LOVE YOU NEIGHBOR
2019年に発行した同人誌の再録です。
役者×会社員パロ。
至には信頼できる知り合いが二人だけいる。どちらも年下だが、おそらく人生経験と精神的成熟度は至よりはるかに上だ。
引っ越してから何度か連絡をもらっていたが、仕事が忙しくてほとんど返信できていなかった。
丞に対するこの曖昧な感情をひとりで抱えるのは無理だ。
そう判断して、週末に遊びに来ないかと二人に連絡を取ると、至の家で引っ越し祝いをしてくれることになった。
「これはまた……ずいぶんと荒れてますね」
「ちょっとは片付けたんだけどね」
「はは、至さんは相変わらずですね」
伏見臣は笑いながら床に散らばった空のペットボトルや脱ぎ捨てられたシャツを手にとっていく。
臣との付き合いはもう十年以上になる。
至の両親は実家の近くに不動産をいくつか所有していて、臣が住んでいるアパートもそのうちの一棟だ。至がいま住んでいるアパートと同じくらい古くてボロい。解体する話が何度もでていたようだが、祖父の代から管理している物件とあって、住人も高齢者が多い。結局、住人の意見を汲んで建て壊す話はなくなり、空き部屋に臣の家族が引っ越してきた。
家賃は銀行をとおさず、大家である茅ヶ崎家の誰かが毎月徴収する。最初は姉の当番だったのに、いつしか至に押しつけられるようになり、年齢の近い臣と知り合うようになった。
近いといっても臣はまだ学生だ。至が引っ越しする少し前に大学四年生に進級した。
昔は「至お兄ちゃん」と懐いてくる姿が可愛らしかったのに、いまでは身長も体格も臣に敵わない。
一九〇を越すモデルのような身長と優しい性格で昔から異性によくモテていたが、本人はいたって無自覚で、こういう男が一番タチが悪いと至は思っている。
臣は少年のころから母親のいない伏見家の家事を一身に引き受けている。そのせいか男子大学生らしからぬ世話好きに育ってしまい、生活力のない至を見て臣が掃除を始めたのも無理からぬことだった。
「ねえ、はやくきれいにしてよ。いつまでたってもここから動けないでしょ」
玄関から苛立たしげな声をあげているのは瑠璃川幸だ。
白とピンクのストライプ柄のブラウスとハイウエストのデニムがよく似合っている。女の子のような装いはまったく違和感がなく、彼が今年高校に進学した男子高校生だとは誰も思わないだろう。
「幸は神経質なんだよ。そんなに汚くないって。俺の家、生ゴミはいっさいでないから」
「それ自慢になってない。靴下が汚れるから埃まみれの廊下に足を踏み入れたくないの」
腕を組んで仁王立ちしながら至を睨む。
至は幸のことを乳児のころから知っている。
至の母親が主催するフラワーアレンジメント教室に通っていた女性が幸の母親で、住まいが近所であることから家族ぐるみの付き合いがいまでも続いている。
生まれたときから幸は可愛かった。
目鼻立ちがはっきりしているが、ひとつひとつのパーツが小ぶりで、母親の趣味でフリルやドット柄の洋服を着ていたこともあり、よく女の子に間違えられていた。小学生になってもたまにスカートを履いていたが、よく似合っていたので特に気にならなかった。
至も幼い頃、姉の人形遊びの一貫で女装をさせられたことがある。可愛い顔してるんだからいいでしょ、と姉は言っていたが、至はふりふりのレースもひらひらしたスカートも大嫌いだった。
しかし、どうやら幸は違ったらしい。
「男がスカート履くのってそんなに変?」
ある日、至が自室でゲームをしていると幸が制服姿でやって来た。至が小学生のときに赤ん坊だった幸はいつの間にか中学生の男の子に成長していて、身長も至の肩を越すまで伸びていた。
「ねえ、至はどう思う?」
と泣きそうな声で訊かれて、これは幸のSOSなんだと気づいた。
「変じゃないよ。俺だって大学生になってもゲームばっかりして、友だちもいないし。絶対に変じゃないよ」
励ましなったかどうかはいまでもわからない。
ひとりだけ違うことは苦しい。
至も外見を理由にクラスで疎外され、ゲームの世界に閉じこもるようになった。
自分だけの世界を守りたかった。
幸にもきっと幸だけの世界がある。それは母親を早くに亡くして家族を背負うことになった臣も同じだ。いつもニコニコと笑顔で家賃を渡してくる少年に悩みがなかったなんて思えない。
三人ともかたちは違うけれど家族以外の自分たちだけの居場所を探していたのだと思う。至にとって臣と幸は友人というより幼馴染みであり、もっと言えば家族のような存在だった。
*
「さすがオカンは手際がいいね」
テーブルに並べられた料理を見て幸が感心した。
オカンと呼ばれてもなにひとつ違和感がないのは、臣の家事スキルがカンストしているせいだ。掃除、洗濯、料理、加えて手芸。その腕前は、臣くんがお嫁にきてくれればねえ、と至の母親が言うほどだ。
「簡単なものしか作れなくて悪いな」
「コンロひとつしかないのにこれだけ作れれば十分でしょ。臣の手料理久しぶりだから楽しみ」
リーフレタスと卵のサラダ、ベーコンが入ったコンソメスープ、そしてチーズたっぷりのクリーミーパスタ。男子大学生が作ったとは思えないレシピだ。
「至さんの家、食器が全然ないんですね」
「うん、料理しないからね」
「紙皿とか持ってきてよかったです」
フライパンから紙皿にパスタを取り分ける臣は、どこからどう見てもお母さんだ。
「外食ばっかりしてるとあっという間に太るよ。アンタの取り柄なんて顔だけなんだからしっかりケアしないと」
辛辣な言葉がなんだか懐かしい。
幸は口は悪いが悪意はないので、軽く聞き流すことができれば心理的ダメージはゼロだ。
「大丈夫だって。会社から家まで歩いてるし、最近は友だちに教えてもらった筋トレもやってるから」
「友だち?」
「至さん、友だちできたんですか?」
臣と幸が驚いた様子で至を凝視する。
しまった。丞のことはもっと自然に相談するつもりだったのに、つい口が滑ってしまった。
二人の好奇心いっぱいの視線が痛い。
「うん、まあ、友だちかな。今日二人を呼んだのもちょっと相談があって……」
「ほら、俺が言ったとおりでしょ! 至が自分から連絡してくるなんて変だと思ったんだよね。で、どんな女なの?」
幸が興味津々という表情で尋ねてくる。
「女じゃなくて、ただの男友だち。隣に住んでる奴なんだけどさ……」
壁が薄くて生活音が丸聞こえだったことからはじまり、丞と紬との出会いから鍵をなくしたトラブルの際に助けてくれたことまで一気に話した。
「へえ、舞台役者ねえ。今日は隣にいないの?」
「地方公演でしばらく関西だって」
丞がいたら二人を呼べるわけがない。会話がすべて筒抜けになってしまう。
「俺の知り合いにもいますよ、役者の人。同じフットサルチームの先輩なんですけど、運動神経がすごくよくてさすが身体を鍛えてるだけあるなって思います」
「俺の隣に住んでる奴もすごい筋トレ好きでさ。体力つけろってうるさいから毎日腹筋やってる」
「うわ、意外。何回できるようになったの?」
「五回」
臣と幸が顔を見合わせて苦笑する。
丞にも「お前、それは冗談じゃないよな」と言われたっけ。冗談もなにも、至は本気で運動音痴なのだ。
「まあ、俺の筋トレは置いといて、相談したいことってのはその友人のことなんだよね。臣ってさ、昔はめちゃくちゃ遊んでたんでしょ?」
「えっ、いきなりなんですか」
幸の皿にサラダをよそっていた臣の手が止まった。そんな臣の姿を幸がにやにやしながらながめている。
「高校生の頃、毎日違う女の子と歩いてるの見かけたよ」
「ええと、まあ。遊んでたというか荒れてたというか……」
「そんな臣に訊きたいんだけど、なにをもってして人のことを好きになるの?」
至の質問の仕方が悪かったのだろうか。
臣と幸は黙ったまま固まっている。
「ちょっと整理させて」
幸が額に片手を当てて目を閉じる。背景に効果音をつけるなら「オーマイゴッド」という感じだ。
「至はその隣人のことが好きなの?」
「それがわからないから二人に相談してんじゃん」
さらなる沈黙。
「はあ……、ねえ、オカン。俺には無理。あとは頼んだ」
「いやあ、これは俺にも無理だと思うぞ。至さん、その人といると楽しかったり嬉しかったりするんですよね?」
「うん」
丞と一緒に酒を飲むのもくだらない話をするのも楽しい。週末に会えると思うと平日の仕事も頑張れるし、職場で日々浴びている上司の嫌味や同僚の嫉妬も気にならない。
「ちなみに相手が男性ということに抵抗はあるんですか?」
「ないね。ただ俺があいつのことを好きかと言われるとよくわかんない」
「うーん、これは……」
「オカンが育て方間違えたんじゃない? ここまで鈍感だとは思わなかった」
二人が唸っている姿を見て、至は改めて自分の心の面倒臭さに気づいた。
普通はこの感情を恋というのだろう。しかし、至のなかで『丞と一緒にいると楽しい』という事実が『丞のことが好き』という感情に繋がらない。出口の見えない真っ暗なトンネルを延々と歩いているみたいだ。
これは、同性を好きだというイレギュラーだけが理由ではない気がする。じゃあどんな理由だよと訊かれても答えられないけれど。
「なんかぐるぐる悩んで頭痛くなってきた」
「慣れないことするからでしょ」
「今日はお酒やめときますか? 美味しいドリップコーヒーを持ってきましたよ」
そう言って、臣は玄関脇のキッチンに置いてある電子ケトルを取りに行った。
冷めたパスタを口に含むと、チーズの濃厚な香りが胃に重い。悩むと食欲がなくなるなんて、自分のメンタルが意外に繊細だったことにびっくりする。
「至さん、コーヒーカップってありますか?」
部屋に戻ってきた臣が困った顔で尋ねる。
「昔から使ってるやつがあると思うけど」
「うーん、見当たらないですね」
コンビニのくじ引きで当てたカップだ。絶対当たらないだろうな、となんの気なしに引いたら当たってしまった。
カップの側面には小学生の頃から幾度となくプレイしているゲームのキャラが描かれていて、もう何年も使っている。ちなみに家の鍵に付いているキーホルダーも同じキャラだ。
「どうせこの部屋のどっかに埋もれてるんでしょ」
「うーん、どこに置いたかな」
記憶の糸を辿っても最後にいつ使ったのか思い出せない。
「じゃあ、紙コップに入れますね」
臣の入れてくれたコーヒーのお陰で少しだけ気分がすっきりした。
それからは臣の家族の近況を聞いたり、幸が高校の同級生に付けた辛辣なニックネームに笑っているうちに、あっという間に日が暮れてしまった。
やはり自分のことを長く知っている人間と話すのは楽だ。
丞が隣にいると変にドキドキしたり苦しくなったりする。
自然体でいるつもりなのに、全然自分らしくいられない。
三人で話すときのように大口を開けて笑ったりできないし、逐一丞の反応を気にしてしまう。
これは恋なのかなあ、と頭では思っている。けれど、心が追いついていかない。
誰かに「あなたの好きな人はあの人ですよ」と決めてもらえたら。ゲームのシナリオのように、自分の恋愛の道筋が予め決まっていたら。
「好き」という感情の手前で、至は途方にくれたまま動けないでいる。
*
「今日はバイクで来たんだ。幸がデニム履いてるからなんでかなって思ってたんだよね」
「オカンがスカートだとバイクに乗せてくれないんだよね」
「危ないからな」
苦笑しながら臣がバイクに跨がる。その姿は、特撮ヒーローが画面から飛び出しきたのかと思うほど様になっていて、異性が群がるのも納得してしまう。
臣の後ろに乗る幸に手を貸し、ハーフキャップのヘルメットを渡すついでにあごひもの調節をしてあげた。
幸に対して世話焼きモードが発動してしまうのは、もはや癖みたいなものだ。生まれたときはあんなに可愛かったのに。
いまやその毒舌を誰も止めることができない。
「至さん、今日はありがとうございました。今度は俺の家にも顔出してください。親父が喜びます」
「おけおけ」
「至、夏のボーナスが出たら買い物つきあってよね」
「人を財布扱いするな」
「あ、そうだ。至さん、今度―」
「茅ヶ崎、なにやってるんだ?」
臣がなにか言いかけたそのとき、突然後ろから声をかけられた。
聞き慣れた低音。とても久しぶりに聞いた気がする。
「あれ、丞さん?」
至が後ろを振り返ると、臣が驚いたように丞の名前を口にした。
「え、二人とも知り合いなの?」
二人の顔を交互に見る。
まさか、そんな偶然ってあるだろうか。
「至さん、丞さんは俺が所属してるフットサルチームの先輩です」
舞台役者の知り合いがいると言っていたが丞のことだったのか。
世間の狭さに目眩がしそうだ。
「ああ、なるほどね」
あっけに取られているの至の横で、幸が合点がいったというふうにうなずく。
「至の隣人ってこいつのことか」
瞬時に丞の顔が強ばった。
「幸、ちょっと黙って。丞、おかえり。地方公演どうだった?」
「伏見、茅ヶ崎と知り合いだったのか?」
話しかけているのは至なのに、それを思い切り無視して臣に尋ねる。
なんか……怒ってる?
幸にこいつ呼ばわりされたのがそんなに気にくわなかったのだろうか。
「この二人は俺の幼馴染みみたいなもんだよ」
「お前に訊いてない」
「は? なにそれ。人がせっかく教えてあげたのに」
「余計なお世話だ」
さすがの至も血管が切れそうになった。
そんな言い方はないだろう。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。至さん、俺たちは帰りますね。丞さん、例の試合の件はあとで連絡します」
「近所迷惑だから喧嘩なら部屋でやりなよね」
臣がフルフェイスのヘルメットをかぶりバイクのエンジンをかける。幸が「じゃあね」と手を振るのを、至は呆然とながめ、二人の後ろ姿はあっという間に夕闇のなかに消えてしまった。
丞が無言でアパートの階段を上って行く。
初対面での言い争いはともかく、最近の丞はとても優しかった。至の軽口に対して時折嫌そうな顔はするけれど、気分を害した様子はなく、それは親密さの現れのようなものだと思っていた。
仲良くなれたと自分だけ勘違いをしていたのだろうか。
至は丞を追いかけることもできず、見慣れた広い背中が部屋に消えるのを階下からじっと見上げていた。