丞至同棲本
2018年に発行したコピ本の再録です。同棲している丞至のお話です。
午前八時の恋人
朝のランニングから帰宅するとまずシャワーを浴びる。熱いくらいの温度で一気に汗を流せば、今日も一日頑張るぞというやる気が満ちてくる。学生の頃から十年以上続けているルーティンは、MANKAIカンパニーの寮を出て、茅ヶ崎と同棲を始めてからもずっと変わらない。
朝食は軽めが基本だ。朝の情報番組から流れる天気予報と芸能ニュースを横目に、プロテイン入りの野菜ジュースを飲む。かなり気に入ってる味だけれど、「もう二度と飲みたくない」と茅ヶ崎には不評だ。
俺から言わせると、あいつが作る市販の栄養ドリンクをミックスした飲み物のほうがとんでもない味だ。はじめて口にした時の衝撃と言ったら。大量の水を飲んだのに、喉の奥にねっとりした甘みがへばり付いて仕方なかった。
お前は味覚がおかしい。
丞だって。
思い返せばくだらない事この上ないのだが、些細な言い合いは喧嘩に発展して、それから暫く冷戦状態が続いた。口もきかなければ、食事も一緒にとらない。茅ヶ崎は自室にこもってひたすらゲームをして、俺は俺で、もうあいつなんか知るかという気持ちでいっぱいだった。
懐かしい。あの頃は二人ともまだ二十代で、今よりもっと不器用で幼なかった。「何でも言い合える」と「何を言ってもいい」の微妙な境界線が分からず、どこまで相手に踏み込んでいいのか戸惑ってばかり。若かったな、と思わず笑いが込み上げてくる。
ぐっと残りのドリンクを一気に飲みほす。茅ヶ崎はまだ眠っているのか、まだ起きてこない。キッチンカウンターに置いてある時計を見やると、そろそろ遅刻ぎりぎりの時間だ。
朝が苦手なあいつを起こすのもすっかり俺の日常になってしまった。大声で「起きろ」と言っても起きないし、なんとかベッドから起き上がっても、俺に寄りかかったまま眠りに落ちる。二度寝、三度寝は当たり前。正直言って面倒くさい。でも、
「丞は俺専用目覚ましだね。恋人は目覚まし時計って替え歌とかどう?」
楽しそうに言うもんだから、最近ではまあいいかと呆れながらも許してしまっている。
「丞、おはよ」
一瞬、幻聴かと思った。
しかし、リビングの扉を開いて入ってきたのは間違いなく茅ヶ崎だ。寝起きのはずなのに、既にアイロンのきいた白いワイシャツを着て、ネクタイを首にかけている。よれよれのジャージではなく濃紺のスラックスを履いている姿は、徹夜の名残をまったく感じさせない。
同棲して何年も経つのに、毎回その変容ぶりに驚く。
演技では負けるつもりはないが、外見の作り方で茅ヶ崎の右に出る奴はいないだろう。
「へえ、自分で起きられたのか」
「あれ、後輩の結婚式に行くって昨日言わなかったっけ?」
カフスボタンを器用に留めながら、俺の隣に腰を下ろす。ソファが二人分の重みを受け止めて沈んでいく。
「言ってないな。というか今日は何曜日だ?」
「土曜日だよ。自由業特有の曜日感覚ありませんアピールやめていただけます〜?」
アピールしているつもりはないが、曜日感覚がないのは認める。
そうか、今日は土曜日か。起こす必要なんてなかったのに、自分だけ時間を気にしていたのかと思うとどこか気恥ずかしい。
「帰りは遅くなるのか?」
「いや、披露宴が終わったらすぐ帰ってくる。夜からオンゲーの五周年イベントも始まるし。丞は?」
「午後から稽古だ」
「ええ、迎えに来てもらおうと思ったのに」
大きくため息をついて、まだセットされていないぼさぼさの髪を両手でかきあげる。
いつもより疲れて見えるのは気のせいだろうか。
「どうした。何かあったのか?」
「今年に入って結婚式行くの何回目かなって。出産祝いだってもう何人に送ったか分かんないよ」
茅ヶ崎の言いたいことは分かった。
現実として俺たちの関係がこれ以上進むことはない。同じような毎日を繰り返すことの、幸せと不毛さ。一緒に住めるだけで嬉しい、と素直に思えた日々は遠い昔だ。
お互い口には出さないけれど、他人の人生の節目を目の当たりにすると、どうしてもこの関係を確かなものにする何かを求めてしまう。
男同士の同棲生活なんていつ終わってもおかしくないのだ。 それを茅ヶ崎も俺も知っていて、はっきりと言わないだけで心のどこかで気にしている。
「何時に迎えに行けばいいんだ?」
話題を変えるように尋ねた。我ながらごまかすのが下手くそすぎる。
「三時ぐらいかな。稽古抜けていいの? 丞の演技指導を受けたくて集まってる役者ばっかりでしょ?」
「付きっきりで指導するわけじゃないからな。休憩がてら迎えに行ってやる」
場所を訊けば今日の稽古場から車で十分ほどのホテルだった。茅ヶ崎をピックアップして家に送り届けても一時間弱で戻れるだろう。
「丞は優しいね」
茅ヶ崎が俺の肩にもたれかかる気配がした。
何も言えない。何を言っても本音を取り繕う言葉しか出てこない。
「魚座の恋愛運、星ひとつだって。あ、仕事運は最高じゃん」
テレビ番組はいつの間にか星座占いのコーナーになっていた。一月生まれから始まって、二月生まれである魚座の恋愛運・仕事運・健康運が星の数で表されている。
「こんな占い、信じる奴がいるのか」
「みんな良いことだけを信じてるんだよ」
「そんなもんなのか」
「占いなんて、そんなもんだよ」
良いことだけを信じて生きていけたら、どんなに楽だろうか。二人で過ごす楽しい日々だけを集めて、瓶詰めにできたら。俺もそんなふうに過去にしがみつく年齢になったのかと思うとぞっとする。
「茅ヶ崎――」
小さく名前を呟いて柔らかい頭髪を撫でると、茅ヶ崎はくすぐったそうに肩を揺らした。
「相変わらず、ひどい寝癖だな」
「手触り最高でしょ。ザビーには勝てないけど」
数年前に天に昇ってしまったザビーの柔からな長毛と愛くるしい目を思い出す。
「お前はいなくなるなよ」
心の中で思っていたことが、思わず口からこぼれてしまう。前にも同じようなことを言った気がするが、あれはいつのことだっただろう。
「いなくならないよ。だから、これからも毎日俺のこと起こしてね」
照れると冗談めかして笑う癖も相変わらずだ。
俺たちの日常は他人から見たら当たり前ではないかもしれない。それでも、茅ヶ崎が笑って、これからも俺の隣にいてくれるなら、瓶詰めの過去など不要だろう。
星座占いが終わり、アナウンサーが午前八時を告げる。
肩に寄りかかった恋人はまた寝入ってしまった。おい起きろ、という言葉を飲み込んで、俺はその柔らかな髪にキスを落とした。