俺の初恋が無理ゲーすぎる
2020年に発行した同人誌の再録です。
大学生×高校生パロ。外岡と至が仲良しです。
俺の初恋が無理ゲーすぎる
静かな住宅街でひときわ高くそびえる高層マンションのエントランスは、手入れの生き届いた植栽が夏の太陽の下で緑を濃くしている。重厚感のある自動扉が開くと外岡の表情が固まった。
「えっ、千景さん?」
オートロックの盤面の前に立っている若い男が顔を上げた。
「あれ、もしかして曜日間違ったかな?」
至と同じ黒縁の眼鏡をかけているのに、根暗な印象は一切なく、垢抜けた雰囲気を漂わせている。真夏なのにハイネックのセーターを着ているが、すらりとした細身のスタイルに似合っていて、暑苦しさは感じない。
「次って月曜日じゃなかったですか?」
「あぁ、そうだったね。スマホのスケジュール帳を更新し忘れてたみたい」
鞄から取り出したスマホを操作しながら言った。
「千景さんが忘れるって珍しいですね」
「毎日暑いからちょっとぼんやりしちゃったかな。それで、君は外岡くんのお友だち?」
「え、あ、はい、茅ヶ崎です」
外岡と話しているときとは違って言葉がつっかえてしまう。
丞と話すときと同じだ。
緊張と焦りでなにを話していいのか分からない。
しかも口が乾いて舌がもつれてしまう。太陽の強烈な日差しがコンクリートを照りつける道中を、汗だくで歩いてきたのだ。はやくクーラーの効いた室内に入りたい。
「卯木千景です。曜日を間違うなんて、恥ずかしいところを見られちゃったな」
そう言って笑う顔は少しも恥ずかしがっておらず、むしろどこか楽しんでいるように見えた。
「千景さん、本当に間違えて来たんですか?」
「まさか、信じてないの?」
「千景さんならやりかねない」
「傷つくなぁ。ところで、茅ヶ崎くん大丈夫?」
「えっ?」
いきなり話しかけられて今度は声が上擦った。
「チガ、お前、顔真っ赤だぞ」
「熱中症かな? はやく中に入ったほうがいいんじゃない?」
「千景さん、呑気なこと言ってないで手伝ってください」
外岡の切羽詰まった声がエントランス内に響く。
そう言えば先ほどから頭が霞にかかったようにぼんやりする。
二人に抱えられるようにしてエレベーターに乗り、外岡の部屋まで運ばれ、そのままベッドに寝かされた。少し足がふらつくだけなのに、大袈裟すぎると思ったが、「熱中症をあまくみるな」と外岡にきつく言われ、おとなしく横になった。よく冷えたスポドリを渡され、少しだけ口に含むつもりが、思った以上に喉が渇いていたらしく、結局一気に飲みほしてしまった。
「横になってたほうがいいって」
「いや、もう大丈夫だから」
男二人に見下ろされるのはなんだか居心地が悪いので、上半身を起こしてヘッドボードに寄りかかる体勢に変えた。
水分を補給して目眩もおさまったので、無理に動かなければ大丈夫だろう。
「病み上がりなのに急に誘って悪かったな」
至の足元に腰をおろした外岡が申し訳なさそうに言った。二人分の体重の重みでベッドのマットレスがぐんと沈んだ。
「別に外岡のせいじゃないって。俺が体力ないだけだから」
強風に設定しているクーラーの風が顔にあたって気持ちがいい。
「病み上がりって風邪でも引いてたの?」
背もたれのついた椅子に足を組んで座っている千景が尋ねる。
「あ、風邪というか、知恵熱というか」
「あぁ、なるほど。恋煩いで熱が出たっていうのは茅ヶ崎くんのことか」
「な、なんで、知って……」
膝にかけたブランケットをぎゅっと握る。外岡の顔をうかがうとさっと目を逸らされた。
「外岡くん、君のことすごく心配してたんだよ。熱もそうだけど恋のほうもね」
「千景さん、」
外岡が立ち上がって遮ろうとしたが、千景は意に介することなく笑顔のままさらに驚くことを告げた。
「俺、茅ヶ崎くんの片想い相手と知り合いなんだよね」
「えっ」
「高遠丞。うちの大学の一年生」
あってるよね? と目で尋ねられて操られたようにこくりと頷いた。
千景が丞と知り合い?
外岡が同じ大学に通っていると言っていたがこんな偶然があるのだろうか。それに、見た目で判断するのはよくないと分かっているが、千景はどこか信用できない雰囲気がある。
物腰の柔らかい好青年に見えるが、時折見せる笑顔になにか裏があるように感じてしまう。
「それでちょっと疑問に思ったことがあったんだけど、丞に彼女がいるって本当なのかな?」
「ほ、本当です。姉からそういうふうに紹介されました」
「ふーん、そうなんだ」
千景が左手で口を覆い、考え込むように指をとんとんと動かすと、中指にはめているシルバーリングが妖しく光った。なにを考えているのかまったく分からない表情のなかに、どこか抜け目のなさを感じる。
この人とオンゲーで対戦したくないな、と初対面なのに苦手意識が生まれてしまう。
「外岡くんにはいつもお世話になってるからね。俺も手伝うよ」
千景が唐突に言った。
顔に浮かべている笑みをどう形容したらいいのだろうか。
楽しそう? 嬉しそう?
いや、面白がってる、が正しいかもしれない。
「手伝うって……」
「茅ヶ崎くんの恋の手伝いってこと」
そう言って千景が床に置いた革製の手提げ鞄から取り出したのは、白い封筒だった。
「これ、来月うちの大学の演劇学部が主催する公演のチケット。もちろん丞もでるよ。生憎一枚しか手元にないんだけど、よかったら観に来ない?」
丞が出演する舞台なら観てみたい。
しかし、一枚しかないとなると一人で行くことになる。知らない場所に一人で、しかも至よりはるかに陽気な人種が集まる大学を訪れるのはかなり勇気がいる。それに、姉と鉢合わせしたらと思うと落ち着いて観劇もできない。
じっと封筒を見つめたまま黙っていると、千景が至の心配を見透かしたかのように言った。
「まぁ、まだ時間あるから考えてみて。じゃあ俺はそろそろ行こうかな。お大事に」
椅子から立ち上がって封筒を外岡に渡すと、あの不思議な笑みを浮かべて千景は部屋を出て行った。
「チガ、俺……」
気まずい空気を払拭するように外岡が口を開いた。
封筒を握りしめる姿は、いたずらがバレて学校の廊下に立たされている小学生のようだ。
そんな姿を見ると怒るに怒れない。
「俺を心配して相談したんだろ。びっくりしただけで怒ってないよ」
正直に言うとかなりびっくりしたし多少の怒りも湧いた。それは、自分の恋を他人に知られた恥ずかしさと外岡は誰にも言わないと勝手に自分が思い込んでいたからだ。
二人の秘密ね、なんてガキのような約束などしていないし、あくまで外岡は至のためを思って相談したのだ。
それに、外岡が千景に相談してくれたお陰で、新しいルートが開かれた。
丞の舞台を観に行ける。
でも、観に行ってなにか変わるのだろうか。
「舞台、観に行ったほうがいいかな?」
「こういうのは人から言われて決めるもんじゃないだろ」
「そうだけどさぁ、行ってなんか変わるのかなって。丞はもう姉貴と付き合ってるんだし、俺の気持ちなんて意味なくない?」
知れば知るほど好きになって、片想いが続いて、それでなにが得られるのだろう。
姉の彼氏だから告白もできない。
万が一告白できても、丞の答えはノーに決まっている。
どのルートもバッドエンド。
自ら死地に赴くようなものだ。
「チガって頭良いのに馬鹿だな」
「どういう意味だよ」
むっとして言い返すと、外岡は珍しく真面目な顔をして言った。
「チガは諦めたくないんだろ?」
「うん」
「じゃあ、その好きって気持ちを貫くほうが大事じゃね?」
「貫くってどうやって」
「さぁな。とりあえず、自分の気持ちを意味ないとか言うやつには無理だろ」
「外岡……」
「俺がここまで言ってやったんだから後は自分で考えろよ」
ほら、と白い封筒を渡される。
封筒から細長いチケットを取り出す。公演日時を確認すると夏休みが終わる週の平日、昼公演だった。場所は丞が通う大学の講堂。家の最寄り駅から電車を一回乗り換えるだけで到着する距離だ。三十分もかからない。
夏休みだけ外岡と同じ予備校の夏期講習に通うことになっているが、事前に欠席を伝えれば他の曜日に振替受講できる。こうやって障害物を取り除いていくと舞台を観に行くハードルがどんどん下がっていく。
丞のことが好きだ。でも、付き合えない。かといって諦められるほどこの気持ちは弱くない。
次元を変えて考えてみる。
グエンは二次元のキャラだ。触れられないし会話もできない。ゲームの主人公となって一緒に旅をすることはできるけれど、一緒に歳をとることはできない。
それでも至はグエンが好きだ。
つらいときもグエンが隣で微笑んでいると思えば心が慰められた。人付き合いが苦手な至にとってグエンはまさに救いで、傍にはいつもグエンがいて、心の支えであり拠り所で、それは今も変わることはない。
変わらないということが、貫くということであれば、至にもすとんと理解できた。
丞には姉がいるから自分の恋心は行き場がないと思っていたけれど、居場所を見つける必要はなく、片想いのまま、至の一方通行でもいいんじゃないだろうか。
恋愛がすべて両想いになるとは限らない。むしろ片想いのまま終わる恋のほうが多いかもしれない。
丞のことが好きだというこの気持ちは至だけのものだ。丞と姉が付き合っていても、丞が自分を好きにならなくても、変わることはない。
丞に対する想いはグエンへの愛に匹敵する。いや、それ以上かもしれない。
この気持ちだけは大切にしようと、そう思った途端、なんだか丞にもう一度恋をしたような気分になり、胸のつかえがとれたようなすっきりした気持ちになった。
「舞台、観に行こうかな」
言葉にすると不安よりも期待が大きくなる。
「せっかくチケットもらったんだし行ってみれば。俺が言えることじゃないけど、ぐるぐる悩むのチガの悪い癖だよ」
「それな。ってかお前が言うなし」
ブランケットからはみ出た足で外岡の背中を蹴った。
「痛っ。お前な、誰のベッド使ってると思ってんだよ」
それからいつものように冗談を言い合って、外岡のベッドの上に二人で寝転びながらソシャゲで共闘したら、気まずい雰囲気はあっという間に消えてしまった。
グエンへの愛とは別に、ずっとランスロットが羨ましいと思っていた。信頼できる仲間を見つけ、勇敢に魔物を退治する姿に何度も自分を重ねたが、現実の至は一緒に登下校する友人もいないし、校庭を一周する体力もない。むなしくなるだけだった。
外岡と一緒にゲームをして、くだらない話をして、たまに喧嘩して、知らないうちに仲直りする。ランスロットのように世界を救うことはできないけれど、たった一人自分を分かってくれる友人がいるだけで、少しだけ世界は変わって見えることが至には嬉しくて、青春ってこんな感じなのかもとこそばゆい気持になるのだった。