俺の初恋が無理ゲーすぎる
2020年に発行した同人誌の再録です。
大学生×高校生パロ。外岡と至が仲良しです。
俺の初恋が無理ゲーすぎる
「は? ごめん、意味分かんないからもっかい言って」
「だから、好きな人ができたって言ってんの」
「チガってグエン一筋じゃなかったの?」
パックジュースの飲み口にストローを刺しながら外岡が冷めた口調で言った。至の記憶が正しければこいつは昨日も同じジュースを飲んでいた。どうやら最近のお気に入りらしいが、フルーツコーヒー味ってどんな味だろう。想像しただけで胸のあたりがむかむかする。
「グエンは別。永遠の嫁だから」
「じゃあその好きになったやつは?」
「俺の初恋」
外岡がストローを咥えたままごほっとむせた。
とっさに避けたので夏でも着ているアイボリーのスクールベストは被害を免れた。
「おい、真面目に答えろよ」
外岡が口元を手の甲で拭いながらこちらを睨んでくる。真面目に話しているつもりだ、との意味を込めて至も同じように睨み返した。
「答えてるじゃん。昨日姉貴から紹介された彼氏があまりにもイケメンで恋に落ちたって」
「はぁ」
外岡は深いため息をつくと、白いスクールシャツの胸元に視線を落とした。むせたときに飛んだ液体がオレンジ色の染みを作っている。
「え、なにそのため息」
「別に。なんでそんな話を俺にするんだよ」
「だって俺、こういう相談できる友だちって外岡しかいないし」
パックジュースの残りを一気に飲みほして、外岡はさらに盛大な「はぁ」を至に寄こした。
至には友だちがいない。そんなの外岡が一番よく知っているはずだ。今でこそこうやって昼休みに二人で階段に並んで座って菓子パンを囓っているが、つい最近までここは至だけの秘密の隠れ家だった。
重度のコミュ障である至は周囲と距離を置くために学校では身体が弱い設定で過ごしている。体育はもちろん欠席。貧血による立ちくらみで遅刻・早退は日常茶飯事だ。すべて演技だと知っているのは至の姉だけ。そもそも病弱設定を発案したのが姉だった。彼女の厳しいだけで慈悲の欠片もない指導のお陰で高校三年になっても教師はおろか同級生も至の本性を知らない。
本当は口が悪くて、三日三晩寝ないでゲームをするほどのオタクで、百メートルを走るのに三回は転けるほどの運動音痴。それが学校では病弱な美少年と噂される茅ヶ崎至の本当の姿だ。
そんな至と常にクラスの中心にいる外岡が仲良くなったのは偶然同じゲームが好きだと分かったからだった。
日本中の小学生を夢中にしたRPGゲーム『KNIGHT OF
ROUND』。グエンは四番目のシリーズに出てくるゲームのヒロインで、主人公であるランスロットにしか見えない妖精だ。このグエンに当時十歳にもならなかった至は恋をして、高校生になった今でも心の底から愛している。
通称ナイランと呼ばれているこのゲームを、外岡もかなりやり込んでいると分かって二人の距離はさらに縮まった。
しかし、ここで大きな問題が発生する。まったくの正反対のタイプである二人が話すと、教室で悪目立ちしてしまうのだ。明るい性格の外岡は男女問わず好かれる人気者で、そんな陽キャがぼっちの至と仲良くなれば嫌でも周囲の興味を集めてしまう。平穏な学校生活を送りたい至は「もう学校で話すのはやめよう」と提案したが、外岡は「別にいいじゃん」とまったく意に介さず、その潔さが至には重かった。
校内には使われていない教室や誰も通らない階段がたくさんある。普通の生徒は知らないだけで、至のように常に逃げ場を探している人間はそういう隠れ場所を見つけるのが得意だ。外岡との会話を避けるように校内を逃げ回っていたが、どこにいてもあいつは至を追いかけてきた。鬼ごっこ状態に疲れ、一番気に入っている特別校舎の屋上へ続く階段で昼飯を食べているのを見つかったとき、至は外岡を避けるのをやめた。
外岡に言わせれば逃げまわる至を見つけるのは「隠しアイテム見つけるより楽」らしい。
正直、外岡のような陽キャがなぜ至と一緒にいてくれるのか不思議で、その理由を尋ねると、「ゲームの話できるのチガだけだから。オタクってバレたら面倒だし」と少し強張った顔で返されて、ヒエラルキーの上にいる人間も大変なんだなと共感のようなものが芽生えた。
高校入学から一貫して病弱キャラを演じている至と陽キャを演じている外岡。似ているようで似てない二人。ゲームというつながりがなければぜったいに友人になれなかっただろう。
「相手男だろ。チガってそっちだったの?」
外岡がぺこぺこと音を立てながら細長い紙パックをたたんでいく。中身が出ないようにたたむのってけっこう難しいのに器用だな、と感心する。
「さぁ、どうだろ。初恋だから分かんない。でも、オタク特有のセンサーが働いたっていうか、『あ、好きだな』って思っちゃったんだよ。ほら、沼るのって一瞬じゃん」
「なんだよそのセンサー」
外岡が肩を揺らして笑った。
クラスでは誰に対してもそつなくクールに接している外岡だけれど、至と一緒にいるときは笑ったり怒ったり、感情の振り幅が大きい。教室でももっと素を出せばいいのに、とは言わない。素を隠しているのはお互い様だから。
「で、どんな奴なの?」
「あ、聞いてくれんの? 背が高くて体つきががっしりしてるから一見威圧感があるんだけど話してみると物腰も柔らかいし声もいいし俺を見る眼差しは優しいし……なんていうかキラキラしてて王子様みたいな感じで『姉弟そろって美形なんだな』って人によっては嫌味に聞こえる台詞をさらっと爽やかに言えるしとにかくかっこいいんだよね」
「でた、オタク特有のノンブレス」
ひと息で魅力を伝えてしまうと、改めて自分がいかにあの人に惹かれているか実感してしまった。
至にとって他人は目の前を通り過ぎていく急行列車のようなものだ。乗車は不可能なので関係ないし興味もない。どうかはやく目の前から消えてくれ、と思うだけだ。そんな自分が、まだ一度しか会っていない人間をこんなに好きになるなんて。
自分の人生にこんなルートが隠されていたとは思いもよらなかった。
我が儘を言えばもっとクリアしやすいルートがよかったが、恋に落ちるタイミングをコントロールすることはできないので、きっとこうなる運命だったのだろう。
「姉貴の歴代の彼氏のなかでは一番まともな気がする」
「あぁ、前の彼氏はやばかったんだっけ?」
「粘着なタイプで別れ話がこじれて家まで来た。しかも、夜中の三時に。あのときのぶち切れた姉貴はヤバかった。さすがに懲りて付き合うタイプ変えたのかもなぁ。とにかく、めっちゃかっこよかった」
「ガウェインとどっちがかっこいい?」
ガウェインも同じくナイランに出てくるキャラクターで、ランスロットの相棒だ。
「うーん……敢えて言うとガウェインの男らしさとランスロットの清廉さとグエンの優しさをあわせ持った感じ」
「なんだそれ」
いくらなんでも盛りすぎだと自分でも分かっているが、どうすれば外岡にあの人の魅力が伝わるか乏しい語彙をかき集めた結果、こんな奇妙な表現になってしまった。
「外岡も会ったら分かるよ」
「いや、分かりたくねぇわ。で、どうすんの?」
「どうすんのって?」
「姉から彼氏、奪うの?」
「……それは、ぜったい、無理」
姉の彼氏を奪おうものなら部屋にあるフィギュアコレクションをガラスケースごと燃やされるだけでは済まない。もしかしたら自分の存在すらこの世界から消えるかもしれない。欲しいものはなんでも手に入れる姉だ。手に入れたものを誰かに奪われたりしたら怒り狂うに決まっている。
姉とは戦えない。
戦力が違いすぎる。バトルはお互いの力が拮抗してこそ成立するのだ。弱者が強者に噛みつけば悲惨な末路が待っている。
つまり、付き合うのは絶対に不可能なルートで、失恋は決定的だ。
好きになったと同時に失恋して、叶わない恋心だけが残った場合、どうすればいいのだろう。
「じゃあ諦めんの?」
「それも無理」
「不毛な片想いだな」
心の嫁であるグエンはゲームの世界からけっして出てくることはないし、漫画やラノベに登場する推しキャラも至と同じ世界の住人ではない。次元の壁に阻まれて話すことも触れることもできない。架空の存在と付き合うのは無理だと分かっているから、オタクは脳内で理想のデートや結婚生活を妄想するのだ。
生きている人間を好きになった場合、その先がある。現実世界の人物には触れられるし、脚本家が決めたルートよりもっと多くの選択肢が発生する。
告白するか、しないか。付き合うか、付き合わないか。
ちなみに今の至は告白するルートすら開かないどん詰まり状態だ。
外岡に相談したいことは山ほどあるのに無情にも昼休み終了のチャイムが鳴った。
「そろそろ戻るわ」
立ち上がって階段をおりようとする外岡を咄嗟に引き留めた。
「外岡、今日の放課後なんか用事ある?」
「今日はカテキョ」
「カテキョって例の大学生?」
「そうそう、女だと思ったら男だったっていう例の大学生」
「教育熱心な親を持つと大変だよな。俺の親は割と放任主義だから」
「まぁ、もう慣れたよ。チガ」
「なに」
「話なら明日また聞くから。じゃあな」
一段飛ばしで軽やかに階段をおりる外岡の背中を見送りながら、本当にいい奴だよなとしみじみ思った。とんでもない恋愛相談にのってくれるし、呆れながらもけっして至のことを馬鹿にしない。
高校なんてさっさと卒業して闇に葬るつもりだったけれど、外岡と出会ってから学校生活も悪くないかもと思い始めている。
これで恋愛もうまくいったら、それこそラノベの主人公だ。
恋を自覚したあとに続きがあるのが現実の恋愛。
今さらその事実に圧倒された至は、途方にくれたまま午後の授業を受けるために教室へ戻った。
*
帰宅ラッシュには早い時間帯なのに、いつも使う路線の電車内は意外にも混雑していた。次々と景色を変えていくドアの外を眺めながら、顔がどんどん火照っていくのが分かる。
五時間目の授業の途中、身体が妙に重いので保健室に行って体温を計ったら平熱より二度も高く、至のことを病弱だと思っている養護教諭にすぐに早退するように言われた。
仮病ではなく実際の体調不良で早退するのははじめてだ。昨日から柄にもなく悩んでいるからきっと知恵熱というやつだろう。誰かのことを想って熱が出るなんて恋というのは心にも身体にも悪い。
重い身体を支えるようにドアの手すりに寄りかかっていると、ふっと至の前を遮るようにダークグレーのスーツを着たサラリーマン風の男が立った。
わざわざなんでこんな近くに立つんだよ、とやぼったい黒縁眼鏡の奥から睨もうとした瞬間、ぐっと身体が近づいてきて、気づいたときには逃げ道を塞がれていた。
あれ、もしやこれはヤバいやつかも。
ちらっと車内に目を走らせたが、スマホを眺めていたり寝ている乗客ばかりで、至の窮地に気づいた様子はない。
下を向いて自分の履いている黒い革のローファーを見つめながら、どうしたものかと思案する。
今はひどく体調が悪く、大声を出すのもつらい。かといってこのまま無抵抗でいたらなにをされるか分からない。そして、もしこの男が痴漢をはたらいても、至は男子だから被害者として扱ってもらえない。幼い頃から言われ続けている「男の子なんだから大したことないでしょ」はもう聞き飽きた。
さて、どうしようか。
男は身体を密着させてくるだけでそれ以上のことをしてくる気配はない。だが不快は不快だ。なんとか抜け出せないかと上半身を捩ったり足を横に出してみるがなかなか難しい。
これは最終手段を使うしかないか、と腹をくくったそのときだった。
「茅ヶ崎、こっちの車両にいたのか。探したぞ」
聞き覚えがあるどころか昨日から至の耳から離れない低音の声。まさかと思って顔をあげると、そこには姉の彼氏である高遠丞がいた。
ネイビーのオープンカラーシャツがよく似合っていて、自分の置かれている状況を一瞬忘れて、そのさわやかな姿に惚れ惚れしてしまう。
「え、なっ…」
「ほら、行くぞ」
ぐいっと手首を掴まれ、男の横をすり抜けると、そのまま引きずられるようにして隣の車内へ移動した。迷いのない足取りでどんどん前に進んでいく背中を必死で追いかける。掴まれた手首が熱い。火照った顔がさらに熱を上げたのが分かった。
人の波をかきわけるように進み、車両の端まで辿りついてようやく立ち止まる。恐る恐る後ろ確認したが男が追いかけてくる気配はない。ほっとしたと同時に、頭がパニックになった。
「あ、あの、なんで」
「様子がおかしかったから助けたんだが余計なお世話だったか」
むすっとした顔で言われて急いで否定した。
「いや、全然、まったくそんなことないです。ありがとうございます……高遠さん」
「丞でいい。堅苦しいのは嫌いなんだ。お前の姉さんと同じように呼んでくれて構わない」
丞。たすく。特別な感情を含まずフラットな言い方で。
たすく、たすく。
よし、イメトレは完璧だ。
「あ、じゃあ改めて、助けてくれてありがとうございます、丞」
誰かの名前を言うだけでこんなに心臓が痛くなるなんて、自分はいったいどうしてしまったんだろう。
恋愛に耐性がないからか、次々と押し寄せてくる感情の処理が追い付かない。
「ふっ、敬語なのに呼び捨てってなんだか変な感じだな」
笑った。
昨日はじめて会ったときの笑顔も魅力的だったけれど、どこかよそよそしさを感じたのは否めない。初対面なのだからぎこちなかったのは当たり前だ。しかし、今の笑顔は気を許した人間にだけ見せるようなあどけなさが見え隠れしていた。
至を助け出してくれた姿は王子様のようにかっこよかったのに、笑った姿は少年のようにかわいい。これは惚れないほうがおかしいのでは。
姉の男を見る目は最悪だと常日頃から思っていたが、元彼との修羅場を乗り越えて、ようやく目が覚めたのかもしれない。
その姉に感謝するも、丞の惚れた相手は姉なのだという事実を思い出し、胸の奥がじくじと痛くなる。
外岡の言うとおり、至の恋は実ることはなく、これはどこまでも不毛な片想いなのだ、と悲しいほど実感してしまった。
「敬語もやめてくれ。そんなに歳も変わらないだろ」
「俺、いま高三…です」
「じゃあ一つ違いだな。それより顔が赤いが大丈夫か?」
体内にこもった熱は恋心のせいだけではない。
不審者に襲われそうになっただけでなく、思いがけず丞に助けられて、自分自身の体調不良を忘れかけていた。
不規則な電車の揺れに気分が悪くなる。
身体のバランスをうまくとることができない。足の力が抜けてその場に座り込んでしまいそうになる。
「おい、具合悪いのか? 熱は?」
「あ、ちょっとある、かな?」
「あぁ、本当だ。熱いな」
至の手首を掴んでいた武骨な手がそっと額に当てられる。身体中の熱が一気に顔に集まってきて、もはや額だけでなく頭の奥さえも熱湯を流し込まれたように熱い。
「ひとまずうちに来い。次の駅で降りるぞ」
「えっ」
うちに来い。『うち』というのは丞の家のことで、『こい』とは恋ではなく『来い』、つまり今から丞の家に行くということだ。
このルート分岐、もしやバグではないだろうか。ゲームやアニメでも、好きな人のお宅訪問はもっと親密度を上げてから発生するイベントだ。まだ知り合って二十四時間も経っていないのに展開が早すぎる。
混乱している間に電車は駅に到着してしまい、丞は悩む隙を与えない強引さで至の腕を掴むと、そのままホームへ降り立った。夏の湿った空気がねっとりと身体にまとわりつく。
「駅からアパートまで歩けるか?」
返事の代わりにこくりと頷くと丞が安心したように微笑んだ。
無理やり電車から降ろされてしまったが、至の体調を思ってのことなので嫌な気持ちはしない。
なんでこんなに親切にしてくれるんだろう。
頭に浮かんだ素朴な疑問はすぐに解決した。
至が恋人の弟だからだ。
彼女の弟が電車で男に襲われそうになって、しかも体調不良で倒れそうなほどふらふらしている。親切にするのは当然だろう。
優しくされて嬉しいのに、丞は至の向こうに姉の姿を見ているだけなので、心の底から喜べない。
自分だけを見てほしいなんて、俺ってこんなに欲張りだったっけ。
丞に手を引かれたまま、駅の改札口を抜け、見知らぬ街の商店街を通り過ぎながら、目の前を歩く広くて大きな背中が自分のものではないことを少し寂しく思った。