丞至同棲本
2018年に発行したコピ本の再録です。同棲している丞至のお話です。
半年目の夜ラーメン
家から徒歩十分の場所にラーメン屋ができた。老夫婦が二人でやっている、ラーメンの種類も塩と醤油しかない小さな店だ。茅ヶ崎曰く、値段の割になかなか美味いらしい。劇団の奴らと一緒に行ったら、トッピングや替え玉をおまけしてくれたと言っていた。
「丞も一緒に行こうよ」
日課の腹筋をこなしている俺の部屋にやって来て何を言うかと思えば。誘われるのはもう何度目か分からない。
「俺はそんな高カロリーなものは食べない」
「一回くらいじゃ太んないって」
「お前、先週の衣装合わせの時に瑠璃川に痩せろって言われてなかったか?」
「うっ……」
両耳を塞ぐ仕草をして茅ヶ崎がしかめ面をする。
どうしてそんなに俺と一緒にラーメン屋に行きたいのだろうか。他の奴らを誘えばいいのに。その方が賑やかで楽しいに決まっている。
腹筋を終えて立ち上がると、心地よい疲労感が体に広がった。明日から客演先の立ち稽古が始まる。今夜は早めに休んでコンディションを整えたいところだ。
「でもそのラーメン屋、冷やし中華あるんだよね。裏メニューで」
ベッドの端に腰かけた茅ヶ崎が、足でダンベルを転がしながら言った。好物の冷やし中華を話題に出されては、断る理由が無くなってしまう。
「……一回だけだぞ」
「っしゃー! じゃあ、そうと決まれば今から行こうよ」
「は? 今何時だと思ってるんだ」
「まだ十二時じゃん。ラーメンは夜に食べるのが美味いんだって」
はよはよ、と促されて着の身着のまま玄関を出る。半袖シャツの上に部屋着のジャージを羽織っただけ。外に出ると冷たい夜気に思わず身震いした。前を歩く茅ヶ崎も、寮にいた頃から着ている黄色のスカジャン姿で、露わになった首筋が寒そうだ。
「寒っ」
細い肩をぶるっと震わせたので、
「まあ、もう十一月だからな。ほら」
手を差し出すと、振り向いた茅ヶ崎はぽかんとした顔で俺を見返した。
「なんだ? つながないのか?」
「つ、つなぐ! つなぐつなぐ!」
「ふっ……犬みたいだな」
必死な顔が面白くて笑うと、茅ヶ崎はどこかほっとしたような様子で俺に言った。
「……丞、怒ってない?」
「別に怒ってないが……お前なんかしたのか?」
キッチンに放置された食べかけのカップヌードルもリビングのあちこちに落ちている課金カードにもすっかり慣れた。
「いや、怒ってないならいいんだけど……ほら、俺最近さ、ラーメン屋もそうだけど丞以外の奴らとよく連んでるから……万里とか綴とか」
ああ、確かに。
週末に稽古と公演が続いて最近はデートらしいデートもしていない。俺が相手できない日に、ゲームばかりして一日中部屋に閉じこもっているよりは、摂津や皆木と出かけた方が健康的だろう。怒る理由などない。
俺の生活はどうしたって芝居が中心になってしまうから、この互いに干渉し合わない距離感は丁度いいと思う。同棲をしたいと思ったのも茅ヶ崎は「芝居と私どっちか大事」なんて下らない質問をしないからだ。
「お前の好きなように過ごせばいいだろ」
「ほら! そうやってちょっと拗ねるじゃん」
「拗ねてない」
いや、もしかしたら拗ねてるのか?
近所のラーメン屋だって特に行きたいわけではないが、一番に誘って欲しかったとか?
「丞ってさ、なんか言いたいことあると筋トレ増えるよね?」
「そう、か?」
「そうだよ」
手をつないでいると、冷たかった茅ヶ崎の指先がだんだん温まっていく。
暗い夜道の先にラーメン屋からこぼれるぼやけた灯りが見えた。出汁の香りが微かに漂っていて、ないはずの食欲が刺激される。
「俺は……醤油だな」
冷やし中華を食べるのは次回でいい。これから何度でも二人で食べに来るだろうから。
「ちなみにおすすめは固麺ネギ増し増し煮卵チャーシュートッピングね」
ああ、お腹空いた、と茅ヶ崎が呟く。
同棲を始めてまだ半年しか経っていないのに、いつの間にか茅ヶ崎が俺の生活の一部になって、それを悪くないと思っている自分がいる。
ずっと芝居が一番だった。誰と付き合っても俺にとっての最優先は芝居で、限りある時間をすべて演劇に費やしたいと思っていた。
でも、一番がひとつだけなんて決まりはない。
ラーメンのトッピングとおなじで何個あってもいいのだ。そんな色気のないことを思いながら、無性に茅ヶ崎のことを抱きしめたくなった。