LOVE YOU NEIGHBOR

2019年に発行した同人誌の再録です。
役者×会社員パロ。


 丞が持ってきてくれた薬のお陰で風邪は一晩で治ってしまった。
 熱が下がって正気に戻ると、丞にしがみついたり、頭を撫でてもらったことを思いだして恥ずかしくて消えたくなった。一方で、丞はそんなこと微塵も気にしていないらしく、世話になったお礼に食事に誘ったら「スナック菓子ばかり食べるから体調を崩すんだ」と説教をされた。
 ロマンチックのかけらもない男にちょっとイラついて、その日は野菜トッピング増し増しの味噌ラーメンを食べた。
 借りたトレーニングウェアは返さなくていいと言われた。「また風邪を引かれた困るからな」ということらしい。
 好きな男の服が自分の手にある状況について、至は戸惑い、興奮し、少し邪なことを考えた結果、理性を総動員して衣装ケースの奥深くへしまい込んだ。
 以前と同じ日常が戻ってきた。
 週末は丞とご飯を食べながら、至は今期チェックしているアニメの話をして、丞は芝居の話をする。お互い共通点なんてほとんどないし、話だって噛み合ってないはずなのに、一緒にいると楽しいからまあいいかと思えてしまう。
 前と同じ日常。でも少し違うのは、やはり丞を意識せずにはいられないということだ。
 気づかれないようにちらっと顔を見たり、肩が触れるたびにドキドキしたり、もう心臓が保たないんじゃないかとさえ思う。
 仕事は相変わらず忙しい。
 上司は面倒な仕事を押しつけてくるし、使えない同僚はミスを連発する。取引先のフォローに追われながら社内会議のプレゼンを作り、合間に雑務をこなす。
 金曜日は絶対に残業しない。休日出勤もしない。
 そう決めているので、必然的に効率よく仕事を回せるようになった。大変だけれど、現実の推しに会えるイベントが毎週発生しているので、以前ほどストレスは感じていないかもしれない。
 ちなみにソシャゲのガチャ運はワースト記録を更新中だ。
 至を社内合コンにはめてきた同僚には「茅ヶ崎、彼女でもできたのか?」と訊かれた。
「合コンにも参加してくれないし、最近急に営業成績伸びたよな」
 どこか探るような意地の悪い眼差し。言い訳するのも面倒なので肯定したら、「茅ヶ崎至は結婚が決まっていて来年子どもが生まれる」というとんでもない噂がひろまった。どうしてそんな話になるんだよ、と呆れるしかない。
 そんな感じでそこそこ大変で、まあまあ穏やかな日々が続いている。
 アパートの隣の部屋に好きな人が住んでいて、たまに一緒にご飯を食べる。
 告白をしなくても、付き合えなくても、十分幸せだ。
 いま以上の関係は望まない。
 どんなに欲しいと思っても手に入れられないものはある。ガチャと同じだ。ガチャと違うのはお金で解決できないということ。丞が誰を好きになるか、誰と付き合うのか、それは丞の自由で、至にはどうすることもできない。
 会社の愚痴をこぼしたときの丞の反応からして、至が告白をしても「気持ち悪い」などと言って拒否するのではなく、きちんとこちらの気持ちを汲んだ上で断ってくれる気がする。けれど、結局振られるのは確定しているので、無様に負けるバトルに挑めるほど至のメンタルは強くない。
 このままでいい。
 好きな気持ちは隠しておくから、隣にいさせてほしい。
 無欲なふりをしたままでいるから、丞とずっと一緒にいたい。
 数ヶ月前は引っ越したくて堪らなかったのに、人の心はこんなに変わるものなのかと自分が一番驚いている。
 でも、やっぱり欲深いと罰が当たる。無欲なふりなんてオタクの至にははじめから無理な話で、望みすぎるとかえって足元を掬われるのだ。
 至はそれを身をもって知ることになる。



『今日はアパートに戻れないかもしれない』という丞からのLIMEに気付いたのは会社を出る直前だった。今日は朝から外出、午後から会議と業務が詰まっていてほとんどスマホに触れなかった。
 先週は至の急な出張のせいで会えなかったから、なんだかタイミングが合わないなあと嘆息してしまう。
 どうやら来週から丞の所属する冬組の公演がはじまるらしい。稽古も大詰めで、平日も半分ぐらいは寮に泊まっている。「たまには帰って来ないほうがいい」なんて言ったこともあったけれど、いまは隣から物音が聞こえてこないと寂しく感じるくらいだ。
 夕飯はコンビニで弁当を買った。丞が気にしていると申し訳ないのでLIMEには『今日は残業確定だから俺も遅くなる』と返信しておいた。
 コンビニからアパートまで徒歩五分もかからない。街灯がまばらな夜道は暗く、夕方降った雨のせいで湿ったアスファルトの匂いが鼻につく。
 今夜は部屋で弁当を食べて、溜まったアニメの録画を消化する。ついでにソシャゲのデイリーノルマを達成して、期間限定のガチャを回す。
 久しぶりに実況動画をアップするのもいいかもしれない。稽古で多忙な丞は明日も戻らないだろうし、土日をフルに使えば新作ゲームをクリアできる。
 寂しさを紛らわすようにひとりで過ごす方法をいろいろ考えてしまう。
 丞と知り合う前はいつもひとりだった。
 友人なんていらない、恋人も必要ない、部屋に引きこもって好きなものに囲まれたい。そんなふうに思っていたけれど、いまは誰かが隣にいる楽しさと安心感、そして好きな人と同じ時間を共有できる嬉しさと、それが終わる寂しさを知ってしまった。
 フットサルの試合の日からずっと心が落ち着かない。
 自分だけこんなしんどい気持ちを抱えている理不尽さに怒りさえ湧くが、丞は至の本心を知らないのだから、怒るのはお門違いだ。
 アパートの階段を上ろうとすると、敷地内に車が入ってくるのが見えた。
 丞の車だ。普段は寮に置いてある車で帰宅するなんてめずらしい。戻ってこれないかもしれないと連絡があったのに、予定が変わったのだろうか。
 車のエンジンが止まり、運転席から出てきた丞に声をかける。
「丞、おかえり」
「茅ヶ崎、帰ってたのか」
 戻ってくるならひと言連絡がほしかったと思う反面、そんなことを気にする自分の心の狭さにうんざりする。
 気まずい空気が流れ、丞もどこか居心地が悪そうだ。
「あ、至くんだ」
 助手席から出てきたのは紬だった。 
 なんで紬が一緒にいるんだろう。
 今日戻らないと言っていたのは稽古があるからだと思っていた。本当は紬とどこかへ出かけていたのだろうか。
 理由はどうあれ、丞は至より紬と一緒にいることを選んだのだ。
 その事実がショックだった。
「いまから丞の部屋で飲むんだけど至くんも一緒にどうかな?」
 至の気持ちなど微塵も知らない紬が無邪気に訊いてくる。
「え、ああ、別にいいけど」
 弁当が入ったコンビニ袋をぎゅっと握る。
「おい紬、勝手に決めるな」
「みんなで飲んだほうが楽しいよ」
 紬が明るく笑う。
 丞が呆れたようにため息をつく。
 二人の間に流れる親密な空気に打ちのめされそうになる。
 紬はただの幼馴染みだ。それは二人を見ていればわかる。至と出会うずっと前から二人は友人で、いまも同じ劇団で演劇を続けているのだ。共に過ごした時間の長さが違う。
 胸の奥で黒く焦げついた感情がふつふつと生まれてくる。
 嫉妬と怒りがぐちゃぐちゃに混ざった感情だ。
 怒るなんて自分勝手だとわかっている。最近は週末に会うのが当たり前になっていたけれど、本当は約束なんてあってないようなものだ。丞がどこで誰となにをしようが、至に報告する義務なんてない。
 でも、やっぱり寂しい。
 それが本音だった。



「今日は残業じゃなかったのか?」
 ローテーブルには缶ビールや酎ハイが並んでいる。どれも丞の家にストックしてあったものだ。
 毎週のようにこの部屋で飲んでいるので、飲みきれなかった酒は自動的に丞の冷蔵庫で保管するのが暗黙のルールになっている。
「うん、途中で切り上げて帰ってきちゃった。丞は紬とどこかに行ってたの?」
 平静を装っているが、内心は本音が声に混ざらないように必死だ。
「ああ、紬の買い物に付き合わされてた。道路が混んでて戻りが遅くなりそうだったんだが、思いの外はやく帰って来れた」
「そうだったんだ」
「途中で高速をおりたのが正解だったね。事故があったみたいですごい渋滞だったんだよ」
 至の隣に座って酎ハイを上機嫌で飲む紬は、はやくも顔が赤くなっている。
 まだ一本目なのに大丈夫だろうか。
「寮に戻るつもりが、紬が久しぶりに俺の家で飲みたいって言うから急に予定を変更したんだ。寮だと未成年もいるからあまり遅くまで飲めないしな。運転中でお前に連絡できなくて悪かった」
 そんなふうに真正直に謝られると怒るに怒れない。
 たかがLIMEの連絡がなかったくらいでもやもやしている自分が馬鹿らしくなってくる。
 こういうところが丞はずるい。
 人が本気で怒ったり機嫌が悪くなる前に、ほしい言葉をすっと差しだしてくる。舞台役者として人から愛される仕事をしているからだろうか。
 無条件の愛を受け続けている人間はたちが悪い。
 嫌いになる隙を与えてくれない。だからずっと好きでいるしかない。臣に恋する女子の気持ちがいまは痛いほどよくわかる。
「謝んなくていいよ。結局三人でこうして飲めたんだから、まあ結果オーライって感じじゃん」
 なにはともあれ丞と飲めるのは嬉しい。二人きりだったらもっと嬉しかったけれど。
「俺、また至くんと話してみたかったんだ。前会ったときとなんか雰囲気が違うと思ったら今日は眼鏡かけてるんだね?」
 とろんとした目で紬がじっと見つめてくる。
「い、いつもはコンタクトなんだけど……」
 酔いのまわった潤んだ瞳で凝視されるとなんだか妙に照れてしまうし、紬は肩や膝があたるほど距離感が近くて、コミュ障の至はもごもごと口ごもってしまう。
 会社の飲み会だと完璧な王子様に擬態できるけれど、素の姿を知っている丞の前でそんなことをするのはもはや無意味だ。
「眼鏡も似合ってるよ」
「あ、ありがと……」
 仕事ではコンタクト、家では眼鏡派だったが、ここ一週間は毎日眼鏡をかけて出勤している。洗面所に置いてあったはずのコンタクトケースがレンズと一緒にどこかへいってしまったのだ。そろそろ本格的に部屋の掃除をしないとまずいかもしれない。予備の使い捨てレンズも切れていて、仕方なく眼鏡をかけて生活している。
 大学時代から使っているダサい黒縁の眼鏡。かけるとオタク感が倍増するので、至は自分の眼鏡姿が嫌いだ。
 今日、いつもきつい納期ばかり要求する取引先の営業に「雰囲気変わりますね」と言われて、ますます嫌いになった。
 陰気でもさい眼鏡姿の自分を丞に晒している。
 どうせならもっと万全の顔でこの飲み会に参加したかった。
「確かに似合ってるな。いつもより幼く見えるぞ」
 ビールが気管に入ってむせた。
 だから丞はずるい。
 そんなこと簡単に言うな、と胸ぐらをつかんで説教したい。恋愛に耐性のない人間を翻弄して楽しいか。
「至くん、大丈夫?」
「だ、だいじょ、ぶ……」
 何度か咳をしてようやく落ち着いた。
 背中をさすってくれる紬の優しさに、先ほど彼に抱いた負の感情を申し訳なく思う。
「なにやってるんだ」
「丞、ほらそこのティッシュ取って。本当に気がきかないんだから。ねえ、至くん、丞にひどいことされてない? 丞、ちゃんと謝ってくれた? 俺が訊いてもなにも教えてくれないから―」
「おい、紬」と丞が紬を遮ろうとする。
「どういうこと?」
「至くんとはじめて会った日に丞が失礼なこと言ったでしょ。丞はあれでも結構反省してて、どうやったらちゃんと謝れるのか悩んでたんだよ」
「え、そうだったの?」
 丞のほうを向くと、当の本人は缶ビールを飲みながらだんまりを決め込んでいる。 
「めずらしく俺に相談してきたから、仲直りできたのか気になってたのに、丞はなにも教えてくれないんだよ。ひどいよね。万里くんが言ってたけど、至くんこの前フットサルの試合を観に行ったんだよね。二人ともいつの間にそんな仲良くなったの?」
「紬、黙れ」
「たーちゃんには訊いてない」
「たーちゃんって呼ぶな」
 与えられた情報が多すぎて頭の中がぱんぱんに膨らんでいる。
 丞が謝ろうとしてた? 
 それってつまり、俺と喧嘩したこと、実は気にしてたってことだよね? 
 もしあのとき至が鍵を会社に忘れていなければ、どうなっていたのだろう。丞から至の家に来て謝ってくれたのだろうか?
 いずれにしろ紬に相談するほど悩んでいたなんて意外だし、こんなことを言えば絶対に怒られるけれど、可愛いと思ってしまった。
「紬、大丈夫だよ。ひどいことなんてされてないし、丞はちゃんと謝ってくれたから」
「茅ヶ崎……」
 余計なことを言うなと睨まれたけれど、気にせず話を続ける。
「丞っていきなり不機嫌になるし、いつも仏頂面だし、ため息多いし、」
「おい」
「でも優しいところもたくさんあって、俺はそんな丞と一緒にいると楽しいから、きっかけはどうあれ知り合えて良かったっていまは思ってるよ」
 好きとは言えない。
 だからそのすれすれのラインで言える言葉をなんとか探って伝えたつもりだ。
 顔が熱い。心臓がばくばくとうるさい。
 丞の反応が怖くて顔を見ることができない。
「至くん……」
 至の肩をぎゅっと抱くと紬はほろほろと涙を流し始めた。「え、なんで? なんで泣くの?」
「放っておけ。紬は酒が入ると泣くんだ。はあ……、これだからこいつを家に呼びたくなかったんだ」
 泣きながら「よかったね」「丞をよろしくね」と言う紬は、まるで娘を嫁にやる父親みたいだなと思う。その場合、嫁は丞で、婿は至なわけだが、ビジュアル的に面白すぎて吹きだしてしまった。
「おい、紬いい加減にしろ」
「うう、たーちゃん、仲直りできてよかったね」
「だからたーちゃんって呼ぶな」
「あ、でも寮に引っ越したら至くんとあんまり会えなくなっちゃうね」
 それは寂しいよね、とまた泣きながら至の肩を強く抱きしめてきた。
「えっ……」
 引っ越す? 丞が?
 紬の言葉を必死に理解しようとするが、理解する前に頭からするするとこぼれていってしまう。
 丞、引っ越す、会えなくなる。
 言葉を覚えたての子どもみたいに、同じ単語を頭のなかで繰り返す。丞、引っ越す、会えなくなる。
 丞に会う前、隣から聞こえる物音がうるさくて、はやく引っ越してほしいと何度も強く願ったことを思いだす。
 いまさらこんなかたちで願いが叶うなんて。
「はあ……紬、余計なことは言わなくていい。ほら、いつまでも茅ヶ崎にしがみついてないで離れろ」
 痺れを切らした丞が紬の身体を抱きかかえてベッドまで運ぶ。さっきまでぐずぐずと泣いていた紬は、泣き疲れてしまったのか、ベッドに横になるとすぐに目を閉じて眠ってしまった。大人しそうに見えるのに酒が入るとかなり面倒なタイプらしい。
 そう言えば至が酔ってこのベッドで寝てしまったとき、丞は「酔っ払いの世話は慣れてる」と言っていた。たぶん、いや絶対紬のことだろう。飲むたびにこんなふうに泣かれては丞も大変だ。
 一気に静かになった部屋で、ローテーブルを挟んで丞と向き合う。話さなければいけないことがあるのに、二人とも話し出すきっかけをうかがって、黙ったままぬるい缶ビールを喉に流し込む。
 紬の言葉を否定しなかったということは、本当に引っ越してしまうのだろう。
 なんで言ってくれなかったんだろう。
 稽古場とアパートは近いから引っ越す必要はないと言っていたのは嘘だったのだろうか。
 丞にとって自分はやはりただの隣人で、友人にもなれていないのかもしれない。
「茅ヶ崎、紬の言ったことだが……」
「わかってる。別に気にしてないから。こんなうるさい人間の隣に住むなんてやっぱり嫌だよね」
「おい、勝手に納得するな。引っ越しは……ずっと前から考えてたことだ。お前が引っ越してくる前からな」
 ということは至と知り合ってからもずっと引っ越すつもりでいたということだ。何度も一緒に食事をして、いろんなことを話して、同じ時間を共有して、それでもまだ丞のことが理解できない。
 なんで、どうして。
 言ってくれてもよかったじゃないか。
「そっか。そんな前から考えてたんだ……」
「まあな。まだ考え中だ」
 やはり罰が当たったのだ。
 はじめは丞の隣にいられるだけで満足していたのに、いまではLIMEの連絡がほしいとか二人だけで飲みたいなどと望み、挙げ句の果てに幼馴染みの紬に嫉妬して、丞が自分だけのものにならないことを寂しいと思ってしまう。
 ガチャも恋も望みすぎると失敗する。
 強すぎる欲はいつか身を滅ぼす。
 好きな人が自分から離れていってしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
「そろそろ部屋に戻るね」
 いつものように楽しく飲めそうにないので、早々に自分の部屋に戻ることにした。幸い缶ビールを二本しか飲んでいないのでそれほど酔ってはいない。
 玄関まで見送りにきた丞に「来週の日曜日はあいてるか?」と訊かれたけれど、これからどんな顔をして丞と会えばいいのかわからなくて、「たぶん」と曖昧に返事をした。
「もちろん、あいてるに決まってるじゃん」と無邪気に笑って言えたらよかった。
 でも、至にはもう丞の前で笑う気力が残っていなかった。

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