LOVE YOU NEIGHBOR

2019年に発行した同人誌の再録です。
役者×会社員パロ。


「茅ヶ崎さん、ビールお注ぎしましょうか?」
 茅ヶ崎至がグラスを飲みほすと、隣に座っている女性がすかさず声をかけてきた。店内の鈍い明かりの下で、唇に塗られた真っ赤なグロスがぬらぬら光っている。
 名前、なんだっけ。
 乾杯直後から至の両隣は椅子取りゲーム状態だ。似たような髪型や服装の女性たちが「はじめまして」「ご一緒できて嬉しいです」「お隣いいですか」……と同じような言葉をかけてくるので途中から名前を覚えるのを諦めた。
 ギャルゲーの美少女キャラみたいにピンク、グリーン、パープルの髪色で属性や性格を区別できたらいいのに。
「いや、ちょっと飲み過ぎちゃったからお酒は遠慮しようかな」
 にこりと笑えば、彼女の顔がぽっと赤くなる。
 ただ笑うだけでこの効果。
 俺って本当に顔がいいんだな、と自慢でも何でもなく当たり前の事実として再確認する。
 至は自分の顔がそれなりに美形の部類に入ることを知っている。
 ナルシストではないので、鏡を見てうっとりすることはないが、不摂生をしている割に整っている肌は加工アプリ要らずだし、形のいい鼻とシャープな顎のラインが顔面の華やかさを助けてくれている。
 学生時代は色白で貧相な容姿だとからかわれたのに、社会に出てみれば柔和で優しそうな王子様みたいだと一目置かれるようになった。女性は至とお近づきになるために媚びを振りまき、男性はそんな至を憎らしく思いながらもおこぼれをもらおうとしきりに合コンに誘ってくる。
 集団内でのヒエラルキーが上がっても特にメリットはない。いじめられない分マシだと思いたいが、人付き合いの面倒が増えたのでなんの価値もない底辺陰キャとして無視され続けるほうがよっぽど楽な気がする。
 今日は金曜日で、さっさと仕事を切り上げて帰ろうと思っていたのに、エレベーター待ちをしている間に運悪く同期につかまってしまった。
 飲み会が大好きな人間、というのを至は未だに理解できないが、この同期は三六五日のうち三〇〇日は誰かと飲み歩いているほど飲み会好きで、顔を合わせる度に至を誘ってくる。
「同期の奴らで軽く飲むだけだから。欠員が出て人数足りないんだよ。もう店予約しちゃってるしさ。頼むよ」
 誘う方は気にならないかもしれないが、断る方は意外に気を遣うものだ。
 頼むよと言われて断るのも心苦しいので渋々着いていけば、到着したのは壁一面にワインの瓶が並ぶお洒落なレストランで、集まっていたのは同期だけじゃなかったというオチ。
 社内合コンにまんまと参加させられてしまった。
 俺は客寄せパンダじゃねえんだよ、とは口に出さない。
 この顔面が円滑な社内コミュニケーションにいろいろ利用できると知ってからは、猫をかぶりながら爽やかな王子様を演じ続けている。
「茅ヶ崎、全然飲んでないじゃん。調子悪いのか?」
 至を飲み会に誘ってきた男とは別の、同じ営業部の同期が赤ら顔で絡んでくる。結婚前提で付き合ってる彼女がいるらしいが、こんな際どい合コンに参加していいのだろうか。
「本当だ、ちょっと顔赤いですよ? 大丈夫ですか?」
 先ほどお酌をし損ねた女性さりげなく至の腕に触れてくる。白のVネックセーターから見える谷間は下着で無理やり作られたものだと一目でわかった。
「ねえ、俺も酔っちゃったからひとりで帰れないかも。家まで一緒について来てくれない?」
 彼女がいる男の発言とは思えない。至が呆れながら会話を見守っていると、
「うわあ、その誘い方アウトですよ」
 女性が慣れたように軽くあしらって、テーブルが大きな笑いに包まれる。
 飲み会や合コンのこういう雰囲気がどうも苦手だ。気兼ねなさと無礼の境が曖昧で、自分のパーソナルスペースを守りたい至にとってもはや苦行以外のなにものでもない。
「あの、お水頼みましょうか?」
 お酌をしようとした女性とは反対側の席から声がかかる。
「いや、大丈夫だよ。ありがとう。君こそ顔が赤いけど大丈夫?」
「え、そんなに赤いですか」
 名前がわからないので「君」というあたりさわりのない呼び方しかできない。
 確か総務部の社員だと言っていた気がする。
 おそらく一度も染めたことがないであろう黒髪をひとつに結び、化粧は控えめ。服装も他の女性に比べると肌の露出が少なく落ち着いた印象だ。こんな子が参加しているなんて意外だなと思いつつ、至の頭にあるアイディアがひらめいた。
「うん、けっこう赤いよ。酔ってるんじゃない? ひとりで帰れる?」
「えっ……」
 至の視線に耐えられないのか、恥ずかしそうに俯く女性の手を取って、ここぞとばかりに笑顔で誘う。
 声のトーンもいつもより低めに、耳元で囁くように。
「俺が送るよ。一緒に帰ろう」
 アルコールで潤んだ瞳と無造作に垂らした前髪が相乗効果となって、おとぎ話の王子様も怯むくらいの笑顔が出来上がった。
 耳まで真っ赤にして女性がうなずく。
 自分の顔の使い方を至は誰よりも熟知している。
 至が立ち上がって先に帰ることを告げると、一同は驚いた様子だったが、「彼女が具合悪いみたいだから」と説明して足早に店をあとにした。
 週明けには至がこの子をお持ち帰りしたという噂がひろがるだろう。
 少しの間、同期たちからからかわれるかもしれない。
 不本意だが仕方ない。とにかくはやく家に帰りたいのだ。
 噂になったらその時だ。 
「ごめんね、道連れにしちゃって。用事を思いだしたからはやく帰りたくて」
 駅へ向かう大通りを歩きながら女性に謝った。
 人を外見で判断するのは失礼だが、他のメンバーよりもおとなしそうで、例え合コンを二人で抜け出しても面倒なことにはならないだろうと思ったのだ。
「いえ、大丈夫です。私も早く帰りたかったので……ああいう飲み会苦手なんです」
 一緒に参加していた女性たちとはどこかタイプが違うので、彼女も至と同じく人数合わせで呼ばれたのかもしれない。
「そうなんだ。あ、帰り道こっちでよかった? 駅まで送るよ」
 半ば無理やりに連れてきてしまったので、このままひとりで帰すのはさすがに申し訳ない。それに、駅前の繁華街は夜になると柄の悪い連中が集まってくるので、女性ひとりで歩かせるには心配だった。
「いえ、大丈夫です。ここから歩いて帰れるので」
「へえ、そうなんだ。実は俺もこの近くに住んでるんだよね。最近引っ越してさ」
「私もです。親に用心しろって言われて、家賃は高いけどオートロックの物件を探しました」
 女性のひとり暮らしは危ない目にあうことが多いと聞く。男の自分とは違い、娘を送り出す親は心配だろう。
「俺は男だから安全面より、立地で選んだよ。駅が近くて、会社からも近い、最高の立地」
 駅前周辺は高層ビルが建ち並び、住環境がいいとは言えない。現に至の住んでいる木造アパートは大きなマンションとオフィスビルに囲まれ、日当たりは最悪だ。けれど、そんなマイナス要素を差し引いても立地の良さが上回る。
「じゃあ、俺こっちだから。本当に送らなくて平気?」
「はい。もうすぐそこなので」
 横断歩道を渡って女性社員と別れると、至はどっと疲れを感じた。
 酒を飲みながらの馬鹿話も、合コン特有の男と女の駆け引きも、自分を狙う異性の視線も、全部苦手だ。でも悲しいかな、サラリーマンとして生きるには酒と飲み会は避けられない。
 部屋に戻ってゆっくり寝たい。
 幸いなことにいまはソシャゲのイベント期間ではないし、日付が変わった瞬間にガチャを回す必要もない。
 コンビニでジャンクフードと課金カードを買って、部屋に入った瞬間ベッドに直行する。そして、あしたは昼まで寝てやるぞと決意したところで、ふとアパートの隣に住んでいる人間のことを思い出し、至は大きなため息をついた。



 先月から生まれてはじめてひとり暮らしをしている。
快適な実家暮らしを捨てたのは、残業が続いて連日帰宅が深夜に及び、趣味であるゲームの時間がごっそり削られてしまったからだ。
 至は学生時代から現在まで、コンシューマーゲームや最新のソシャゲなどありとあらゆるゲームを制覇しており、時々ネットに縛りプレイや連続耐久プレイなど趣向を凝らした実況をアップしている。
 会社では見目麗しい王子様のイメージを壊さないように気を張っている。その分、実況では生来の口の悪さを隠さなくていいから最高のストレス解消になるのだ。至にとって、ゲームをするのは、趣味として楽しむだけでなく、精神衛生を保つ為にも欠かせないことだった。
 通勤時間は片道約一時間。残業後、電車に揺られて帰ると身体はもう限界で、風呂から出れば布団へ直行。ゲームをする気力なんてなくなってしまった。
 ソシャゲのランキングから至のハンドルネームである『たるち』の名前が消えたことは、界隈でちょっとした話題になった。
 ―たるち死んだ?
 ―マジで? ついに?
 ―たるちいないとつまらん。
 ―たるち~帰ってきて~。
 SNSでは『たるち』死亡説まで流れた。
 勝手に殺すな。
 こっちは必死で税金納めてんだよ。
 そんな悪態をつきながら仕事とゲームをこなす日々。
 社会人とゲーマーの両立は正直きつい。でも、大好きなゲームを諦めることはできない。
 苦肉の策として会社から徒歩圏内のアパートに引っ越すことにした。
 都内の一等地。もうこの際、ゲームの時間が取れるならいくらでも払ってやるという気持ちで不動産めぐりをしたところ、運良く手頃な家賃で住める物件を紹介された。
 築三十五年の二階建てアパートは、外壁のモルタルが剥がれ、外階段の手すりも錆び付いていたけれど、室内はリフォームされて清潔だった。
 古いアパートだが、真ん中の外階段によって二棟がつながる凝った作りになっており、各階に四室ある部屋はすべて角部屋だ。
 ソファーベッドがようやく置ける狭い部屋、一口しかないガスコンロ、ユニットバス。都心の住環境としては平均的だ。決め手は会社からの距離で、紹介された物件は会社から徒歩十五分の場所にあった。
 至にとってこれ以上ない優良物件だった。
 家賃分をソシャゲにつぎ込みたい思いはあれど、趣味と仕事を両立させるためには時間を金で買うしかない。
 迷ったらお金で解決。これは社会人になって学んだことだ。
 姉に保証人になってもらい、必要最低限の荷物を段ボールに詰め込んで引っ越しは完了した。持っていく荷物は数着のスーツとそれに合わせた革靴、そしてPC機器と歴代の推しゲーぐらいで、大型の家電製品が無い分とても身軽な引っ越しだった。
 さあ、これで思う存分ゲームができる。
 そう思っていたのに、これで万事解決とならないのがリアル人生ゲームのつらいところだ。
 アパートの壁がとてつもなく薄かったのだ。
 はじめの一週間ほどは気にならなかった。ある日、明け方まで徹夜でゲームをして、そろそろ寝るかとベッドに入ると、隣の部屋からガタンと大きな音が聞こえた。
 特に気にもせず眠りにつこうとすると、次はシャワーを浴びる音が聞こえ、その後も足音やぶつぶつ呟く独り言が気になって仕方がない。はっきりしない声が耳に入ると、言葉を理解しようと脳が無意識に働くらしい。まどろむどころか目が冴えてしまい、結局、バタンとドアが閉まる音がして隣人が出かけるまで一睡もできなかった。
 一度気になってしまうと駄目だった。
 部屋を移動する足音や冷蔵庫を開閉する音、ベランダの窓を開ける音。そして、壁の向こうから聞こえる生活音で、最も気になったのがお経のように低音で響いてくる話し声だ。
 いったいどんな人間が住んでいるんだろう。
 隣人は早朝から活動をはじめるらしく、まだ日も上がらない時間に起きて遠慮無く物音を立てるので、もともと眠りが浅い至はゆっくり休むこともできない。
 文句のひとつでも言ってやろう。そう思ってみても、見も知らぬ人間と話すなんて高度なスキルは持ち合わせていない。ゲーム中は対戦相手にいくらでも暴言を吐けるのに、生身の人間相手となるとどうしたって気が引けてしまう。
 引っ越すには惜しい物件だし、また新しい部屋を探すのは面倒だ。
 念願のゲーム時間は確保できたものの、至のひとり暮らしは順風満帆とは言い難かった。
「むこうが引っ越してくれないかな」
 雲がゆっくりと流れる夜空を仰ぎながら呟いてみる。
 魔法の呪文のように、口に出せば願いが叶うかもしれない。
 そんな都合のいいことはないとわかっているけれど。
 合コン後の疲れた身体を引き摺るように、重い足取りでアパートまでたどり着き、コンビニで買った炭酸飲料とスナック菓子が入った袋を片手に階段を上ると、二階の廊下に人影があった。 
 あ、と思わず声が出そうになる。
 人影は薄汚れた茶色いドアを開けて至の隣の部屋へ入っていった。
 漏れ聞こえる生活音からして男だと思っていたが、予想は的中した。
 男、しかもかなり体格のいい男だ。
 身長も至より十センチは高いかもしれない。
 あんな固い筋肉で武装した男に「うるさいんで静かにしてくれます?」などと文句を言って、逆ギレされたら。
 殴られたわけでもないのに、なんだか腹のあたりがきゅっと痛くなる。
 どうか一刻もはやく引っ越してくれますように。
 ガチャの神引きと同じくらい強く願った。

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