたが、その手を志太がつかんで、そのままぎゅっと握ってきた。
きっとまた円を笑わせるような悪ふざけでも考えついたのだろう。こういうときの志太には逆らわないにかぎる。
「えーっと、なんだっけ。うんぬんかんぬんなんとかかんとか、病めるときも健やかなるときも、元気なときも落ち込んでるときも、二十四時間三百六十五日、斑鳩円を愛し抜くことを誓います」
ベールのせいで志太の顔ははっきり見えない。よくとおる声だけがよどみなく円の耳に届く。ブーケを持っていない手を志太がそっと持ち上げた。手の甲に柔らかな感触を感じて、ようやく円は声を上げた。
「なっ……なにしてるの!?」
「なにって……プロポーズ?」
言葉が続かなかった。こんなとき、いったいどんな反応を返すのが正しいのだろう。たくさんの脚本を書いてきたけれど、円に恋愛関係の引き出しは多くない。
「高校卒業したばっかだけど、こういうのははやければはやいほうがいいかなーって」
志太がいたずらっぽい口調で言う。
もしかして、マフラーをなくしたのは口実で、すべて円を衣装部屋に来させるために仕組んだことなのだろうか。だとしたら呆れてしまう。
手が込んでる割に、誓いの言葉はめちゃくちゃで、それがまた志太らしい。
「誓いの言葉、ちゃんと言えてなかったよ」
円は苦笑いで志太に言った。
「まぁ、そこはアドリブってことで」
悪びれる様子もなくさらっと言うからおかしい。円が笑うと、目の前で白いベールが揺れた。
「円、顔見せて」
ベールがゆるやかに持ち上げられて、志太の嬉しそうな顔が目に入ると、呆れた気持ちはどこかに吹き飛んで、じんわりと胸が熱くなった。
「俺たちが付き合ってるって知ったときの晴翔さんの顔、めっちゃウケたよね」
志太の思い出し笑いにつられて、円も笑顔になる。
志太が高校を卒業するタイミングで、晴翔に二人のことを打ち明けた。そのときの晴翔の驚いた顔を円は一生忘れないだろう。
「方言が丸出しになっちゃってたよね」
「おもしろかったよなー」
ひとしきり二人で笑い合って、ふと訪れた沈黙が合図のように、どちらからともなくキスをする。
「円、大好きだよ」
志太が迷いなく告げる。
「僕も。志太が好きだよ」
偽りのない本心を口する。
幸せが確かに存在した、夢のようなひとときだった。