俺の初恋が無理ゲーすぎる
2020年に発行した同人誌の再録です。
大学生×高校生パロ。外岡と至が仲良しです。
俺の初恋が無理ゲーすぎる
駅前で外岡と別れて自宅に戻る道を歩きながら、至は丞に連絡を取ろうかひとしきり悩んだ。
舞台を観たのは一昨日。時間がたてばたつほど連絡が取りにくくなる。こういうのは勢いが大事だ。しかし、その決心がなかなかつかない。そこで、至は賭けにでることにした。
家に帰って姉がいなかったら丞に連絡する。
模試のために早起きした今朝は姉に会っていない。両親は親戚の家に出かけると言っていたから帰宅は夜遅くなるはずだ。自宅に姉がいるかいないか、確率は五十パーセント。悪くない賭けだ。
夏の終わりの空が薄い茜色に染まっている。日差しはだいぶ和らいできたが、この蒸し暑さは夜になっても続くだろう。今夜もクーラーをつけないと眠れないかもしれない。
汗に濡れたシャツが背中に張りついて気持ち悪い。早く帰宅してシャワーを浴びたい。けれど、家に姉がいたらと思うと、足取りが重くなる。外岡の言うとおり、ぐるぐる悩むのは自分の悪い癖だ。
休日はジョギングする人で賑わう公園を抜けるのが自宅までの近道だが、今日は迂回して帰ることにした。最後まで往生際が悪い。
建て売りの戸建てが並ぶ住宅街を一歩一歩確かめるように歩きながら自宅を目指す。あともう数メートルで家の玄関に辿りつくというとき、至の前を大きな黒い影が横切った。
咄嗟に目を瞑って両手で顔を覆う。舗道脇の植込みから犬でも飛び出してきたのかと思ったが、どうやら違ったらしい。
手首が折れるほどぎゅっと掴まれて、鋭い痛みに呻き声をあげた。
「痛っ」
目を開くとそこには見知らぬ男が切羽詰まった形相で至を睨んでいた。誰だこいつ、と至も眼鏡の奥から睨み返すとむこうからあっさり正体を明かしてくれた。
「お前、あいつの弟だろ。最近全然会ってくれねぇんだけど、新しい彼氏できたってほんと? 彼氏ってよく見かける背の高い男? 車なんかで送り迎えしてさぁ、かっこつけすぎじゃね?」
姉の元彼だ。
はっきり顔を見たことはないが、しつこく家までやってきて姉と言い争っている声を聞いたことがある。男にしては高い声。そして、怒りの混じった嫉妬心を露わにした姿はまぎれもなく姉を追いかけ回している元彼だ。
助けを求めようとしてもこういうときに限って誰も歩いていない。人がいない時間を狙って襲ってくるのだから当たり前なのだが。
「なんとか言えよ」
さらに手首をきつく握られて顔をしかめる。
至は足が遅いので逃げるのは得策ではない。男を押しのけて、倒れた瞬間に家の玄関に入るのが懸命な判断だとは思ったが、手首を掴む力が思ったより強く、相手の懐に入り込めない。なにより姉が相手しないからといってその家族にまで手をあげようとする卑劣な男から逃げるなんてムカついてぜったいに嫌だ。
「姉も姉なら弟も弟だな。お前の姉ちゃんがどうやって俺を振ったか知りたいか? 無視だよ無視。あんだけ金を使わせてさ、最後はブロックとかあり得ないだろ。こんなことになるなら、マジでヤッてるときの画像撮っておけばよかったよ。お前、よく見たらあいつと顔そっくりだし、一発ぐらいなら―」
かわいそうなことに男は最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
至の肘が顎に直撃したからだ。
変な趣味を持つ人間から襲われ、自分が男だからという理由でアフターケアを蔑ろにされたとき、自分の身は自分で守ろうと決心した。運動が不得手で非力な自分でも護身術は使える。要はタイミングと急所を外さないことが大切だ。電車で襲われそうになったときも本当だったら自分で対処することもできたが、車内だったのと熱があったので躊躇してしまった。結果、丞が助けてくれたので、直接手を下さないで本当によかった。
手首を掴まれた場合、相手の顎を肘で突き上げる。肘の骨は細く、鋭い。下から骨が食い込んでかなり痛い、と護身術の本に書いてあったが、どうやら本当のようだ。
「てめぇ、今なんつった?」
至の怒声が静かな住宅街に響く。自分でも驚くほど低い声が出た。
顎を両手で抑えて蹲っている男を見下ろすと、声にならない声で唸っている。もしかしたら舌を噛んだのかもしれない。ざまぁみろ。
「姉貴を侮辱すんのも大概にしろよ。振り向いてもらえないからってみっともなくすがりついて逆ギレして、自分で努力もせずに誰かに好きになってもらおうってのが甘いんだよ」
姉を貶された怒りと周りに誰もいないという安心感でゲームのプレイ中のようにすらすらと悪態が口からこぼれた。最後のほうはもはや自分への特大ブーメランだ。
地面に手をついて体勢を整えた男が至に飛びかかろうとした。頭を両手で覆う。今度こそ殴られると思ったが、男の拳は至へ振り下ろされることはなかった。
「茅ヶ崎、大丈夫か?」
そろそろと両手をおろす。
薄闇でもその姿は認識できた。
丞が男の腕を掴んでいる。
なんで、と尋ねる前にいつの前にか至の身体を後ろから支えていた姉が叫んだ。
「至、あんたなにやってんの? 逃げなさいよ!」
丞が男の両腕を背中でまとめて捻りあげる。動けなくなった男が苦しそうに呻いている。
いったいこれはどういう状況なんだ?
「え、なに、二人ともどっからでてきたの?」
「丞の車からあんたが男と取っ組み合ってるのが見えたから急いで下りてきたの。怪我は? 殴られてない?」
緩く頭を左右に振ると、姉はほっとした表情を見せて鼻までずり落ちた眼鏡をかけなおしてくれた。
「こいつ、どうするんだ」
男を締め上げる丞はこんな状況でも淡々としていて犯罪者を取り押さえる警察官に見えなくもない。
「決まってるでしょ、生きたまま卯木さんに届ける」
生きたまま卯木さんに届ける。
なにその恐ろしい言葉。
人間の生死を敢えて確認して届けるってどういうことだよ。
「車で送ったほうがいいか?」
「自分の車で送るから大丈夫。ようやくつかまえたんだからぜったい逃がさない。丞、悪いんだけど至に付き添ってやってくれる?」
「あぁ、もちろんだ」
「これ家の鍵。車は私が出たあとにガレージに駐車していいよ。親にも連絡しておくけど二人とも帰ってくるの遅いと思うから気にしないで」
自分を置き去りにしてどんどん進んでいく会話にまったくついていけない。
「至、ありがとね」
「別に、俺は……」
「私のこと庇ってくれて嬉しかったけど、これからはぜったい自分から立ち向かったりしないでよ。じゃあ、丞、口も性格も悪い弟だけどよろしくね」
最後のひと言は余計だ。
そう思って、はっとした。
姉は元彼と取っ組み合っている至を見たといっていた。庇ってくれてありがとう、とも。姉は丞と一緒にいた。つまり至のキレた姿を丞も見たということだ。
男はまるで貨物のようにぞんざいに姉の車の助手席へ押し込まれた。姉が元彼にスマホとの画面を見せてなにか告げると、途端に抵抗するのを諦めた。ルームライトの灯りに照らされた顔は先ほどとは違って憔悴していて、至の攻撃が効いたのか口から血が流れていた。
姉の運転する赤いミニが日が暮れて薄暗くなった住宅街を走り抜けていく。
姉の車と入れ代わるように丞の車が家のガレージに止まるのを至は夢見心地で見つめていた。
丞と一緒に家の中に入り、熱のこもったリビングへ案内して、冷房をつける。二人とも無言だ。
元彼に対して毒舌を吐いた姿を丞に見られてしまったショックは大きい。
今まで本性を隠して丞と会っていたことがバレてしまった。緊張からうまく話せないというのもあったが、こんな自分を知られたくなくて猫をかぶっていたのも事実で、後ろめたさで逃げたくなる。
自分だけ立ったままいるのもおかしいので、二人でソファーに並んで座ると、ようやく丞が口を開いた。
「手首が赤くなってるな」
「あ、さっき掴まれたから」
手首には赤い腕輪のような痣がくっきりとできていた。見られたくなくて腕をさっと背中の後ろへ隠す。
「なんで逃げなかったんだ」
「足、遅いし」
「俺からは全速力で逃げたのに?」
からかうように問われ、恥ずかしさを打ち消すようにむきになって言い返す。
「丞から逃げたんじゃない! あれは丞の返事から逃げたんだよ」
まったく言い訳になっていない。もっとマシな反応はできないのかと自分でも呆れてしまう。
「だからって逃げる必要ないだろ」
「振られるのが分かってるのに?」
「なんで俺が茅ヶ崎を振るんだ?」
「こんな陰気なやつ誰も好きにならない」
「そうか?」
「そうだよ。丞は知らないかもしれないけど、俺は根暗でコミュ障で一日中部屋にこもってゲームしているオタクで姉貴の言ったとおり口も性格も悪いんだよ。もしこんな人間を好きになるやつがいたらそいつは頭がおかしいに決まってる」
もういいやと投げやりな気分で一気にまくし立てた。
至の想いも隠していた本性も全部丞に知られてしまっている。どうせ振られるのだ。こうなったらすべてさらけだして、丞がもう二度と至に会いたくないと思うほど幻滅すれば諦めがつくというものだ。
「そうか。じゃあ俺は頭がおかしいんだな」
「そう、丞はおかしいんだよ。こんな俺を…………えっ?」
丞の顔をまじまじと見返す。
至を馬鹿にするような笑い方でも、千景のような意味深な笑顔でもない。なんと言えばいいのだろう。例えばラスボスを倒したランスロットがグエンに微笑むような、穏やかな笑み。
なんで、こんなに優しく笑いかけてくれるんだろう。
「ちゃんと言葉にしたほうが分かりやすいか? 俺は茅ヶ崎のことが―」
「だめ、まだ言わないで」
慌てて両手で丞の口をふさごうとしたが、丞のほうが早かった。かえって両手を握られて身動きがとれなくなってしまう。
その先の言葉を聞く心の準備ができていないのに。
至は早口で丞に問いかけた。
「俺、オタクだよ」
「好きなものに夢中になれるってことだろ」
「コミュ障だし」
「誰だって初対面の相手と話すと緊張する」
「根暗の引きこもりだよ」
「物静かでインドア派とも言えるな」
「俺の口の悪さに気づいたでしょ」
「思ったことをはっきり言えるのはいいことだ」
迷いのない口調と隙のない回答にたじろいでしまう。
「なんで、俺なの?」
声が震えてしまう。
両想いの可能性があると分かって嬉しいはずなのに、現実感がなさすぎて手放しで喜べない。
「なんでって、そうだな……一目惚れだって言ったら信じるか?」
信じるもなにも至自身が一目惚れで丞を好きになったのだ。大袈裟かもしれないが、はじめて会ったとき運命だと思った。丞の容姿に惹かれたのはもちろんだが、それ以上に至の心を揺さぶるなにかがあった。グエン以外の誰かを好きになるなんて考えたこともなかったのだ。至にとって、恋をするということは、自分の人生観が丸ごと変わってしまうほど強烈な体験だった。
「実は茅ヶ崎のことは電車でよく見かけてたんだ」
丞が内緒話を打ち明けるように言った。
「電車で?」
「あぁ。舞台映えしそうな整った顔の学生がいるなって。それがまさかボディーガードを頼まれたやつの弟だとはな。運命かもしれない、なんて柄にもなく思ったよ」
運命という単語をだされて不覚にも泣きそうになった。
丞も同じことを思っていたのだ。
もしかして、もしかしなくとも本当に両想いなのだろうか。
「茅ヶ崎」
急に真面目なトーンで名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。
丞に名前を呼ばれただけでこんなにドキドキしている。
「好きだ。俺と付き合ってくれるか?」
丞の顔から余裕が消えほんのりと頬が赤くなった。
「……そこで照れないでよ」
つられて至の顔まで熱くなってくる。
「悪い、こういうのは慣れてなくてな」
丞が片手で口元を覆いながら言った。
片方の手は至の手首を掴んでいて、その部分だけ二人分の体温せいで骨まで溶けてしまいそうなほど熱い。
「告白なんてお芝居で何度もしたことあるんじゃないの?」
言ってから少しだけ嫉妬している自分に気づいて、しまったと思った。根暗なだけでなく心の狭さまでバレてしまう。
「芝居はノーカンだ。それに……」
めずらしく丞の眼が泳いでいる。
なにか言いにくいことでもあるのだろうか。
まさか、ここまでの流れはドッキリだったとか?
どこかで姉が見ていて「騙されたわね」なんて言いながら悪魔のような笑みを浮かべて登場するのだろうか。
やばい、泣きそうになってきた。
「茅ヶ崎も俺以外のやつのほうが気軽に話せるんじゃないか?」
「は? 丞以外って例えば?」
「卯木とか。一緒に舞台観に来てただろ」
「あれは事故。俺だって当日まで知らなかったんだよ」
至が即答すると丞はほっとしたような表情を見せた。
もしかして、楽屋で会ったときに少し不機嫌そうにしていたのは、千景との仲を気にしていたからなのだろうか。
それならそうと言ってくれればいいのに。
「丞もそんなこと気にしたりするんだ」
自分と同じように丞も嫉妬していたのだと思うと、なんだか嬉しい。
「好きなやつの横に他の男がいたら気にするだろ」
今度は真顔で「好きなやつ」と言われて耳まで熱くなる。
さっきはあんなに照れていたのに。
ああ、もう。本当に丞はずるい。
「これ以上好きになったらどうしよう」
「大丈夫じゃないか? 俺は無愛想で気が利かない演劇馬鹿らしいから、お前が先に愛想をつかすかもしれない」
「なにそれ、誰がそんな失礼なこと言ったの」
「前の彼女だ」
「別れて正解じゃん」
もう本性を隠さなくていいと思うと気兼ねなく素の口調で話ができる。
「そうやってなんでもはっきり言えるのはお前の美点だな」
丞は至の容赦ない突っ込みに臆することなく、笑みを浮かべたまますでに消えかかっている手首の痣をするりと撫でた。
今まで感じたことがないような痺れが背筋に走る。
「丞、その……」
やめて、と言うのもなんだかおかしい。
丞と目が合って、まるで魔法にかかったように自然と瞼を閉じた。
ぐっと手を引かれて丞の体温が近くなる。
俺、汗臭くないかな、と不安に思ったそのとき、柔らかな感触が額に落ちた。
「えっ……」
てっきりキスするものだと思っていたので拍子抜けしてしまった。
「不満そうだな」
「いや、だってそういう雰囲気だったし」
「俺の理性がもたない」
「別にもたなくていいじゃん」
「まだ高校生だろ」
「高校生だってキスぐらい―」
「受験が終わったらな」
耳元で諭すように囁かれて心臓が止まるかと思った。
受験勉強、死ぬほど頑張ろう。
いや、死んだら丞と付き合えない。死なない程度に本気で勉強しよう。
付き合ったあとに成績が落ちて受験に失敗するなんてことになったら、丞に顔向けができない。
このミッション、ぜったいにクリアしてみせる。
今まで特に目標もなく、その場しのぎで毎日を過ごしていた。適当に勉強をして、煩わしい人間関係を避けて、ほんの少しの後ろめたさと肥大した劣等感を感じながら、ただ漫然と成り行き任せに生きていた。
このままではいけない。
きっと今が変わるときだ。
これから続いていく未来があるということ。
ここがゴールではなく、道はこれからもずっと先につながっていること。
小さな殻に閉じこもっていた自分の世界が一気に広がっていく。
受験が終わっても、これから数え切れないくらい多くのルート分岐を経験するだろう。
どんなルートを辿ったとしても、隣に丞がいればバッドエンドになんかにぜったいならないし、ゲーマーの名にかけて最高のエンドを作り上げてみせる。
丞と一緒に。
一人より二人のほうがずっと楽しいから。
今すぐ抱きつきたい気持ちをぐっとこらえて、至は丞の手をぎゅっと握り返した。
おわり